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縁切り榎で見詰める目

●縁切りえのきで見詰める目


 上州に向かうには、お江戸日本橋をふりだしに北へ神田明神の近くを通り、巣鴨の寺々を過ぎ越して中山道を進み行く。


 無論、天涯魔境では無く天下の街道だ。ご府中(ふちゅう)間近の街道では護摩の灰すらお目に掛からぬ。

 何事も無く、時間にして二刻(ふたとき)余り。子供の身体のわしの脚に合わせた、ゆっくりとした歩みであるが、最初の宿場が見えて来た。


――――

 是從(これより)板橋

――――


 そう書かれた傍示杭を越えると板橋宿だ。



「坊主。疲れてねぇか?」


 トシ殿は決してわしを女扱いはしない。けれども見た目のせいか、何かと言えば子供扱いしたがる節がある。

 高々二里半、二刻の道など、疲れた内にも入らぬが。

 トシ殿は、


「喰ってこうぜ」


 と腰の高さで二股に分かれた(えのき)の樹。


 ふと、前世の事を思い出した。

 板橋宿の大榎は誰が言ったか縁切り榎。この下影を通る男女は別れると言う言い伝えがある故、嫁入り行列は迂回すると言う仕来りがあると言う。

 逆に、気に染まぬ縁談を押し付けられた男女は、どうぞ破談にしておくれ。と、わざわざこの榎の下を通ったそうだ。


 トシ殿は当にその木陰にある茶屋を指して言った。


 別に気にする訳も無く、まして男女の仲でもない。わしは呆れた声でこう言った。


「まだ最初の宿(しゅく)にございますよ」


 元々、一日の行程はかなり余裕を持っている。泊りは三つ目の宿場町の予定だったのだから。



 そこは茶屋と言っても板壁は無く、昭和の運動会のテントの如き物。

 孟宗の物干し竿程の丸木柱を四方に掘立(ほった)てて、筵掛けの屋根を()き、後ろに筵を垂らした造りで、席は土の上に長い木の腰掛けを並べた物だ。



「なぁ。団子に甘酒、冷やし飴もあるねぇ。どれにする?」


 食う気満々のトシ殿なのに、わしを完全に子供にしてダシにする。


「その全部。と申しましたら如何致します?」


「言うじゃねえか、まぁ。預かってる金は坊主の(ささ)やかな散財くれぇで予定が狂う訳でもねぇし。

 第一、坊主も小遣いくれぇ別に持ってんだろう?」



 ご府中への旅で春輔(しゅんすけ)殿に預けた様に、路銀の大半は同行してくれるトシ殿に預けている。しかし、些かではあるがわしも銭と金子は所持している。

 凡そ旅籠にして余裕で一人三日の(つい)えに相当する一朱金四枚を諸所に分けて隠し持ち。巾着に入れた天保銭五枚と一文銭で三十枚ほどを懐に括り付けてあった。


 しかし。見掛けは(とお)のわしでも、いくら幼い娘の身体に影響を受けていると(いえど)も。

 百歳の老爺の中身は、無駄金を使う事を拒まずには居られない。



「良くお考えを。お金は大事にございます」


 当然先のはトシ殿を揶揄(からか)って遊んだだけの事。


「チッ。相伴で他人(ひと)の金で食えるって思ったのによぉ」


 (ひょう)げて如何にも自分が食いたいと言って退()けるトシ殿をくすりと笑い。



「我慢しなくとも宜しゅうございますよ。お酒は駄目でございますが、お団子くらいなら」


 と、水を向けると。


「おう。ありがてぇありがてぇ。おい親父。団子一本頼まぁ」


 看板娘は見当たらぬが、


「へい、らっしゃい。白玉と草で、胡麻と餡とみたらしがあるよ」


 やたらと声の大きな親父が一人。



「草のみたらし!」


「へい。金五百両頂きます」


 五百両とは五文の()いだ。お品書きにはそう書いてある。

 昭和の駄菓子屋の如く、お大尽気分を味あわせる茶屋のちょっとしたサービスなのだろう。

 トシ殿から一文銭五枚を受け取ると、ヨモギを練り込んだ草団子にみたらしのタレを付けて炭の上。飴と醤油の焦げる香ばしい匂いが立ち上る。



「くーっ! 甘めぇなぁ、これ」


「でしょう? 醤油は紀州の三年物。とろみは道明寺粉を基本に吉野の本葛も加えてある。

 甘味の殆どが水飴だが、少しは讃岐の和三盆も使ってるからねぇ」


 聞けば中々に高級な物を使っている。



「なぁ、坊主は食わねぇのか? うめぇぞこれ」


 本当に美味そうに食う。

 こうしてみるとトシ殿は、いい歳の割に存外と馬鹿を遣る子供っぽい所も残っている。

 その調律のずれが面白くて顔が緩んだわし。その顔で、


「可愛いものですね。くすっ」


 思わず言った一言に、トシ殿は目を真ん丸にして驚いた。


「うっ……喉に詰まった! 親父、茶! 茶ぁ持って来い!」


 くいっと差し出された番茶を呷り、詰まった団子を流しむと。


「げふん。げふん。

 (あん)だよ。いきなし変なこと言うから詰まらしちまったじゃねぇか」



 そうだったな。当世の二十四は前世は平成の三十四に当ると言っても、その三十四が何様であったか思い出したぞ。

 わしの二十四の頃と言えば、外地で戦っていた下士から戦時任官の将校に当る。兵隊の前ではこんな素顔は見せられなかった。

 しかし同じ歳でも戦時と平時では訳が違う。


 確かに為政者有識者にとっては、黒船来航以来戦時に等しい国難の時でも。広く市井の庶民にとってそうであるとは限らない。

 別に国政の重責を担う訳でも無いトシ殿に、平和な日常にあって戦場往来を求めるも酷か。



「坊主。(おら)ぁなんかしたか? (あん)だよ、その年寄りが孫を見るような生温ったけぇ眼は」


 勘の良い奴は嫌いではない。


 おや。トシ殿も気付いたか? 顔を動かさず眼だけを少し横に向けた。

 そう。横手よりわしらを眺める視線がある。殺気は無い。ただ何やらわしらを値踏みしているかのような気が感じられた。


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