第1章 『新たな生活の始まり』 ⑦
「どうもー!!初めま……!」
俺は扉の方を見る。そこに立っていたのは、快活な、裸の、タオルを手に持った、顔立ちの整った見知らぬ少女だった。俺は驚きすぎて声が出なかった。
勢いよく自己紹介しかけた彼女は、俺の体を見る。顔、首、上半身と見て、そして気づく。
「ぎゃああああああああああ!!!!!お、男なの!?え!?それなら何でピンクの服なのよ!同じ女子かと思ったじゃない!ヘンタイ!」
ドアを思いっきり閉められる。閉めた時の風が俺にかかった。風は意外と強い。
「服がないからこれをとりあえず着ていただけだって!」
「スキンシップよ!こんなとこにいきなり連れてこられて緊張してるだろうから、私が一緒にお風呂に入って慰めてあげようと思ったのに!まったく、次の適正者が女装趣味の変態だったなんて!がっかりだわ!」
「女装趣味とは言いがかりだ!ほ、ほら、よく見たら女の子に……」
「絶対に開けないわよ!なんでもう一回あんたの裸なんて見なくちゃいけないのよ!あたしもシャワー使いたいから、今すぐ使い終わって!ほら!早く!あと10秒以内に!」
終わるわけないだろ。第一まだ髪しか洗ってないんだし。俺はそんなことを考えながら、いつも通りの順番で体を洗った。
* * * * * *
途中、何度か怒鳴られたが、俺は迅速にかつ清潔に体を洗った。風呂場のドアを開けると、その子と目があったが、すぐに俺の方に背中を向けた。まあ初対面の男の体なんて誰でも見たくないだろうしな。
俺はバスタオルで体を拭き、カゴ内にあったピンク色の病院服を手に取り、それを鏡の前で着てみる。紐の結び方に少々手間取ったが、着てみるとかなりフィットしていた。体型的にも、見た目としても。
「……あんた、本当に男なの?そんな見た目で」
「まぁ……だって、ついてるもん、俺」
「はぁ……せっかくの休みなのに、新しい仲間が増えるって聞いていたのに、これじゃ台無しだわ……」
「悪かったな……。……あ、そういえば、名前って……」
俺は続けて何を言えば分からなかったので、苦し紛れではあるが自己紹介をしてもらうことにした。
「津嶋詩織。16歳。あんたは?」
「北條椋。年齢はに--」
俺は元の世界での年齢を言いそうになり、慌てて自分の口を制止する。とりあえず同い年、という設定にしておこう。
「俺も同い年だよ、16歳」
俺が言い直したことに詩織が顔をしかめる。何かツッコまれそうで内心ヒヤヒヤしたが、何も追求してこなかった。
ただ、反応で16歳と言ってしまって良かったのだろうか。
「そう、同い年なのね……」
詩織は俺が喋った言葉を繰り返し、そしてなぜか俯く。
「まぁいいわ。ちょっと、あたしも入りたいから、早く部屋から出てって」
いやまだ髪を乾かしていないんですが……。というか、このセミロング髪が本当に慣れない。どのくらいの時間をかけて髪を乾かせば良いのだろうか。
「ほら、早くドライヤーあるところに行って」
「え?ここにドライヤー無いの?」
「ここ出て上に行ったら美容部屋あるからそこに行って。……やっぱあたしについてきて。そっちの方が早いわ」
----進むこと少々。物凄い部屋に着いた。広々とした部屋の中には、マッサージチェア4台の他にバブル付きの小さな足湯や見た目が綺麗な金魚の水槽がある。壁や天井が装飾され、部屋内にはアロマが香る。居心地の良さそうな空間だ。
また、丸い鏡の前に影茶色の机と、見た目がゴージャスな椅子があった。ホテルによくあるタイプのやつを想像してほしい。そしてその机の上にドライヤーが置いてあった。
「ほら、座って」
俺は言われるがままに椅子に座る。詩織は俺の後ろに立ち、ドライヤーで俺の髪を乾かし始めた。ここは美容室か、とツッコミたくなるほど、この部屋の雰囲気、匂い、詩織の手つきが様になっていた。
「……ここ、病院でいいんだよな?」
俺はさっきからずっと抱いていた疑問をぶつけた。
「大きく言えば病院よ。でもここは違う。橋本先生から聞かなかった?ここは先端技術に関する重要機関の本部なの」
「そんな施設がなんで普通のマンションの一室みたいになってんの?」
「部屋になってるのはこのフロアだけ。っていうか、ここはもともとマンションのモデルルームだったの。ほら、この建物、上層階がマンションじゃない?」
俺はエドが言っていたことを思い出す。確か7階までが病院だったはず。
「じゃあここは何階なんだ?8階か?」
「……あんた、何も知らされてないのね。髪乾かし終わったら私が案内してあげる」
「それはどうも……って、シャワーはいいの?入りたいとか言ってなかった?さっき」
「あー、まぁいいわ。もう今日はこの後予定ないし」
ドライヤーの音が止む。俺は鏡で自分の姿を見てみる。髪はテキトーに洗ったはずなのだが、きれいに整っていた。
「……なんかありがとう」
「なんかは余計。じゃあ----」
「椋君、ちょっといいかい」
詩織と話していると、どこからか橋本先生の声が聞こえた。俺はとりあえず部屋を出る。先生は扉の前にいた。
「今"術"の準備が終わったから、ついてきてくれる?」
「"術"?……手術のことですか?」
だが、詩織の表情が、とても引きつっていた。それはとても印象的であった。睨み付けるわけでもなく、不安な表情でもなく、もちろん笑ってなどいない、言葉で表しづらい表情。
「……詩織?」
「気軽に下の名前で呼ぶな」
固まっていた詩織が、目だけをノーモーションでこちらに向けたので、俺は一瞬びっくりした。
「……橋本先生、悠太は今どうなんですか?まだ立ち入りできないんですか?」
「ああ、詩織君もいたのか。ちょうど良かった、それも話しておかないとな。さっき悠太君のところに行ってみたら、彼はとても元気そうだったよ。今日中にもこっちに戻ってくるかもしれないね。」
「そうなんですか……!良かった……」
「椋君の施術が終わったら案内するよ。彼も君に会いたがっているだろう」
詩織が笑顔になった。施術、というのは、エドが言っていたマイクロチップを埋める手術のことを言うのだろうか。あと、悠太、というのは誰だろう。1〜4人目の誰かの可能性が高い気がする。
「じゃあ、椋君、ついてきて」
俺は橋本先生の後をついていく。詩織も一緒についてきた。
「……なんでついてきてるの?」
「新たな"ザーゲ"を迎えるにあたって、私には先輩としてあなたを見ておく義務があるのよ」
「そうなんですか?」
俺は橋本先生に尋ねた。
「別にそんな義務はないんだけど、でも見守りたいんだったらついてきてもいいよ、って言う話だよ。さっきの悠太君についてもそう。だろ?」
「そうです。だからあんたも私が監視する、それだけのことよ」
詩織が元気に俺を指差す。その詩織の行動を見て、俺は不意に笑みをこぼした。前の世界で同じような人がいた。その人と、この目の前にいる少女が被ってしまう。
……あいつは俺と同い年、24歳だった。でも、どこか子供っぽかった。彼女の心は高校生のまま時が止まっていたのかもしれない。ん?それってどうなんだ?良いことなのだろうか。
「……なに?キモいんだけど」
どうやらこの顔になっても、ニヤニヤしているとキモいと言われるそうだ。これも彼女の態度に似ているな……。
俺ら一行は階段を上る。上ってすぐに気づいたことがあった。
「ここも玄関ですか?」
「まぁ、玄関というか、2つの階の両方に通用口があるんだよ。あ、そのスリッパ履いて」
橋本先生は一段下がった部分にあるスリッパを指差した。俺は素足のままスリッパを履いた。詩織は横にあった靴を履いている。自分のものなのだろうか。
通用口の扉を開けると、少し薄寒いような、空気が震撼している感じがした。病院服の中に短パンしか履いていないのが原因だと思うが、詩織が半袖で歩いているのを見ると、俺の思い込みなんじゃね?とも思えてきた。
自分の思い込みで、体の感覚が変わる、なんて話は多くの人が知っていることだろう。
有名な実験がある。2つのグループに分けた被験者に「うるしの葉」と「栗の葉」を触らせて、うるしを触らせたグループには「栗の葉」と、栗の葉を触らせたグループには「うるしの葉」と、逆に説明しておいた。
すると驚くことに、栗の葉を触ったグループに発疹が出て、うるしの葉を触ったグループには何もなかったという検証結果が出たのだ。
人の思い込み、というのは人間が思っている以上に体に影響しやすいことが分かるはずだ。
今回の俺の、寒くなってしまった、というのもそれの一種なのではないか。という保険を俺はかけておいた。
「……じゃあ、ソファーに座っといて」
橋本先生は、扉の前にあるソファーを指さした。鉄の分厚い扉に、赤文字でLOCKと書かれている。
俺を除いた二人は近くの部屋に入っていく。
1〜2分待つと、扉の表記が青文字のOPENに変わった。その直後、詩織の「入っていいわよ」という声が聞こえてきた。
「あ、椋君!もしかして、金属類とか持ってないよね?」
「……あ!ネックレス!脱衣所に置きっぱなしだ」
「あれは私がちゃんと持ってるわ。随分と派手な趣味なのね、あんたって」
別にあれは俺が好きでつけていたわけではない。勝手にオプションで付いてきただけだ。
「もう金属類はないよね?じゃあ入っていいよ」
橋本先生の指示に従い分厚い扉を開ける。
その扉はとても重く感じられた。
この先に何が待っているのか。俺は、期待と不安、その両方の気持ちを持って、扉の奥へと進んだ。