不易流行
●不易流行
袱紗の中には油紙。
開祖が隠岐より携えし刀と言うのが目の前の宝剣で、絹の手袋をした摩耶殿が油紙を開くや否や、わしの目に飛び込んで来たのは、裸身の刀身。
その茎に毛彫りされているのは、
「当に菊の御紋」
思わず姿勢を正してしまうほど、ぞくっと身震いさせられる菊御作であった。
わしに目利きは適わぬものの、摩耶殿によれば月番の粟田口の作とのこと。伝承によれば院御自らが焼き刃渡し遊ばされた物であるのだとか。
「眼福仕りました」
宝剣に向かって頭を下げ敬意を示すと、摩耶殿は丁寧に包み直して桐箱に納めた。
瓢箪から駒とはこの事を言う。本当に後鳥羽院所縁の神社であったとは。
「書状によりますと、登茂恵様は剣付鉄砲の業を編み出されたとか。適う事ならば当流の門人にもご指南下さいませ。
当流は貪欲に他流の長を取り入れて参りました。これよりは鉄砲の世と成りますが故、神道破軍流を廃れさせぬ為にも剣付鉄砲術を取り入れたいと思います」
摩耶殿曰く、かつて田宮が居合を編み出した時、数多の流派がこれを取り入れて行った歴史があるそうだ。
抜刀術は戦場でもまた平時にも役立つ身の護りである。不意に襲われた時や、先に刀を抜く訳に参らぬ時、鞘に有りて変に応じることが叶う抜刀術の利は計り知れない。
同様に、わしの編み出した(と思われている)剣付鉄砲術を取り入れて行かねば、時流に乗り遅れると言うのが摩耶殿の考えであった。
「先生のお許しは得ておりますか?」
一応聞いてみるが、
「神道破軍流その物を変えぬのですから問題ございません」
と断言し、早速、
「さしあたって、稽古に使う物はどう致しましょう」
と聞いて来た。
剣術に竹刀、槍術にタンポ槍。薙刀に吟先を付けた竹の薙刀を用いるように。
剣付鉄砲の稽古に使う物が必要なのは言うまでもない。
「木銃。木で出来た銃を創りましょう。基本は槍術故、先は槍のようにタンポを付けるのが宜しいかと」
「なるほど木銃でございますか」
「はい。重さと長さはバヨネットを着けたゲベールに合わせるのが実戦的であるかと」
「確かに。その方が一朝事ある時に役立ちますね」
「使えぬ術では遣るだけ無駄です。それから名前でございますが、剣付鉄砲では鉄砲撃ちと間違えられるので、銃に付く剣の意で銃剣と呼ぶのが宜しいと思います」
「つまり、登茂恵様の業を銃剣術と称される訳にございますか」
「はい」
わしは腹を括る。
前世に叩きこまれた銃剣術だが、まだこの時代の日本には存在しない。
結果、当世ではこのわしが銃剣術の開祖に成りそうだ。
やれやれと思っていた所。
「若先生。泉州堺の願航様と仰られる方が、看板を担いでお見えになりました」
と、告げに来るものが有った。
「はうっ! 堺から? 看板を担いでって……道場破り?」
その声に、
「若先生。負けないで下さいませ。もう足代を支払う金子も無く、負けたら看板がかまぼこ板に成りかねません」
なんとも惨めな報告をする門人の声。
「と、トシ様を呼んで! それならお食事と、どうせ使う膏薬買いで許してくれるから」
摩耶殿は、あわあわと狼狽の声を上げた。





