幸筒(間話)
●幸筒
当代の江の長者であり当藩の藩主である権中将が、お抱えの蘭学者を召したのは六月も末であった。
非公式ながら義卿門下の若殿原から兄貴分として慕われている重臣を伴ったのは他でもない。
義卿門下と近しくなった、権中将が庶女・幸に関わる話だったからである。
「月殿」
家臣なれども侍医である為呼び捨てにしない権中将。
「政から聞いたのであるが、幸の考案した大筒を創らせたと聞いたが」
元より取次役は不要であるのだが、開口一番の下問は意外な話であった。
「これはお耳が早い」
「我が娘の成す事であるからのう。少しばかり耳をそばだてておる。それで、首尾は如何致した?」
「月橋先生。事が事だけに話を通して置きました」
政と呼ばれた男は説明する。
「これをご覧ください。姫様より預かった絵図面にございます」
それは奇妙な大砲であった
「只の支えの有る筒のようにも見えるのだが……」
差し出された図面を見る藩主の目は、娘の手作りの人形を眺めるかのようであった。
何しろ大砲と言いつつ、点火の為の火門も大砲を支える砲耳も無い。
「ふふ。賢いと申しても、子供であるな。そもそもどうやって撃つ積りであるのか。
月殿、子供の遊びに突き合わせて相すまぬ」
ままごと遊びの様な物だと思ったのだ。
「憚りながら。殿、これは専用の弾を先から落とし込んで、筒の中の突起で弾の尻にある雷管を打って弾の中の火薬に点火する仕組みでございます。二枚目をご覧下さいませ」
これもまた、ドングリに尾羽を付けたような奇妙な弾であった。
そして弾には直線的な筋が走り、幾つもの三角形の文様が刻まれていた。
「落とし込むと、尻の雷管が爆ぜ、後ろの火薬に火を点けて玉を飛ばします。
尾羽は弾の先を真っ直ぐ下にする為にあり、着弾で弾頭の雷管を爆ぜさせると、前の火薬を破裂させて辺りに弾の破片をばら撒く由にございます。文様は、わざと破片が散りやすいように切れ目を付けたものと書かれてございました」
説明が進む内に、藩主の目が一転厳しい目付きに変わった。
「真、幸がこれを描いたのか!」
「はい。試作致しました所。記述通りの効果がございました」
「ふむ……」
「また泥や砂に埋もれ、前の雷管が働かなくとも、発砲の火は前と後ろの境にある遅延火縄を伝って、山鹿流陣太鼓を二打ちする間の後に前の火薬を破裂させまする。人や城に与える損害は、恐らく従来の大砲に退けは取りますまい」
「ふむ……」
「しかもこの砲は米一俵よりも軽く、徒歩にて持ち運びできる恐るべき大筒にございます」
「なんと!」
「射程もまずまずにて、普通の大砲の半分はございます」
「確か本邦の大砲は二十町(約二千メートル)ほどであったな」
ふうと息を一つ入れて、藩主は言った。
「普通の大砲は牛馬で牽くのも容易う無い。
射程が短いとは申せ自在に持ち運びが出来るならば、必ずやこれを活かす戦いが出来るであろう。
かほどに軽き筒ならば、担いであるいは馬匹に載せて徒歩の兵に随伴が叶う。
例えば普通の大砲の運び込めぬ岩山の上に据えたり、撃って速やかに移動して撃つことも叶う。
さようであろう月殿」
「御意」
「詳く申せ」
「ははっ」
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・口径 :二寸半(八センチ)
・砲身長:四尺(約百二十センチ)
・重量 :十二貫
内、
・砲身 砲金(銅九錫一)にて鋳造 六貫
・底盤(鍛鉄)と支持架(杉材・金具) 六貫
・発射仰角 半直角から直角。
但し、直角間際は信号弾(花火)のみ。
・弾 鋳鉄製爆裂弾
・推定最大射程(目算)
五斤爆裂弾 十二町(千三百メートル)
八斤爆裂弾 九町 (九百八十メートル)
十斤爆裂弾 五町半(六百メートル)
――――
それはメリケンにもエゲレスにも無い大砲であり、後に発案者の名を採って幸筒と呼ばれ、永く歩兵の心強い味方となった。
彼らは知らない。
射程や威力こそ劣っているが、これはほぼ平成の時代で言う迫撃砲であると言う事を。





