兄妹の仲
●兄妹の仲
あれから三日。
大樹公様より諸所修行の名目でご府中を離れる許可も下りた。
「宣振。教練も道場破りも含めて頼みますよ」
「本当はわしが付いて行くのが筋なんやが……」
ここは大樹公様お声掛りであるが故に、名を上げんとする道場破りに狙われやすいのだ。
「それに、宣振を供に連れて行っては、大樹公様からお預かりしたゲベールが遊んでしまいますよ」
実際わしの留守中に、きちんと教練指導や砲術を教える事が出来るのは宣振をおいて他には居ない。
「で。俺にお鉢が回って来たのか」
やれやれと殊更わしに愚痴って見せるのは、試衛場からの助っ人であるトシ殿だ。
「トシ殿を男と見込んでお頼みしただけで、今からでも断られて宜しいのですよ」
そう言ってやったら、
「確かに助っ人は引き受けてっけどよ。女の、しかもんな餓鬼の一人旅なんざ危なっかしくて……」
いい奴だ。それに詳しく話さずともこちらの事情は知って居る。
春風殿達は藩の銭で、ご府中へ剣を学びに参っている。だから主筋とは言えわし個人の用事で、遊学先の九段の道場から離れるのは憚られると言う事を。
だからと言って、宣振を連れだす訳に参らぬ理由はわし一人の話ではないがな。
「わ、私もトシ様に留守にされるのは……」
破軍神社の巫女にして、神道破軍流の師範代でもある摩耶殿が、まるで別れを惜しむ恋人のようにトシ殿に迫った。
正直演技は大根である。これがまだ平成で言うリア充を指して「爆発しろ!」と叫ぶような男ならば効果もあったのだろうが。どっこいトシ殿は、近隣の娘達がスターでも見るかのような目で黄色い声を上げる凛々しい美男子である。
かつて商家に奉公していたそうだが、あちこちから言い寄られて収拾が着かなくなり、遂にはお店を辞めざるを得なくなったと言う。
そう、まるで孫が読んでいた小説の主人公が如き天然で札付きの女誑し。
この界隈で泣かせのトシと噂されてる男なのだ。
だからトシ殿が善玉か悪玉かまでは知らぬが、摩耶殿程度の大根演技に騙されるような玉ではないことは明白である。
「摩耶っち。お前のは、惚れた腫れたなんて殊勝な話じゃねぇだろ。
どうせ道場破りの助っ人が居なくなると困るからっ、なんて思っちゃいねぇかぁ? おい」
「エ? 私、本気デ惚レテマスヨ」
「目が泳いでる! 声も上擦ってやがるじゃねぇかよぉ」
と、まあ。良くも悪くも女経験豊富なトシ殿の眼ならば、本気で惚れられたのか思惑有って秋波を送って来るのかくらい一目で判る。
「目的が目的故、良しなに頼みます」
「お。おう。坊主も無茶すんなよ」
「坊主ですか?」
まるっきりわしを女であると意識してない物言いだ。
今は人間五十年の時代であり、前世の平成の世の感覚で計ると大人になるのが早い。
前世見た平成時代の教育テレビ特集では、明治以前の年齢感覚は満年齢の七分に相当するそうだ。
何もそこまで遡らずとも、高度経済成長が終わるまでは、似たような感覚であったと記憶している。
この物差しに当て嵌めると。平成の十歳はこの時代の七歳。二十歳は十四歳に相当する。
換算すると満八歳のわしは平成時代の年齢感覚では十一歳半、つまり小学六年生に相当する。
対してトシ殿は満の二十四歳。先の換算だと平成の三十四歳相当の分別持ちで、わしと並ぶとおっさんと小学生と言う組み合わせになる。
これでは、望めば女は選り取り見取りのトシ殿の目に、わしが女と映ることは絶対に無いのも当たり前であろう。
などと考えていると。
「お前なぁ。胸も出てねぇその歳で、ましてそん格好で女扱いは無理だろが。
そんで遣るのが武者修行って女がいて堪るっかよぉ。
坊主と言って怒るんなら、せめて簪の一つでも差し赤いおべべでも着てろ。
なんなら俺が買ってやろうか?」
と返して来た。それを受けて摩耶殿が口を尖らせて言う事には、
「トシ様! 簪なんて私にも買ってくれなかったのに……」
ここだけ聞くと恋仲のようにも聞こえるが、。
「あんだよ! いつ俺が摩耶っちとそんな仲になったってんだ?
そりゃまぁ、『摩耶っちお前は色気がねぇな。簪の一つくらいしろよ』たぁ、言ったことはあっけどよぉ」
間髪入れずに全否定される。
「うちにお金が無いの知ってる癖に! 着けろと言うなら買って下さい」
「かぁ~。何だって摩耶っちに買ってやらなきゃなんねぇんだ?
そんなもんはいい人に買って貰え。家付き娘なんだから、一人や二人くれぇ当てはねぇんか?」
「あったらこんな苦労しません!」
二人には、直ぐ喧嘩する兄妹のような気安さがあった。
ともあれ。渋る宣振に後を任せ、修行の旅と言う体裁を取ってわしは破軍神社を後にする。
向かうは上野国。富士川を支配する、島帰りの親分が居る宿場町だ。





