時の鐘
●時の鐘
川越までは残り五里。五里の道を男の脚なら、まあ巳の刻辺りには到着する。
平成時代を生きる者ならば、巳は午の一つ前だから正午の凡そ二時間前と言った方が判りやすい。
そこをトシ殿が子供の身体のわしを案じ、ちょこまかと細かい休みを入れ遅くは成ったものの、それでも軽く正午前には川越に到った。
武蔵国川越宿は川越城の城下町。交通の要衝にあり、ご府中にも負けない中々の賑わいである。
「そいで、どこなんでぇ」
「天狗殿によると、安五郎親分はお上の手を逃れるため転々としており、今はこのご城下の顔役の離れで、熱が冷めるまで身を隠しているそうにございます」
トシ殿には、既に目指す相手が島抜けをして居る事は伝えてある。
世間一般にはお尋ね者の罪人と言うことに為るが、関八州は所轄が入り混じっているせいで捕まり難い。
平成ではほんの目と鼻の先にある場所に移るだけで、捕り手は追う事が出来なくなる。
安五郎親分も、例に漏れず身一つの兇状旅でここに遁れて来たのだと言う。
兇状旅は又の名を急ぎ旅と言う。草鞋を脱いだ一家は渡世の義理で支援はしてくれるのだが、逃亡の旅と言う事なので基本的に長く留まる事は出来ない。
また新島に流されるまでは、仮にも富士川の川並を差配していた親分である、うっかり長逗留されては、庇を貸して母屋を取られる事を警戒されるのは当たり前だろう。
だから長期の逗留ともなれば、渡世人の所ではない。
「何だって！ 元・十ヶ町頭取名主のとこだとぉ？」
「はい。齢古希に垂んとする操六翁が私第に匿われているとの由にございます」
「私第？」
「家屋敷の事にございます」
「かぁー。また小難しい言葉を使いやがって。住んでる屋敷って隠居所の事だよな。
何だってそんな年寄りんとこに」
トシ殿は訝しむ。何せこの時代。還暦を過ぎればいつお迎えが来てもおかしくないのだ。
「安五郎親分は兇状持ちにございます。堅気の者ならばおいそれと匿う事は出来ますまい。
家を切盛りする当主なれば、先ずは何よりもお家の事を考えまする。
されど世を子に譲った老い先短い翁なればこそ、己が一分の漢気で匿う事が出来たのでございましょう。
天狗殿から伝言に因ると、武蔵国入間の町医者全斎殿が操六翁と引き合わせたそうにございます」
「やれやれだぜ。いざって言う時ゃ手前の首一つで済ませる覚悟かよ。
なぁ坊主。その親分って奴は、そんだけの値打ちがある奴なのか？」
トシ殿が溜息を吐いた時。
ゴーン。ゴーン。ゴーン。
三つの捨て鐘が響き、少し間を置いて九つ鳴った。
「取り敢えず。飯にするか」
確かに腹は減っていた。
実は一刻ほど前、弁当を口にはした。
しかし出掛けに越後獅子の少年に一人前を進呈した故、わしとトシ殿が口にしたのは半分だ。
わしの分をくれてやったのだから、自分の物を食えば良いのに。トシ殿は、
「食え。ガキが遠慮するな」
と全部寄越した。それを互いに押し付け合って、結局二人で半分に分けたのだ。
「飯時に訪ねるのもアレだし。腹ごしらえして行こうぜ。
蕎麦を手繰るか、寿司でも抓むか。
この辺りなら食い物も、ご府中と大して変わらねえからな」
「では、栗より甘い唐芋を」
「唐芋？ ああ、薩摩芋の事か。そう言やここの名物だしな。腹満たすくれえ食べると、胸焼けするぞ」
「問題ございません」
幸か不幸か唐芋は、前世の幼少時から舌に馴染んだ食い物だからだ。
焼き芋の屋台を探して街を散策していると、縞の道中合羽の三人組が通り掛り。
「おいこら。どこの者だ」
一行の頭らしき強面の男が近づいて来て、じろりとわしらを睨んだ。
