第百三十三話 一泊と父親譲り
皿洗いを終えて少し会話に参加していれば、時間は二十時近くになっていた。
「そろそろ、帰るか」
俺がそう言うと、和奏が時計を見た。
「もうこんな時間になってたんだ」
「夕飯後に話してたら、こんなもんだろ」
俺は立ち上がって帰る準備をしようとすると、沙希が驚きながら聞いてきた。
「えっ、泊まらないの?」
「元々日帰りの予定だったからな」
「なんで? 明日予定でもあるの?」
「いや、特にないけど」
元々は沙希との関係が悪かったため、日帰りの予定にしていた。
それが今は解消されているとなると、特に日帰りで帰る理由はない。
だからといって、いきなり予定を変えて一泊するとなると、色々と母さんに迷惑が掛かると思った。
「いきなり予定を変更して泊まるってなったら、客室の用意とかできてないから母さんに迷惑が掛かるだろ」
「一応用意してるわよ~」
「ほら、母さんもこう言って……え?」
母さんから予想と違った言葉が出て来て聞き返してしまった。
「母さん、今なんて?」
「和奏ちゃんが寝るところ用意してあるって言ったわよ?」
母さんは笑顔でそう言った。
「なら、泊まって行けばいいじゃん」
母さんの言葉を聞いた沙希は、俺の様子を不思議に思いながら泊まるように言ってくる。
「いや、家が良くても和奏が何も準備してないだろ」
「あはは、まぁそうだね」
和奏が少し困った様子で苦笑しながら答えた。
「服は私のを貸せると思うけど……上だけ小さく感じたら、兄貴の服を借りればいいんじゃない?」
「そうね~。私も沙希ちゃんも小さいから」
「和奏さんはシャンプーとかこれじゃないと駄目みたいなのありますか?」
「と、特にないかな」
時に和奏に聞きながら、二人は着々と一泊した場合の懸念点を潰していた。
これは完全に泊まる流れだな……。
俺は二人に聞こえないように和奏に謝った。
「すまん、こうなると思ってなかった」
「わ、私は別にいいんだけど、迷惑じゃないかな」
和奏は戸惑いながら心配そうにそう言うと、その言葉が聞こえたのか父さんが静かに笑って答えた。
「迷惑であれば、沙奈さんも沙希もこんな楽しそうにしないから、気にせず泊まって行けばいい」
「っ、ありがとうございます」
父さんに言葉に、和奏はお礼を言って返した。
それから一番風呂は客人ということで、和奏が入ることになった。
結局、上の服は沙希のものが小さく俺のものを借りることになって、サイズの合いそうな服を探していた。
「サイズ的に良さそうなものか」
「少し大きめでも大丈夫だから、そんな気にしなくていいよ」
「と言われてもなぁ……お、これとかどうだ?」
和奏には少し大きめではあるが、俺からすると少しサイズが小さく感じるシャツを見つけて和奏に渡した。
和奏がそれに袖を通してみると、丁度良さそうだった。
「うん、大丈夫そう」
「なら、よかった」
俺は丁度いい服が見つかって安心していると、和奏が少し悩んだ様子で呟いた。
「本当に泊まってよかったのかなぁ」
「まだなんか気にしてるのか? あの二人が乗り気になったら諦めたほうがいい」
「でも、妹さんとの仲が元に戻って、久しぶりの家族団欒を邪魔してないかなって」
「和奏を呼んだのは母さんだし、あとその気持ちは和奏の家に泊まった俺も感じてたぞ」
「そ、それは……」
俺がそう言うと、和奏は気まずそうな顔になった。
「まぁ実家のように寛いでくれよ。これは和奏の家族も言ってたけど、俺の家族も皆同じように思ってるからさ」
「そっか、そうだね」
和奏は俺が和奏家に行った時のことを思い出したのか、少し笑いながらそう答えた。
「あとは、まぁこれは俺だけが思ってることだけど、和奏が素で楽しんでくれたらいいなと」
「えっ! えっと、うん。楽しい」
「それなら和奏を連れて来てよかった」
俺が笑ってそう答えると、和奏は何故か少し恥ずかしそうに顔を赤くしていた。
「……急に良い笑顔になるのずるい」
「なんだそれ? 良かったと本当に思ってるんだから別にいいだろ」
「……さっき思ったけど、そういうところは修司ってお父さん似だよね」
「急になんだ?」
「別に何となくそう思っただけ、お風呂行ってくるね」
「あ、おい! 浴室の場所は!」
「沙奈さんに聞くから大丈夫! 時々……急なんだよなぁ」
和奏はそう言って、何かをぼやきながら行ってしまった。
俺、何か機嫌を損ねるようなことを言ったか?
さっきの会話を思い返してみるが、特に変なことを言った記憶はなかった。
その思い出していることの中で、ある和奏の言葉が頭の中で繰り返された。
楽しい、か……。
和奏の口から楽しいということを聞けて、俺は安心すると同時に嬉しく思った。
「兄貴、お母さんが明日のことを話したいから来てほし……何で一人でにやけてんの、気持ち悪い」
「あ、え? 俺、にやけてるのか?」
「自分の口角が上がってること、気付いてないの? なんか不気味だよ」
近くにあった鏡を見ると、沙希の言った通り少しにやけている自分の顏が鏡に映った。
「何か良いことがあったのか知らないけど、お母さんが呼んでるって伝えたよ」
そう言って、沙希はリビングに戻って行った。
鏡で見た俺の顏は確かに少し不気味なものだったけど、もう少しオブラートに包んで伝えてくれてもと思いながら、俺もリビングに向かった。