第1章 『新たな生活の始まり』 ⑤
「簡単に言うと、この後お前の体内にマイクロチップを埋めさせてもらう。これは義務だ。従わない限りは未来はないと思え」
……なんだって?
「み、未来はないって……大げさすぎじゃないですか?」
俺は不安を覚えた。恐らく、これはエド、つまり警察側からの忠告なのだろう。
「それがかなり重い罰則になるんだな、マイクロチップを体内に入れないと」
「何に使うんですかそんなもの。あとマイクロチップはどこに入れるんですか?」
俺は早口になって質問した。
「大体の人は利き腕じゃない方の手の甲に入れるな。これのおかげで便利になることいっぱいあるぞ?例えば病院に行った時、保険証を出すだろ?あの手間が無くなる」
なるほど。
「あと問診票とか、カルテとか、それが全てデータ化されて、そのデータを自分で持ち歩くことになる」
なるほど。なるほど。
「そしてそのデータを診察時に担当医に見せて、問診を行う」
なるほどなるほどなるほど。
「他にも色々便利になるぞ?良くない例えだが、知人が行方不明になった時に、一緒に搭載されているGPSで位置検索して身元確保をすることができる」
「それは確かにいい使い方ですよね」
俺は合いの手を入れつつ、エドの話を真剣に聞く。
「警察としてもありがたい。防犯カメラに顔が映っていればあとはすぐに逮捕することもできるしな」
エドはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。警察の捜査力にこれは、まさに鬼に金棒といったところか。
「もしそのマイクロチップを入れなかったら」
「意地でも入れさせる。じゃなければ逮捕だ」
「逮捕!?」
「!!急にデケェ声出すなよ!」
俺が突然大きな声を出したので、エドはびっくりして、ハンドリング操作を誤りそうになった。
エドがこちらを睨んでいる。謝りますか? ▷はい▷いいえ
俺は迷わず「はい」を選択した。エドも、そこまでキレてはいなさそうだ。
「まあそれだけデカい法律が制定されたってことだ。今の日本は」
「手の甲に入れるんですよね……。手術って大掛かりなんですか?」
「そんなに長くはかからない。30分足らずで終わるはずだぞ?」
以外と簡単な手術なのか。そしてその手術を今向かっている場所で行うのか。ただ、この世界は俺がいた現実世界ではないことはもう分かっている。俺は、
「ってことはこれから行くのってやっぱり病院ですか」
「当たり前だ。もうすぐで着くぞ」
エドが、手術って病院以外でどこで行うんだ?と言わんばかりの顔をしていた。俺の勘違いかもしれないが。
しかしもうすぐで着くとなると、なんだか緊張してきた。これから行く場所は、今後の生活において非常に重要な場所である。俺の直感だ。あまり下手は打ちたくない。
俺は緊張をほぐすため、窓の外を見た。山手通りをずっと進んできて、辿り着いた場所は……
「大崎、ですか?ここ」
俺らは線路にかけられた橋を渡り、ビル群の中を突っ切って走行する。
「そうだ。大崎の駅を超えてちょっと行くと、角地にデカい建物が見える。そこが『都立大崎総合医療センター』だ」
初めて聞いた病院名だ。
「1階から7階が病棟、その上30階までが分譲のマンションだ。ちなみに入院棟は隣にある10階建ての建物。複合型マンションだから、結構人気だぜ?あそこ」
エドがマメ情報を加えてきた。別棟に入院患者用の施設まであり、さらに上の高層階にはマンション。そして大崎駅から徒歩圏内。住むには十分すぎるほど好条件だ。家賃はかなり高いだろうが。
「立体駐車場もスペースが大きくて助かる。橋本大医院長様に感謝だな」
俺らは2つある立体駐車場のうち、来訪者用と書かれた駐車場に入った。もう一方は多分マンションの住人用だろう。
エドは車を停めて(後ろ向きで駐車するときだけは自動運転に頼っていた)、俺に数分ここで待機するよう命じた。
1人になった俺は、大きなため息をつく。時刻はまだPM1:10。この世界に来て2時間も経っていないにもかかわらず、俺は色々と経験し、新たな知識を得た。ここまであまり休息がなかったので、俺は頭の中でこの世界について整理する。
まず、俺は10月5日、六本木にある東京ミッドタウンの屋上からの飛行、つまり自殺を行った。俺がなぜ飛行などと隠喩を引用しているかの説明は後回しだ。ずっと目を閉じていたため、いつ地面に到達するか分からない恐怖と、いつ到達するか分からないので残りの猶予を知らずに済むというメリットを持ち、精神の不安定な状態で俺は落下していった。
そして、絶対に目を開けないという固い信念がこのような時空転生を引き起こし、俺をこの世界へと導いてくれた。まあ、これはあくまでも結果論だが。
ただ、エドが言っていたことが本当に事実だとすれば、俺はこの時間軸にとってイレギュラーな存在だ。そのイレギュラーの代償で、俺の体型などが変わってしまったと考えるのがベストか。でも俺は、この問題についてもそのベストな結論の証明ができない。否定語ばかりで何も進展していないな。
俺は俯いた。が、その瞬間空気がより一層ジメジメと感じられた。俺はそれがたまらなく嫌になって、ドアを開けた。蒸し暑かった。やはり車内の方がクーラーが付いていた分まだ涼しかったのだが、もう一度中に戻る、という気持ちは不思議と起きなかった。外から吹き込む風が以外と気持ちよかったからかもしれない。それ自体は熱風なのに。
俺は車にもたれかかりながら、また物思いにふける。
簡単に考えれば、これはいわゆる異世界転生の1つだ。異世界に召喚され、説明もないまま世界が動き始める。手には財産、脳にはその世界の言語がが勝手に喋れるようになっていて、モンスターを倒し生計を立てていく……。
その考えでいくと、俺の最初の所持金はざっと30万ほど。かなり良い世界だな。しかし最初のバトル(スリ3人組との絡み)で全財産を失う。クソ世界だな。そこへ味方キャラ(佐々木さんとエドのこと)が俺を助けてくれて、そのあとその人達と仲間になり、ギルドを組んで、敵キャラをやっつけて……みたいな流れだ。やっぱありきたりな世界か?
俺は苦悩している。こんな異世界転生まがいの行為、何か意図があるはず。だが、その意図の糸口(決してダジャレではない)すら分からない。
そんな風に考えていると、横方面から足音と声が聞こえた。見ると、エドと見知らぬ男が並んで歩いていた。
「なんでお前、外に出ているんだ?車の方が涼しいだろ」
「いや、なんとなく出てみただけです。中にずっといることが息苦しく感じられて」
俺は素直に自分の気持ちを話した。エドが「俺の車はそんなに嫌か」などと独り言を呟いている間、横の男が俺に近づいてきた。年齢は50歳前後か。
「初めまして。この病院の医院長、橋本です。あの子も、"ザーゲ"なんですね?」
「そう。しかも男。読みが外れましたな、橋本先生」
「そうですね、てっきり次来るとしたら女の子だと思っていましたから」
大人2人の間で会話が弾む。しかし、どうしてもさっきの言葉が引っ掛かった。
「……あの"ザーゲ"って何ですか?」
「君みたいな子供たちのことをそういう風に言っているんだ。君だけじゃないんだよ?あのような、"転生"を経験した人は」
「4人いるんでしたよね?今までに。で、俺が5人目」
「そう。ある程度のことはエドから聞いているのかい?」
「はい、あ、あと」
俺は一呼吸置き、
「俺、目を開けたら、スクランブル交差点にいたんです。他の人って宮下公園なんですよね?エドさんから聞きました」
俺がそういうと、医院長の橋本先生の目が変わった。本当か、と食い気味に聞いてくる。俺はそれに頷き
「あの、もう一人いるとかって聞いたんですけど___」
「そうだね、あの……話するの中でいいかい?暑いし……」
つい突っ込んで聞いてしまった。俺はそれに従い、橋本先生の後ろをついて行った。
エドは、「じゃあ、後はよろしくお願いします」と言っていたので、どうやら職務に戻るのだろう。迷惑をかけてしまい、申し訳ない気持ちが込み上がってきた。