第四十二話 お隣さんと振り返り
最後の黒嶺の言葉が俺に深く突き刺さり、少し自己嫌悪に陥る。
中途半端に人と関わるから他人に迷惑をかけるのではないか、何もかも俺のせいなのではないか。
黒嶺が出て行った方向をじっと見ながら、そんな考えが頭の中を埋め尽くしていく。
そのままじっとしていると、懐で何かが暴れているような感じがした。
「ん~! んーーー!」
暴れているのは、口元を塞がれて涙目になっている神代だった。
すぐに口元から手を離してやると、神代は大きく息を吸う。
「すぅー……はー……殺す気!?」
神代は振り返ると、顔を真っ赤にしていた。
「いや、そんなつもりでは……」
「普通鼻まで塞ぐ!? 呼吸困難で死ぬかと思ったんだけど!?」
どうやら神代の口だけを塞いでいると思ったら、鼻まで塞いで息ができないようにしていたらしい。
「なんていうか……すまん」
「ふん!」
神代は俺の謝罪に納得がいってないのか、そっぽを向いてご機嫌斜めだ。
「……って! そんなことはいいのよ! なんで黒嶺先輩を行かせたの!?」
神代は思い出したように、黒嶺を引き止めなかったことを聞いてくる。
いや、そんなことって……怒ってたのお前だからな……。
神代の様子を見ていたら、先程まで考えていたことが阿保らしくなって、軽くため息をつく。
「はぁ~……なんというか、手を引いてもらうのが目的だったからな」
「なんで!? 写真と音声を証拠として、先生達の前にあの女を突き出せばいいじゃない!」
「……写真はいじめられているところで、音声は三人の嘘ですって言われたらどうするんだ」
「それは……」
「先生達は、黒嶺と三人のどちらが嘘をついているかなんてわからないからな。結局、表面上の注意だけで終わるだろうよ」
「……ん~!」
神代は納得がいってないようで、俯いて唸り始める。
「咎められるところがあるとするなら、一之瀬に対する暴言くらいだろう。それを先生達に伝えたところで、ちょっとした小競り合い程度の扱いしかされないだろうけどな」
「……天ヶ瀬君はこれで納得できるの?」
神代は俯いたまま、聞いてくる。
「納得できるかと言えばできていないぞ。だが、向こうが手を引いてくれるようにするしか方法がなかったからな」
「……そうなの?」
「ああ、そのために脅すようなことを言った。俺達が引かない姿勢を見せなかった場合、向こうに引く理由がないからな」
「え? じゃあ、このボイスレコーダーは必要なかったんじゃないの?」
「それは俺達が引かない理由を作りたかったんだ」
神代はよくわかっていない様子で眉間に皺を寄せて、頭を傾げている。
「ただ単にお前は嘘をついている、これ以上幸太達に関わるのは許さない。なんて言ったところで、どうして? と返されてお終いだからな」
「つまり、この音声があるから黒嶺先輩の目的を今後邪魔しますよって言いたかったってこと?」
「そういうことだ。それでも幸太が欲しいと思われていたら、引いてくれなかっただろうけどな。本当に引いてくれて良かった」
神代は納得して頷いている。
いや、軽くでも頭を振らないでくれ……。
かなり近くにいるから、その女子特有の香りが鼻をくすぐるんだが……。
神代は振り返っただけで、その場から離れていないため、未だに俺の懐の中に立っている。
なんとか冷静さを保って説明していたが、それも限界を迎えて自分の顏が段々と熱くなるのがわかる。
「……すまんが……その……そろそろ離れてもらってもいいか?」
「え……?」
神代が急に顔を見上げると、至近距離で目が合ってお互いに固まってしまう。
恐らく俺もだろうが、神代の顔が真っ赤に染まる。
「きゃあああ!」
「っ!」
神代は恥ずかしさが限界突破したようで、大声を出しながら両手で俺を押して突き飛ばす。
神代の突き出した手は、運悪く俺のみぞおちに入ってしまった。
俺はよろけながら離れると、近くの机に寄りかかってむせた。
「ご……ごめんなさい!」
「……いや……すぐに言わなかった俺が悪い……気にするな」
俺の言葉が聞こえていないのか、神代が顔を真っ赤にしながら平謝りしている。
その間に、なんとか呼吸を整えていく。
「本当にごめんなさい……大丈夫?」
「ふぅ……まぁ慣れてるから心配するな」
心配そうにしている神代の方を向いて、そんな風に言う。
だが、神代と目を合わせると先程の距離を思い出して、視線を逸らしてしまった。
しばらく恥ずかしさで何も話さない静寂な時間が続いた。
どのくらい時間が過ぎたのかわからないが、最初に口を開いたのは神代の方だった。
「……結局、黒嶺先輩はどうやって赤桐君を奪うつもりだったんだろう」
「……さぁな。だが同情を誘って、幸太や一之瀬からの信頼を確固たるものにしようとしていたのは確かだな」
恐らくそうやって幸太達と関わるうちに、黒嶺先輩のことを周りの奴らが聞いてくる。
幸太達の話から可哀想な先輩ということで同情を得られば、あとは自然に関われる立場を作り上げられる。
黒嶺先輩は、そこまで考えていたのだろう。
「……でも信頼を得たからって、あの二人を引き離すなんてことできないと思うんだけど」
「別の奴を使えばいい。例えば黒嶺が信頼している、一之瀬のことが好きな男を連れてくるとかな」
「もしかして、その人を使って赤桐君に不信感を抱かせるの?」
「それだけじゃ済まないんじゃないか? 信頼されているなら、幸太の奴と二人きりなるような状況も作れる。 それで周りの奴ら経由で、一之瀬に不信感を抱かせるみたいな」
神代は恐怖と怒りが入り混じった複雑な顏をしている。
「漫画とか小説とかで時々ある、仲が良かった友達が自分の彼氏を横取りしていったみたいな。今回はそれによく似たパターンだ」
「……人って怖いね」
「……そうだな」
俺が同意をすると、神代は今回の件について自分の中で思うことあったのか、黙ったままでいる。
「帰るぞ」
「へ?」
神代は急に声をかけられたため、驚いて変な声を出した。
それが恥ずかしかったのか、すぐに両手で口を塞いでこちらを睨んでいる。
「このまま、こんなところに残っていても気が滅入るだけだ」
そう言って俺は帰る支度をする。
神代は俺の行動を見ているだけで動こうとしない。
「おい。帰るぞ」
「えっ、もしかして一緒にってこと?」
「……他にどういう意味があるのか、俺が聞きたいんだが」
「ちょっ、ちょっと待って! 鞄が生徒会室にあるから!」
慌てた様子で、神代は教室に鞄を取りに行った。
そんな神代を見て少し笑ってしまうが、今回の件でかなり神代に助けられてしまった。
何かお礼をしなければと考えながら、神代の後を追って歩き始めた。