第百二十九話 妹のお礼とお隣さんからの説教
「私がいる意味は……なかったかな?」
沙希が泣き止むと、和奏が少し困ったように笑いながらそう言った。
「いや、そんなことないぞ。和奏がいなかったら……俺は弱いから、ここに来れなかったと思う」
「そうかな? 修司なら、きっと来れたと思うよ」
和奏は優しい笑みで、そう言ってくれた。
和奏と俺がそんな会話を交わすと、涙を拭き終わった沙希が和奏の下へ近づいて行く。
「あの……」
「ん? どうしたの?」
「病院で会った時は、まだ心の整理がついていなくて。ずっと……あなたにお礼を言いたかったんです」
「えっ!? お礼って言われても、あの時に助けてもらったのは私だから、お礼を言われるようなことはしてないけど?」
「兄が変わったのは……心の支えになっていたのは、和奏さんのおかげです。兄を助けてくれて……本当にありがとうございます」
「え! 頭なんか下げないで大丈夫だから、ね!?」
頭を下げた沙希を前に、どうしたらいいのかわからず和奏は戸惑っていた。
そんな和奏の様子を眺めていると、微笑ましく感じる。
すると、和奏は和んでいる俺に気付いて軽く怒ってきた。
「ちょっと! 一人で和んでないでっ、ていうか! こういう時に和む立場なのは私じゃないの!?」
「いや、すまん。でも、こうやって沙希と和解できたのは、和奏のおかげだから感謝してる」
「私のほうが色々もらってばかりで、感謝してるんだけど!?」
続けて俺が和奏にお礼を言うと、和奏は照れながら変な怒り方をし始めた。
その様子に軽く笑いそうになってしまう。
「兄貴、ちょっと面白がってるでしょ」
沙希が頭を上げると、俺に対して呆れた表情をしていた。
沙希の言葉を聞いた和奏は、頬を膨らませながら顔を赤くしていた。
「修司ぃ~!」
「いや! 俺も本当に感謝してるって!」
それから俺は何とか言い訳をしながら、和奏を宥めることになった。
和奏の怒りが落ち着いたところで、沙希が何処か懐かしそうに街の景色を眺めていた。
「どうした?」
「三人でこの景色を見るのが、なんか懐かしいなって」
「まぁ……そうか」
何処か思い耽る沙希を見ながら、俺は少し複雑な心情になった。
「三人って、あと一人は?」
沙希の言葉が気になった和奏が聞いてきた。
「……朝倉だ」
「あっ……」
俺が名前を出すと、和奏は少し気まずそうな反応をした。
和奏に気を使わせたいわけではなかったので、俺はすぐに言葉を付け足す。
「といっても、小学校の高学年なった頃には三人で来ることはなかったな」
「うん。そのくらいから、兄貴は琴葉お姉ちゃんと話すことが減ったからね」
「クラスも別だったし、疎遠ではないけど何となく距離が空いていったからな」
その頃から何となくお互い話す事が少なくなって、いつの間にか距離が空いていた。
普通に会えば一緒に登下校したりしてはいたが、それ以外は遊ぶことも少なくなっていた。
そのため途中から、同性で歳も近い沙希のほうが、俺よりも仲が良かったと思う。
また話すようになったのは中学で同じクラスになってからで、海斗を含めて三人で話すようになった。
「その時くらいは、沙希のほうが仲が良かっただろ? 二人でここに来たりはしなかったのか?」
「兄貴とあんまり変わらないよ。話題が合うから、そう見えたんじゃない? 今は嫌いだし」
「そうだったのか……」
「そっ……そうなんだ」
沙希は嫌悪感を剥き出しのまま、そう吐き捨てた。
そんな沙希の様子に、和奏と俺は気まずくなる。
海斗達との言い合いを聞いた感じ、恐らく沙希は朝倉が全部悪いとは思っていないだろうけど、あの時の朝倉が許せないのだろう。
自分でもモヤモヤしていることなので、沙希の気持ちはわかる。
しかし、今の沙希は酷い表情で、もう少し穏やかにできないものかと思った。
その時、丁度ここに来たもう一つの目的を思い出した。
「沙希。もう今日みたいな危ない真似するなよ?」
「……う」
俺が注意すると、沙希が気まずそうに言葉に詰まっていた。
素直に受け入れる言葉が出てこないところを見ると、少し不満そうな感じがした。
「あのなぁ……もし本当に危ない奴で刃物とか持ち出したら、大怪我するかもしれないんだぞ? もしそんなことになったら、お前の友達も俺達家族も、皆が悲しむんだからな」
「わっ、わかったから……」
沙希を納得させるために言葉を並べると、申し訳なさそうに承諾してくれた。
俺は安心して、肩の力を抜いた。
すると、沙希が少し怯えた様子で俺に言う。
「けど、兄貴さ。後ろ見たほうがいいよ」
「後ろって何が……」
振り返れば、和奏が綺麗な笑顔の後ろに般若を添えていた。
その笑顔を見てしまった俺は、季節的に暑いはずなのに寒気がした。
「修司? 今妹さんに言ったこと、もう一度復唱できる?」
「いや、あの……」
「ほら、早く」
「もっ、もし本当に危ない奴で刃物とか……あ」
沙希に言ったことの冒頭を復唱しただけで、和奏が何を言いたいか気づいてしまった。
可能性の話として話していたが、全て自分が経験していたことで、お前が言うなという話だ。
「何? 続きは?」
「いや、その……自分と同じ失敗を沙希にしてほしくないということで……」
「うんうん、それで?」
「本当……心配かけてすみません」
終始笑顔の和奏に平謝りする俺。
そんな構図を見ている沙希は、声を殺しながら必死に笑いを堪えていた。