軍の骨幹1
お陰様で100話目になりました。
●軍の骨幹1
兵は栄ある赤備えの名に愧じぬ実力を備えて居る筈だ。
そうわしは言った。しかし、話はここからだ。太平の世を過ごして来たために、思いつかない事がある。
「されど馬はどうでしょう?」
いったい何を言い出すのかと、お歴々の並びにざわざわと空気が揺れる。
「馬?」
いきなり意外な事を言われたのであろう。彦根中将様は首を傾げる。
「馬は元来臆病なもの。それを戦国の世は、鉄砲の音、大砲の音に慣らし、
弾丸雨飛の直中を突撃させたからこそ、天下の赤備えは無敵を誇ったのです。
今、この国は。鉄砲・火筒に怯まぬ馬を、いかほど備えておられましょうか?
煙硝は高価な物にございます。
権現様が成された偃武にて戦無き世となって以来、たまに撃つ弾が無いのが玉に瑕な有様では、恐らく一匹も居ないものと思われます」
わしが、太平の世では馬を鉄砲や大砲の音に慣れさせるほど沢山の火薬を使う事が出来なかったから、今戦いがあれば役に立つ馬は居ないと捲し立てると、
「常ならば、その言い方は何であるかと叱りつける所であるが」
そう彦根中将様は前置きし、
「無礼御免の場なれば、その道理のみを論ずべきであろうな」
そう言ってふぅと息を吐き出して、
「馬の事、至極尤もなり。
今戦わば、赤備え悉く徒と成り果てるだろう」
早々と馬を失って仕舞うだろうと、無念そうにわしの主張の一部を認めた。
「上様のご威令に臆せず堂々と物申し。今、当世の赤備えが瑕を示した長姫殿に問う。
対案はおありか?」
彦根中将様の声には、もうわしを数えの十の小娘と侮る色は無い。
ならばここは墨を践むべき。つまり、決まりに遵って事を進めるのが上分別と言うものだ。
「織右府様が桶狭間の大功をお立て遊ばした時、二十五であったと伺いました。
また我が祖が、彼の熊谷次郎直実殿が裔、祖先に勝る剛の者たる元直殿を討ち取ったは、弱冠二十歳の初陣に於いて」
意見を述べる前提として、東は信長公の桶狭間、西は元就公の有田中井手の戦い。
尋常の遣り方では負けて当然の戦いを、若者が引っ繰り返した例を挙げた。
今のわしには何の実績も無いのである。だから名高き武将の威を借りねば、根拠を示す事は出来なかったからである。
そしてわしは、
「無論。父母や師父の訓めと導きは有難きもの。世巧者たる老人の智慧は山と仰ぐべきもの。いずれも努疎かにすべきものにはございませぬ」
と、父母や師匠の教えを尊び、年寄りの経験や知恵を尊重する。つまり、居並ぶ方々を軽んじる訳ではないと明言した。
先ずご説ご尤もと承った後に、しかしながらと繋げる。
これは前世のわしが、下士官教育で教えられた上申の作法だ。
回りくどいがこれを守らずば抗命、つまり命令への反抗になって軍法会議まっしぐら。
軍法会議とは究極的には、事実を問わず真理を求めず、軍の規律と維持を重視するものであるからだ。
例えば、士官学校出の少尉殿がすぐさま手足の如く兵隊を指揮できる訳がない。また若いから経験不足で判断も甘い。
しかし、指揮官の判断一つが兵を殺しもし生かしもするのが戦場だ。
現場を良く知る古強者の下士官が、上官の判断では拙いと知ったる者が放置する訳には行かない。
作法は、こうした時に上官殿を貶めず過ちを正すと言う、軍の秩序を乱さない為の方便なのだ。
こうしてなるべく反感を買わぬ様、皆様のお考えも大事な物だと尊重の意を示した後、
「されど……」
いよいよ、わしは本題に取り掛かる。
これこそ言わねばならぬものなのだから。





