第二話 兄を好きな妹なんか存在しない
「まじでありえない……こいつと同じ家で生活とかもう我慢できない!」
おいおい妹よ……数年ぶりの実の兄に対する言葉がそれですか。
栗色の髪の毛で綺麗なツリ目。
引っ込むところは引っ込んでおり、出るところは一般的に出ているという体系の妹である天ヶ瀬沙希は、親の仇を見るような目で俺を睨んだ。
ちなみに俺が何かしたらしいのだが、皆目見当もついていない状況である。
「ちょっ……待て! 俺が何かしたのか沙希!」
「口開くな! あたしの名前を呼ぶな! 穢れる!」
想像してたよりも俺の扱いがひどい。
ちょっとした思春期なのかなと思いましたよ。あのお父さんの服と一緒に自分の服を洗濯したくないとかそういったものかと思いましたよ。でもこれは違うね、うん。完全に嫌われてますね、はい。
「ちょっとー何騒いでるの」
激怒している妹とたじろいでいる俺の前に現れたのは、二十代と言われてもおかしくない容姿をした母の天ヶ瀬沙奈だった。
いつもふんわりとした雰囲気で、誰から見ても優しそうだと言われる。
実際怒ることなどめったにないが、怒らせると家族の中で一番怖い。
笑顔なのにも関わらず、目だけが笑っていない顏で声色も淡々と怒ってくるのがたまらなく恐ろしい。
「お母さん! こいつが私の友達とすれ違ってしかも挨拶までしたの!」
いやいや、家の中ですれ違ったら挨拶くらいするだろ普通。てか挨拶してきたのお前の友達なんだが。
「あら修司、ちゃんと挨拶できたのね。コミュ障なのにお母さん嬉しいわ」
「いや、挨拶くらい誰でもできるよ」
「だから私がいる前で口開くな! 空気が汚れる!」
もうほんと実の兄の扱いが完全に汚染物と同じ……やばい泣きそう。
「だいたい私の友達が来てる時に部屋から出るなって、ずっと前に言ったじゃん!」
いや、妹よ。できる限り部屋から出ないようしてるが、お前の友達が来ているのなんかこっちは知らないし、俺だって人間なのだよ。腹も減るし糞も出るのだ、お手洗いくらい勘弁してくれ。
「沙希ちゃん、言い過ぎよ。修司だって人間だもの限度ってものがあるのよ」
母上、それはそれで俺の扱いがひどい気もするのだが。
「だったら挨拶なんかしないで、無視してもよかったじゃん!」
「あら、お母さんは自分の子供が挨拶のできないような子に育てた覚えなんかないわよ」
さっき自分の息子が挨拶できたことに驚いてたよね!? ちょっとコミュ障だからって挨拶できないと思ってたよね!? どこから出てきた今の言葉!!
「でも!」
「もう沙希ちゃんは思春期なんだからぁ、でもちょうどいいわね。今日は少し話したいことがあるの。お夕飯のときにお話しするから忘れないでね二人とも」
そう言って母さんはキッチンの方に向かって行った。
それから目の前に視線を戻せば沙希が鬼の形相でこちら睨みつけ、踵を返して自室に戻っていった。
「……こんなの自然災害みたいなもんにあったとしか思えんな」
俺はため息交じりにそう呟いて、夕飯までの数時間を部屋で本でも読むことにした。
夕飯になり四人で食卓についていた。
基本的に食事中は一言も会話がない。
いつだったか俺が父さんと会話していた時に、沙希が途中で食事をやめ退室した。
それ以来、食事中に会話をすることがなくなった。
話をするにしても、食後に俺が退室した後か、沙希が退室した後だ。
お茶を飲みながら両親は俺と沙希のどちらかと会話することはあった。
ということで四人で話すのは数年ぶりということになる。
「司さん。お茶をどうぞ」
「ん、ありがとう沙奈さん」
今、母さんが呼んだ名前が俺の父である天ヶ瀬司。
見た目はどこにでもいる普通の男性で、口数は少なく寡黙である。
しかし、言葉の感じからは相手に対する思いやりなどが伝わってくる優しい人だ。
少し会話が詰まることがあっても、相手のことを考えて言葉を選んでいることがわかる。
父さんはお茶を一口飲むとゆっくりと話し始めた。
「お前たち二人の仲が悪いの前から知っていた。その件で話をしようと思う」
「何? 私がこいつと仲良くしろとでもいうの?」
「そういう話ではないが、今日のことについては沙希。お前が悪い、まずは修司に謝れ」
「なんでこいつなんかに」
「沙希ちゃん?」
「絶対やだ」
「まぁいい。このままだと今日のような問題が起きてもおかしくないと前々から考えてはいた。そこでだ修司、お前はこれから一人暮らしをしなさい」
ゆっくりとした口調で父さんは俺にそう告げた。
「あー俺はそれでもいいけど、こいつのほうが一人暮らししたいんじゃない」
普通に考えて思春期の若者にしたら、一人暮らしは憧れである。
俺としてはどうでもいいことなんだが、一応お兄ちゃんだからな!
「沙希は今年から高校生でしかも通う学校もお前のところに比べたら近い。一人暮らしするまでもないだろう」
確かに俺の学校である桜花高校は、電車やバスを使って家から一時間はかかる。
一時間もあれば、移動時間でなんでもできるため特に気にしてはいないが。
沙希のほうは……まぁ気にするまでもないか。俺の予想が正しければ、特に一人暮らしに執着することも言わないだろう。
「私はこいつと同じ空間じゃなければなんでもいい」
まぁそういう反応だよな。こいつにとっては、むしろ実家から離れるのは嫌だろうからな。
「決まりだな。修司、この春休み中に引っ越してもらうが構わないか?部屋に関しては父さんのほうで決めたが」
「問題ないよ。希望があるとすれば俺のほうでアルバイトでもするから、家賃が高くても本が多く置けるように少し広い方がいいくらいかな」
「ああ。それも考慮して考えてあるから問題ないだろう」
「ありがとう、父さん」
「それと家賃に関しては気にするな。こっちから頼んでいることだからな。引っ越しは今週中で特に問題ないだろう?」
「それで大丈夫だと思う。明日から準備するから」
そう言って、俺はそそくさ自分の食器を片付けて自室に戻った。