第六十二話 照れ屋のお隣さんとお人好しのお礼
しばらくすると涙が枯れたようで、俺はゆっくりと呼吸を落ち着かせていく。
和奏のほうを見ると、まるで愛おしいものを見るかのような優しい表情をしていた。
家族以外に泣いているところを見られたのは初めてで、少し恥ずかしくなった。
「ちょっとは楽になった?」
「ああ……ありがとう」
和奏から視線を逸らして答えた。
そんな俺の様子に和奏が少しだけ笑ったような気がした。
それから和奏が心配そうな声色で聞いてきた。
「修司はその時の人達を恨んだりしてるの?」
「あの時のことで絶望はしてたけど……そう言われると、どうなんだろうな。一つだけ言えるのは……もう関わりたくないな」
「……そっか」
和奏は短くそう言うと、ベランダにもたれ掛かるようにして外を眺めていた。
その横顔は少し残念そうで、寂しそうなものだった。
「……和奏は恨んでいるのか?」
「まぁ……前は思ってたかな……今が楽しいからいいんだけどね。でも……もしあの時の人達と会ったら、怖いなって思っちゃうかな」
和奏は少し強張りながら苦笑いをした。
和奏は今でもトラウマのようなものになっているのだろう。
その時、和奏がふざけて俺に言った言葉を思い出した。
「もし、その時の奴らに会っても気にするな……約束通り俺が守ってやる」
「えっ?」
和奏はキラキラした目で、こちらを見ている。
そんな和奏を見て、俺は心の中で今言ったことをなかったことにしたいと思った。
「……今の聞かなかったことにしてくれ」
「できないです~。前は私から押しつけた感じだったけど、今回は修司から言ってくれたからね? 言質もらったからね?」
和奏は何がそんなに良かったのか、嬉しそうに笑っていた。
そんな和奏の様子に少し呆れるが、こんなやり取りが良い意味で馬鹿らしく、俺達はしばらくお互いに少し笑い合った。
それから先程までの暗い雰囲気はなくなって、和奏が俺の体質の話で疑問に思ったことを聞いてきた。
「それだけ人の為に動いていたら、修司のことを好きになる人とかいなかったの?」
「まぁそうだな……とことん他の奴に好意を向けてたな」
「え? それじゃ修司に好意を向けた女の子って誰もいなかったの?」
「……ああ。まぁこんな見た目も普通で、秀でたところが何もない奴を気になる奴なんてそういないだろ」
「ふっ……ふーん。それじゃあ、その時に修司が好きだった女の子とかはいたの?」
「……うーん……いなかったなぁ」
「そっ、そうなんだ……」
和奏は何か考えているように短く返してきた。
少し気になって和奏の方を見ても、半纏の両袖で顏を隠しており、表情がわからなかった。
しばらくして、和奏は顔から両袖を退けて驚きながら、不思議そうに聞いてきた。
「えっ、一人も? 幼馴染の子は?」
「朝倉はただの幼馴染で、それ以上でも以下でもない。というか子供の頃からこの体質だったから、自分をドラマとかで言う脇役だと思ってた。そんな考えもあって、恋愛というものに興味がほとんどなかったな」
「子供の頃からって、もしかして小学校とかから?」
「そうだぞ? まぁ小学校の時なんかはヒーロー気取りで、何でも首を突っ込んでたからな。助けた奴が他の奴と仲良くなるなんて気にしてなかった」
「えっ修司が? 何それ、ちょっと見てみたい」
「勘弁してくれ……夢を追いかけていた純粋な時だったんだ……」
和奏が真顔でそんなことを言ってきたため、俺は驚きつつ昔の自分を思い出しながら、恥ずかしさで和奏の要求を断った。
恐らく実家の家になら、アルバムがいくつかある気がする。
子供の頃、母さんが良く写真を撮っていた覚えがあるからだ。
「ぶーケチ……」
「はいはい。ケチでいいからそろそろ部屋に戻るぞ」
和奏は残念な様子で、不満そうに部屋に戻ろうとした。
その時に俺は、ちゃんとお礼を言えてないなと思い、和奏を呼び止めた。
「和奏」
「ん? どうしたの?」
和奏は顔だけ俺のほうを向けて、不思議そうに聞いてくる。
俺は一呼吸入れて和奏に言った。
「今日は本当にありがとう。和奏がお隣さんでよかったよ」
「っ……」
俺は自分なりに感謝を込めた笑顔でそう言うと、和奏は俺の方を見たまま驚いていた。
「……最後にそんな笑顔……ずるい……」
その後、すぐに顔を逸らして何かを呟いていた。
その呟きの内容は俺に聞こえず、疑問に思って頭を傾げていた。
すると、和奏は勢いよく俺のほうを向いた。
「どういたしまして!」
少し怒ったようにそう言って、和奏は部屋に戻って行った。
最後に見せた和奏の顔は赤く染まっていたように見えた。
「結構照れ屋だよな。あのお隣さん」
俺は笑いながら、そう呟いて部屋に戻った。