第2話 ちがいます! 寝過ごしたわけじゃないんです!
──レース越しの日の光が、閉じたままの視界を明るくする。
「うーん、朝……?」
ふわふわとおぼつかない脳内は睡眠を欲して寝返りを打つ。明るい部屋ではぐっすり眠れない質で、手探りで電気のリモコンを探すけどいつもの位置には何もない。というか、ベッドサイドにあるはずのテーブルがない。
「んぇ……? だれ……もとにもどしてって……」
むにゃむにゃ文句を言って、充電しているはずのスマホを探す。手の届くところあった電子的な板に触れると表示される現在時刻。
「ってぇえ! 12時!? お昼の!?」
そんなバカな! と慌てて飛び起きる。というかベッドに入った記憶すらない。身体を起こすためについた手が、シルク生地の感触を感じ取った。
「……ん? とうとうベッドにまで布撒き散らしてたっけ……?」
流石の私でも寝るところだけは確保していたはず。安物のベッドシーツが引かれているはずのそこには、気持ちい手触りの純白シルク。これは触っただけでわかる。1mで5000円はする、高い布だ。
衣装にだってそんな高い布使わないのに、寝るだけの設備に使うはずがない。
「……というか、自分の家じゃ、ない……?」
ようやく思考を取り戻してきた頭を巡らせると、おかしいかな、一人暮らしの2LDKは20畳はありそうな洋風建築へと変わっていた。
調度品は華やかなルネサンス期を思わせ、絨毯も毛足が長く見るからに良い生地。改めて見たベッドには天蓋がついているし、ベッドサイドのランプもアンティーク調。
どう見たって自宅ではない。しかし、こういった場所には不思議と馴染みがあった。
「……もしかして、意識がないままロケ地に着いてた……の?」
そう、西洋風のスタジオは丁度こんな雰囲気だ。今日来る予定だった野外ロケは近くに室内施設もあるとは聞いていた。もしかしたら眠気に負けてベッドを拝借してしまったのだろうか。
「うえわああ、ほんとにそうなら併せの人に申し訳なさすぎるんだが……!」
無理矢理誘った手前、私が仕切って撮影するつもりだったのに!
連絡を取らなければとスマホを手に取ると、どうしてだか表示されている『圏外』の文字。振っても再起動しても、『圏外』の文字。
「……んぇえ、うそでしょ……」
確かにちょっと田舎寄りの場所だったけど今時圏外って。圏外って!
最後の悪あがきに、とスマホを天高く掲げていると、控えめなノック。返事をする前に蝶番が音を立てて扉が開いた。
「おや? もうお目覚めでしたか」
「ひえぇ、あの、そうですね! 起きました! 」
突然の来訪者に、適切な言葉を選んでいる余裕などなかった。
語彙力がないのが非常に申し訳ないのだが、一言感想を述べるのなら『びっくりするほど顔が良い』。一瞬息が止まるくらいのイケメンが、完璧な笑顔をこちらへ振りまいていた。
「寝心地はいかがでしたか? 最上級の物を用意しておきましたが……」
「いや、もう! そりゃあ気がひけるほど良い布で!」
「……布?」
おっとしまったいつもの癖で!
なんでもありませんよ! なんて苦笑いしつつ、手を掲げたままなのを今更思い出して背中に隠す。そんな挙動不審な女に対してごゆっくりなさってくださいね、などと軽く躱してみせるのはなかなかの手腕だ。
(……男性? だよね、肩幅もがっちりしてるし、歩き方が違う)
思わずちらちらと顔を観察してしまうのはレイヤーの性かもしれない。
何度も言うが本当に顔が良い。金色の短髪は日の光に透けると溶けてしまいそうに淡いのに、彼が動く度に光を反射して一層煌びやかさを増す。瞳は質の良い年代物のワインを思わせる濃いめの赤。
ねえちょっとどこのカラコン使ってるか教えてほしい。
どんなメイクをしているのかと確認するが、それらしい痕跡は見られない。
地顔がいいんだな? はいはい、加工厨には縁遠い言葉ですよ! と内心で歯ぎしりしながら恨みの目線を送っていると言うのに彼が気にした様子もなく、部屋の真ん中にある水差しから水を注いでいる。
ついでにいうなら、衣装の出来も良い。何のコスプレかは知らないが、西洋風の鎧を模した衣装に模造刀まで帯びている。黒と銀を基調にした鎧には、深い青で複雑な紋様が彫り込まれている。装飾もシルバーでまとめられ、豪奢でとても素人仕事とは思えない。金に物を言わせたオーダーメイドか、熟練の衣装製作者の物だろう。
どうか前者であってくれ、これを一般人が作れるとなるとレイヤーとして肩身が狭くなる。
「はい、どうぞ」
「……ん? ああ、どうもありがとうございます」
洗練された手付きで渡されたのは、これまた繊細な金細工のゴブレット。
まあ考えてみれば彼が飲まない以上、注がれた水は私のためにあるわけであって。意識してしまえば喉が渇いているのも事実。一気に飲み干すと、空いたそれをスマートに回収されてしまう。
うーん、なんとも紳士的である。
「支度の方は問題ありませんか? 手が必要であれば人を呼びますが」
「支度って……そうだった!」
暢気に水など給仕されている場合ではない。早く撮影に合流しなければ! 名残惜しいけどしっとりしたシルクに別れを告げ、掛け布団をめくり上げる。
「……おっと? 衣装、完成してたんだっけ……?」
何故だろう、完成した覚えはチリほどもないのだが、私が身につけているのはまさに製作中だったはぴねす怪盗♡まーめいどちゃんの最終決戦変身衣装はーとふるめいどばーじょん。
後回しにしていたイヤリングも背中の編み上げもばっちり完成している。とうとう私ってば、意識がなくてもミシン叩けるようになってしまったらしい。
「流石です、素晴らしいお召し物ですね」
「いやいや! 所詮は素人仕事ですので! そんなこと言ったらあなたの服の方が素晴らしい出来ですから!!」
彼が一瞬その整った顔をきょとんとさせ、ふわりと微笑みを浮かべる。ここまでのモーション、完璧すぎて心のスクショ567800枚ほど撮影したことをここに報告しておく。
神の造詣に隙がなさすぎて感服しかない。その顔で推しのコスをやってほしい。
「お褒めにあずかり光栄の至りです。“西国の服飾術師”のものなんです」
「はぁああ、そうなんですね」
聞いたことのない漫画だが、これだけのクオリティでコスしてもらえるのなら衣装も本望だろう。
ずっと見ていたい気持ちもあるが、近距離でまじまじと見続けるのも失礼だ。さくっとベッドから降りて、扉へ向かう。普通に自分で開けるつもりだったのにこれまた慣れた所作でドアノブを取られ、完璧にエスコートされてしまう。
踏み出した廊下もふっかふかの絨毯。完全にお金持ちの家で、めちゃくちゃ手の込んだスタジオである。いや、ここまでくると一軒丸ごと撮影可能な建物だろう。
あとで私も撮りに来よう、そうしよう。しかし、両サイドに永遠かと思えるほど続く廊下のどちらに出口があるのかはさっぱりである。
「さあ、こちらへ」
「ああ、はい!」
うん、右側だったらしい。輝美ったらうっかり!
彼の指し示す方へ身体を向けると、その綺麗な顔を笑みで彩って私を待ち構えている。
「えっと、あの?」
「どうぞ、お手を」
見れば、男性らしい節のある手がこちらへ差し出されている。
……英国紳士の血筋でも継いでいるのかな?
「いやいやいやいや! 大丈夫ですって、自分で歩けます!」
「そんなことを仰らないでください、あなたの髪の一房までお守りするのが私の役目です」
「いやもうほんとに! 多少のことは自分でなんとかしますし、何なら地図さえあれば一人で行きます!」
「謙虚な方なんですね。大丈夫です、あなたが心配するようなことは一切ありませんから」
(あーもう、話通じないなこの紳士!)
はっきり断っているのに、ほら早くとにこにこ笑ったまま。こういう、善行が全世界の人間に通用すると思っている輩は厄介だ。自分の行いが善だと信じて疑わない。それが他者にとっても善行だと信じて疑わない。彼の好感度ポイントダウンである。
「それとも、私のことは信用に値しませんか?」
「……そういうわけじゃないですけど」
そもそも信用うんぬんの問題ではない。出会って数分の人間に無条件に触れられるほど肝が座っていないだけだ。
「でしたら、私の腕に手を置いていただければ」
差し出されていた手が腰のあたりに当てられる。見たことあるぞ、ハリウッド女優とかがレッドカーペット歩くときにちょこんと手を置いてるあれだ。
「……置くだけですからね」
このままでは進むのもままならない。布地越しなら多少マシだろうと、本当に触れるか触れないかの位置に手を置いた。彼との距離が一気に近くなり、間を隔てる空気が熱を持っている気がして顔を背けた。
「さあ、行きましょうか」
ほっと息を吐いたのが見なくてもわかった。よくわからないが早くこの場を脱出したい。逸る内心とは裏腹に、彼の歩みは私に合わせてゆっくりと運ばれていった。