第六十話 お隣さんの覚悟
俺は帰宅してからすぐに飴を咥えながらベランダに出て、朝倉との会話を思い返していた。
結局……誰が悪かったのか。
そんなこと考えれば、悪いのはそうなるまで気づかなかった自分だ。
朝倉があんなにも自分を責めることもなかったのではないか、琴吹先生にも迷惑をかけることもなかったのではないか。
そんな風に悩んでいると、考えはどんどん悪い方向へ進んでしまう。
色々と思い返してる内に何故か悔しくなり、半分くらいになった飴玉を噛み砕いた。
「今日は疲れたからここにいるの?」
丁度飴玉を噛み砕いたところで、和奏が声を掛けてきた。
グレーのスウェットに赤い半纏を着ていて、どことなくシャンプーなのかトリートメントなのか、甘い香りがしてくる。
どうやら、和奏は風呂に入った後らしい。
「……そういうわけじゃない」
「じゃあー……気を使って遊んでたから、ストレスが溜まったとか?」
「そんな嫌な奴になったつもりはない」
それから和奏は俺がベランダにいる理由を予想して、色々な理由を聞いてくる。
なぜ和奏がそんなことを聞いてくるのか見当もつかないが、俺は予想した理由に対して全て違うと言っていく。
「なんでそんなに色々聞いてくるんだ? たまたまベランダに出て、外の空気を吸っているだけじゃだめなのか?」
「……うーん、それもそうね。じゃあ、これで最後にする」
「なんだ?」
「ドリンクバー近くのテーブルで、女の子が修司に謝ってたのはどうしてなの?」
「っ……」
和奏の質問に言葉が詰まってしまう。
俺は和奏を見れず、俯いて何も言えなくなってしまった。
そんな無言の俺を見て、和奏が話しかけてきた。
「……そっか。じゃあ、私の話を聞いてもらってもいい?」
「……話?」
「うん。私が自分を偽って、なんで学校生活を送っているのかって話」
俺は朝倉との会話を深く聞かれるものだと思っていた。
だが、予想と違って、和奏は優しそうな顔でそう言ってきた。
緊張をほぐすように一回だけ深呼吸をしてから、和奏は自分の話を始めた。
「私ね……今まで友達って呼べる人がいなかったの。小学校の時から女の子からは嫉妬や逆恨み、男の子は私を弄って遊んでる。今思えば男の子達は、好きな女の子に意地悪したかったみたいな気持ちかもしれないけどね……。あの頃の私はそれがものすごく辛かった。でも、その時はお姉ちゃんがいたから頑張れたの」
話を聞きながら和奏のほうに顔を向けると、和奏は外の景色を見ていて悲しそうに笑いながら話をしていた。
「小学校を卒業してから、またそんな思いをするのは嫌だった。だから私は、中学で自分を偽るようにしたの。出来るだけ丁寧に、誰にでも分け隔てなく接する優等生……最初は上手くいってた。でも、だんだんとまた嫉妬や逆恨み、それに今度は男の子の下心が見えてきた。我慢できなくなった私は素がバレちゃってね……また小学校の時と同じ。ううん、それよりもひどかったかな……」
そう言った和奏は自嘲気味に笑っていた。
そうか……だから黒嶺先輩の話を聞いて顔色が変わったのか、自分がいじめに近い経験をしてるから……。
俺はその時の和奏の気持ちを考え、後悔や自分に対しての怒りが溢れる。
それらを我慢するように下唇を噛んで耐えた。
「それからはなんとか卒業まで耐えたの。卒業したら近くの高校じゃなくて、遠いところに行こうと思ってたから。その時失敗したことを振り返って、もう一度誰にでも分け隔てなく接しようって。だから今度は失敗しないように……女の子には一定の距離を保ちながら、男の子には壁を作るようにしたの」
「……奏子さん達に話したりはしなかったのか?」
「お祖母ちゃん達には小学校の時から話してなかったの。玲香お姉ちゃんは中学校が違ったから相談できなくて……お祖母ちゃん達に本当に感謝してたから、二人にどうしても迷惑をかけたくなかった。でも結局……実家から離れた高校で一人暮らしをしたいって言って、迷惑をかけちゃったんだけどね」
和奏はそこで少し話すの止める。
過去のこと思い出しているのか、目を瞑って俯いたまま何も話さない。
そんな和奏に俺はなんて言えばいいのかわからず、言葉が出ないでいた。
しばらくすると、和奏が勢いよく頭を上げて、先程までの悲しそうな表情とは違った表情になっていた。
「でも高校に入ってから、今までと全然違って私楽しいの! 昔から仲が良いお姉ちゃんがいて、こんな私とずっと付き合ってくれている一之瀬さん。ちょっと頭が残念なところはあるけど、いいムードメーカの赤桐君。でも一番の理由は……」
和奏が風で髪をなびかせながら、俺のほうを向いた。
「こんな私との約束を守ってくれている、お人好しのお隣さんのおかげかな」
部屋の明かりが綺麗な金髪を光らせる。
その髪を手で払いながら見せた優しい笑顔は、本当にどこかのお嬢様のようだ。
その和奏の姿は、今まで一番綺麗だった。
それから和奏はその表情のまま、しばらく俺を見ていた。
それは俺を助けたいと言っているように思える雰囲気だった。
おそらく今の話は、和奏なりに俺の話を受け止める覚悟のようなものだと感じた。
「……面白くない……話だぞ」
「大丈夫だから」
俺は一度深呼吸をし、気持ちを落ち着かせてから話し始めた。