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何と比べん

●何と比べん


「困った……」


 闇の中。揺らぐ灯りの中で思わずわしの口から洩れる溜息。



 前世でわしが上等兵になったのは、漸く義務教育が完成した頃だった。

 貧富や性別に関わらず障碍(しょうがい)を持たぬ子供でありさえすれば、全員が小学校を卒業出来るようになったのは、総力戦に備えて尋常小学校が国民学校と名を変えた辺りからだ。

 (ちな)みに支援校が完備されて、障碍を持つ子供も含め全ての国民が(あまね)く高等学校まで行けるようになる為には、平成の御代を待たねばならなかった。

 それ故、当然ながらわしが教練を受け持った時にはまだ、(ろく)に学校へ通っておらずイロハのイの字がどっちを向いているのか判らぬ者が存在した。


 不学(ふがく)と言うのは悲しいもので、読み書き以前に学んだことがないから勅諭(ちょくゆ)も覚えられず、ただそれだけで一等兵になる事すら難渋する。


――――

 我国の軍隊は世々(よよ)天皇の統率し給う所にぞある。


 昔神武天皇()ずから大伴(おおとも)物部(もののべ)(つわもの)どもを率い、中国(なかつくに)のまつろわぬものどもを討ち平げ給い、高御座(たかみくら)()かせられて天下(あめのした)しろしめし給いしより二千五百有余年を経ぬ。

 此間(このあいだ)世の(さま)の移り換わるに(したが)いて兵制の沿革も(また)(しばしば)なりき。

 (いにしえ)は天皇()ずから軍隊を率い給う御制おんおきてにて、時ありては皇后皇太子の(かわ)らせ給うこともありつれど、大凡(おおよそ)兵権を臣下に委ね給うことはなかりき。


(軍人勅諭より)

――――


 前世では、徴兵された兵隊はこの難解かつ長々とした勅諭を暗唱させられたものだ。


 尋常高等科まで出して貰い、中学講義録で(まなび)の高嶺を()じ登り、世の人以上の文字や筋道を身に付けることが許されたこのわしでさえ。今でも時々夢に出て、続きが思い出せず冷や汗と共に飛び起きる程であるのだ。

 まして学ぶことを許され無かった者にとって、勅諭の暗唱は命を懸けても成し遂げ難い大事業で有ったことだろう。



 さて。不学の者ならば、出来ぬのは仕方なき事だとイロハのイの字より(おし)える事も(やぶさ)かでは無いのではあるが。あるが……。


 何たることか今世では、素読の素養の有る旗本や御家人でさえ、教練の物覚えが宜しくないと言う事実を突き付けられて頭を抱えた。

 理由は嫌と言うほど解って居る。そもそも団体行動をする訓練を受けた事が皆無と言う意味で、先のイロハのイの字がどっちを向いているのかも弁えぬ者と大差ないのだ。



「姫様。お身体を壊しますえ」


 燈火ともしび近く、筆を走らせては線引くわしの後ろから、伏見にて召し抱えて連れて来たお(はる)が、心配そうに声を掛けた。



「もうこんな時間ですか。

 物覚えの悪過ぎる者に、どう(おし)えようかと煮詰まっていた所です」


 月の位置で確認すると、既に()こくに近い。


「物覚えが悪い言うたら?」


「ええ。列を組んで足並み揃えて歩く。

 上手く教えれば、八つの子供でも容易く成し遂げて仕舞えることを、大の大人が出来ぬのです」


 するとお春は首を傾げ。


「姫様は、それどこでご覧になったんどすか? お里では、子供にそないなややこしい事をさせてるんどすか」


 と尋ねて来た。


「どこって……。あ!」


 比較していたのは前世の子供だ。そう、あれは昭和の大阪万博の前の年。

 一番上の孫の最初の運動会の時だった。



 とある菓子メーカーがスポンサーをしているテレビマンガ。

 慌てん坊の冴えない男の子が道具を授けられて、お猿やおてんば娘の仲間達と共に、時速九十一キロで空を飛び、元の六千六百倍の力を発揮するスーパーマンになるお話の主題歌と共に、まるで儀仗兵の行進のように入場して来るのを見た。


 その見事さに、わしは目を(みは)らずにはおられなかった。

 四月に学校に上がったばかりの孫の学級が、分列行進だけならばすぐさま上等兵が務まるほどに見事だったからだ。

 昼休みに弁当を食いに来た孫を褒めた。小学生の一日の小遣いが十円、菓子パン二十五円の時代に百円札を褒美として遣った位だ。


 そして、どんな練習をしたんだ? と尋ねた所。帰って来たのは、


「何もしてないよ」


 何もせずあんな立派な行進が出来るのならば、誰も苦労しない。重ねて尋ねても要領を得ない。

 ふと、この手の練習は体育の時間にするであろうと思い至り、


「最近の体育の時間は何をしていた?」


 と孫に尋ねた。


 すると返って来た答えは、


「ケンパと梯子橋だよ」



 担任の先生は、いったいどうやって行進を指導したのだろう?


「詳しく教えてくれ」


 不思議に思ったわしは、孫の顔をじっと見つめ、身を乗り出していた。


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