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第6話 ちがいます! 私はあなたなんて知りません!

「……失敗、しちゃった……」



 すっかり暗くなった室内に明かりを灯すことなくベッドに飛び込んだ。枕に顔を埋めて感情を流そうとするが、瞼の裏に焼きついた深海の瞳が離れない。

 泣きそうに溜まった小さな海が、それでも少女の強い意思によって留まっているのは、言われなくても分かっていたのに。



「……大人気ない。ただの八つ当たり、だよね……」



 事実をはっきりさせようという思惑はあった。

 けれど、もっとトゲのない言い方だってできた。

 私は大人だ、それくらいできるはず、だった。



「……ほんと、最低だ、私……」



 枕を握りしめる両手が震える。

 彼女だって覚悟が必要だっただろう、怖かっただろう。あの子もまだ、庇護されるべき子ども。

 一方的に責め立てていい理由はない。



「……明日。朝になったら、ちゃんと、謝る」



 ……だから、今だけは。一晩経ったら、きちんと大人になるから。


 今は心の中が強い感情で吹き荒れて、冷静さを保てない。

 やり場のない激情が腕を伝って、手に力が入る。

 爪が皮膚を食い破ろうとしていたけど痛みは感じなかった。



「お前馬鹿か? 痕が残るぞ」


「……そんなの、あなたに関係な、い…………っ!?」


 すぐ近く──もっと詳しく言うならベッドの上、私の真隣から。

 知らない男性が、呆れたように溜息を吐く。

 慌てて跳ね起きるが男性の行動の方が一足早く、力を込めていた両手を掴まれてしまう。



「なに!? はなして!」


「あーあーうるせえな! ぴーぴー鳴いてねえで大人しくしてろよ!」


「やだ、何するの……!?」



 精一杯ばたばたと暴れてみるが、その抵抗も男の腕力にかかれば赤子の手を捻るのと変わらないらしい。

 あっさりと片手で両手首を縫い止められてしまう。両足の間には筋肉のついた男の足が差し込まれ、僅かな身動きも許されない。

 ベッドの天蓋と、覆い被さる男だけが視界を埋める。

 差し込んだ月明かりが、その顔を照らし出した。



「……あなた、誰?」



 ──やはり、知らない顔だ。あの広間にいたどの兵士とも違う。


 肌はほんのりと浅黒く、淡い髪色が多かった王都の人間に対し、この男の髪は黒く太い。

 耳を彩るピアスが動くたびに揺れながらほんのりと白銀に光り、暗い室内に星明かりを宿す。

 纏う衣服はギリシャ神話の神々を模したような純白の貫頭衣。しかし胸元はゆったりと開いており、その引き締まった上半身を惜しげもなく晒している。かといって、その衣服は決して簡易なものでもなくて。ふんだんに使われた白布には白銀の糸で刺繍を、腰周りや首元には金の装飾具が彩りを添え、異国の王だと言われてもおかしくない上等な身なりだ。


 切れ長の瞳は、こちらに対する興味を乗せた銀色。

 口角は、面白いものでも見ているみたいに持ち上がっていた。



「誰って心外だな、さっきも助けてやっただろ?」


「……さっき? 生憎、あなたとは初対面だから」


「そんなつれないこと言うなよ、3日も一緒に寝た仲だってのに」


「……は? 意味がわからな……っ!」



 続くはずの言葉は、息つく間もなく降ってきた男の唇に飲み込まれた。

 無防備に開いたままの隙間に、熱い舌が捩じ込まれる。



「ふ、んぅ……っ、」



 歯列を、舌の裏を、荒々しくなぞられるたびに勝手に体が跳ねる。

 まともに恋人などいなかった私に抗う術などなくて、息もうまく吸えないまま頭の奥が痺れていく。



(……なに? なんで、こんな……!)



 抵抗の言葉も力も全て絡め取られてしまう。


 未知の感覚は思考に靄をかけ、体の芯を甘く溶かしていく。

 ちゅう、と軽く啄むのを最後に唇は離れていったが、空気を肺に送り込むので精一杯。逃げ出すほどの力は残っていなかった。



「……ったく、あのヤローに味見なんてされやがって」



 何のことか問うまでもなく、数時間前の襲撃のことだ。シルキーピンクの魔女に痛めつけられた記憶の方が濃いが、確かに唇に触れた柔らかな感触を覚えている。


 でも、何故彼がそのことを知っているのか、何故苦々しく言葉を噛みしめているのか。

 白みがかった思考ではうまく答えを見つけ出せない。



「うまく飲み込めよ?」



 懐から何かを取り出した男は、そのまま呆然と開いたままの私の口内へ放り込んだ。文句を言う時間すら与えられず再び唇を塞がれ、その何かを喉奥に押し込んでくる。


 薄暗くて何を飲まされそうになっているのか検討もつかない。けれど逃げることもできずに、錠剤ほどの大きさの粒を飲み込んだ。



「……けほ、あなたっ……!」


「よし、ちゃんと飲んだな」


 ようやく喋ることに口を使えるようになって男に詰め寄るがどこ吹く風。無理矢理飲み込んだせいか違和感はあったが、今のところ体に異変はない。……遅効性の毒ならわからないけれど。



「いったい、何を……!」


「何って、『契約』だろ?」


「……けいやく?」



 頭の中を引っかき回すが、そんな単語を聞かされた覚えはない。



「なんだよ、まだ聞いてないのか?」


「聞くも何もそんな話、誰からも、」


「さあ、始まるぞ」


「始まるって…………っ!?」



 ……光っている。


 どこがって。自分の胸元が、だ。


 白銀に淡く発光する花のような紋様が、開いたデコルテラインを彩っている。

 鎖骨の少し下、小さなラナンキュラスをモチーフにしたような八重咲きが、熱を持って刻まれていた。



「なに、これ……」


「……芽吹いたな。これで、お前はオレのモノだ」


「…………え?」



 淡い白銀の光が、男の顔にほんのりと色を乗せる。

 整った美貌の男が、真っ直ぐにこちらを見下ろしていて。

 この状況で言われた言葉を理解できないほどバカじゃない。

 けど待って、意味がわからない。頭の処理能力が追いつかない。



「せっかくだ、肩慣らしといくか」


「まっ、待ってよ! まずは説明をっ……!」



 当然の権利だ、と詰め寄るが聞いちゃいない。

 男が軽く腕を振ると、透けるほど繊細な白の織物がふわりと舞い降りる。

 ──その布越しの景色を私は、見たことがあった。



(……あのときの、)



 襲いかかる魔女、透明な拘束。思い返すだけで肌が粟立つ、たった数時間前のこと。

 あのとき、守ってくれたのは……



「お前、名前は?」


「……私?」


「それ以外に誰がいるんだよ」


「……輝美(てるみ)宝生(ほうしょう)、輝美」


「テルミ。お前、月は好きか?」


「え? 嫌いじゃないけど……」


「なら問題ないな。行くぞ、テルミ!」


「行くって、どこへ……!」



 思いつくまま疑問ばかりを投げかける私を抱き上げた男は、その美しい顔を悪戯っぽい笑みに変えた。

 白の薄衣が無尽蔵に舞い降りて、幾重にも重なって。見るもの全てが白く染まる。



「こんな良い月夜なんだ、近くで見ないと勿体ないだろ?」



 ──刹那。


 強く吹いた一陣の風が、白を全て散らしていった。



「見てみろテルミ! あれが、月だ」



 一面の夜空、遠くに見下ろす街灯。


 そして闇夜を照らす──2つの、月。


 黄金色の満月と、桜色の三日月が世界を照らしている。

 異なる色彩の光は星々を纏って宙空で溶け合い、地上に届く頃には月白(げっぱく)色の影を落とす。


 空中に立ち止まる男の腕から見上げる天球は、記憶にあるものと全く違う色合いをしていた。



「どうだ?」


「……すごく、きれい……」



 少し冷たい夜風が、知らない花の香りを運んでくる。


 散りばめられた星から北極星を探すけれど、あまり詳しくない私には見つけられなかった。



「……テルミ、泣いてるのか」


「…………え?」



 そう言われて、そんなことないと否定するために触れた頬が、濡れていた。



「……泣いて、ない」


「ここまで下手な嘘だと逆に清々しいな」



 耳元で男が笑う気配がする。この距離で隠し通せるなんて、思っていないけど。

 それでもやっぱり、私は大人だから。ミスティリアの言葉を借りるなら、聖女だから。

 泣いてて、良い筈がない。彼から背けた顔は、果たして感情を殺せていただろうか。



「嘘なんかじゃ、ない……よ」


「……テルミ、こっち向け」


「……無理」


「泣いてるからか?」


「……っ、だから泣いてないって……!」



 体を抱えている腕が、私の頭を逞しい胸板に押し付ける。

 自分のものじゃない体温が、頬に温度を移す。



「テルミ。……お前、怖いんだろ?」


「……っ!」


 その言葉は、私のやわらかいところにずぷりと刺さった。



(……ちがう、こわくなんて、)


 ──知らない人に、知らない場所で、知らないことを要求されているのに?


(……ちがう、そんなこと、思ってなんて、)


 ──帰れるかどうかもわからないのに?


(……ちがう、ちがう、可能性はあるって、)


 ──あの魔女の目が、焼きついて離れないのに?


(…………っ、それは、)



 瞼を閉じると克明に蘇る記憶。

 気道の詰まる感覚、全身を拘束される感覚、おぞましい声が脳内を這いずり回る感覚。

 そして、三日月に歪むシルキーピンク。



(……認める。私は、あの女が……怖いんだ)



 でもそれは、言ってはいけないことだ。誰にも気付かれてはいけないことだ。

 私の存在が、『聖女』として必要とされている限り。



「……テルミ。さっきオレとお前は契約した。この意味がわかるか?」



 皮膚を伝って、心地いいテノールボイスが耳に届く。

 口を開けば声が震えてしまう気がして、黙って首を左右に振った。



「さっき飲ませたのは、オレの力の根源。魂とも言っていい。……それが消えれば、オレの命も尽きる」


「なっ、なんでそんな大事なものを……!?」



 ばっと見上げた先にある端正な顔立ちには一点の曇りもない。

 揺らぎのない銀の瞳が全て事実だと告げていた。



「『契約』とは、互いの命を預けるものだからだ」


「……そんな……! でも、私。あなたにあげられるものなんて……」


「いいんだ、オレにはオレの目的がある。そのためにお前に力を貸す。……オレとお前は比翼の鳥だ」



 ──比翼の鳥。一眼一翼の番いの鳥。

 空を飛ぶときには互いに助け合わなければ羽ばたくことすらできない、運命共同体。



「……誓っていい、オレはテルミを裏切らない」


「…………っ、」


「だからテルミ、オレの前では泣いてもいい」


「……でもっ、わたし、大人なのに、聖女なのにっ……」


「オレが許してるんだぞ? 他に誰の許可を得る必要がある?」


「……ふ、く、うっ……!」



 ……今度は、我慢ができなかった。


 怖くてもいい、不安でもいい──泣いてもいいと。


 そう言われたかったわけじゃない。一晩あれば折り合いがつけられたのかもしれない。……でもそれは、感情に蓋をしただけ。自分に言い聞かせて、無理矢理納得させて、心を封じ込めて。



(……こわい、こわいよ。怖くても辛くても、諦めずに立ち向かうことを期待されるのは怖いよ)



 血の流れる戦いにはならない。……わかってる。

 でもあの圧倒的な力に握りつぶされる恐怖は、簡単には消えてくれない。あの獣のようなシルキーピンクが脳裏から離れない。


 涙が溢れては流れ、流れては込み上げて、男の胸板を濡らしていく。

 止まらない涙が枯れ果てるまで、男は何も言わず雫を受け止めてくれた。


 ……まだ怖い。だけど。

 命を預けてくれた彼を、少しだけ信じてみようと。そう、思えた。


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