第1章 『新たな生活の始まり』 ②
財布コーナーは1Fの 入口付近にあった。
主に折り財布と長財布の2タイプ。色はブラック、ブラウン、ネイビー、レッドで9割を占めている。素材はレザー系と牛革の2種類。
正直どれでもいいのだが、なんせ札が多いので長財布の方が便利だろう。ポケットに入れている時点でもう札束は折れ曲がっているが……。
あと、個人的にあまり目立たない方が好きなので、俺はネイビー牛革の財布を持ってレジへ向かった。
だが、レジには店員がいない。セルフレジだ。
「ハンズもセルフ会計なのか……。コンビニとかスーパーだったら見たことあったけど」
俺は財布に付いていたタグをレジで読み取った。
値段は税込み1万7000円ほど。諭吉札しか持っていないので、俺は2万円をレジに入れた。画面下に書いてある、ポイントカードをお持ちの方はカードをかざしてください、という画面表示を華麗にスルーして諭吉札2枚をレジに投入した俺だったが、すぐに違う画面に何かが切り替わった。
「『ぜひこの機会に東急ハンズポイントカードに登録しませんか?現在期間限定でポイント還元率UP中!さらに今ポイントカードを作るともれなく500ポイントプレゼント!』か。これから色々とお世話になりそうだから作っておくか」
俺は「はい」のボタンを押した。
しかし、俺は次の瞬間に現実を知り、ポイントカードゲットの夢を絶たざるを得なくなったことは容易に想像できるだろう……
* * * * * * *
東急ハンズを足早に出た俺は、お腹が空いたので来る途中に見かけたCoCo壱に向かった。
俺は歩きながら、自身の体に何か変化がないかチェックした。
体に何かの傷などの目立つ痕跡はないだろうか。俺は腕をまくったりTシャツの中を覗き込んで跡がないか確認した。しかし何も見つからない。
歩いていると、以前より汗かきになったことが気になるが、それ以外は特に気づかなかった。太陽の直射日光がきつく、頭がぼーっとする。ぼーっとするというか、オーバーヒートしている感覚に襲われる。
……暑い。暑すぎて頭が回らない。さっきハンズでも恥ずかしい思いしたせいで余計顔が熱い……。
ハンズでの恥ずかしい思い出。それはさっきのレジで起こった出来事。
ポイントカードをゲットしようと、手順を順調に進めていったのだが、メールアドレス入力(というかスマホ自体)を持っていないために登録すら出来なかったという話。ちょっと考えれば分かるものを、何故忘れていたのか……。後ろに並んでいた人にも迷惑かけたし……。
あと、さっき買った財布に全財産を突っ込んだのだが、財布が分厚くなりすぎてポケットに入らず、手持ちで歩いているという非常に危ない状況。未だに何円持っているか分からない、というのも怖い。
俺は財布を取られないよう警戒しながら歩いていた。慎重に、注意深く、目を光らせながら歩いていた。
だから、俺の後ろを歩いている奴らが、なんとなくこちらを伺っているのを感じ取ることができた。
未だ彼らがスリ犯だと確定したわけではない。俺の単なる予想だ。
だが、人間何故か雰囲気、気配というものを感じてしまう。彼ら--後ろをガン見したわけではないのではっきりとは分からないが、恐らく3人だろう--は渋谷の井の頭通りという、センター街ど真ん中の繁華街を並んで歩いているにも関わらず、楽しげな表情一つなく、そして彼らの間に一切の会話がない。
また、彼らの着ている服も、刺繍入り革ジャン、金髪白Tシャツライトブルーデニム、銀髪浅黒肌刺青(後半2人はワックスで髪を上げている)という、かなり個性の強いファッション。普通の路上でこんな3人組とすれ違うのは避けたい。
しかし彼らは渋谷の街に溶け込んでいる。側から見て何もおかしくない、ちょっとイカついお兄さん集団なのだ。渋谷という街のイメージを体現している若者だ。
そしてその見た目のインパクトやオーラ、そしてカッコつけた歩き方などで相手の気を引き、他の情報や特徴を他者に与えない。
通行人も、横目に彼らを見るだけ。ケンカを売ったら買われそうだけど、彼らが今犯罪を企んでいるとは誰も思わないはずだ。
彼らは恐らく常習犯だろう。俺の勘は五分五分から確信に変わった。
渋谷の治安も悪化しているようだし、あそこに武装警察もいるので最近スリや路上トラブルなどが多いのだろう。
「……武装警察!?」
俺はノリツッコミをするかのように驚いた。なぜ堂々と警察が、しかも自動小銃を抱えて。
警察が真昼のクソ暑い繁華街に、ガチガチの装備で警備しているその姿は、俺の記憶にはなかった。
彼らはPOLICEのジャケットを着て、複数人で通りの方をを巡視している。
もしあなたがニューヨークや香港へ行ったことがあるなら、それを思い出してもらえれば幸いだ。
明らかにおかしい。何か大きなイベントでもあるのか?というか、本当に彼らは警察なのか……?
俺は彼らの方に見入ってしまった。
というのも、どうも先程から後ろの3人組以外の視線を感じたのだ。まるで獲物を狙うかのような視線。怪しまれているのか?
俺は彼らの威圧を感じ、立ち止まってしまった。
そして、後ろから誰かがぶつかってきた。振り返ると、さっきの3人組だった。
金髪の奴が俺の真後ろからぶつかってきて、さらにもう銀髪が俺の横にスッと入り、歩くペースを俺に合わせ、俺を建物の壁際に寄せる。
そして、俺が壁際に追いやられた時、前方に残っていた残りの退路を塞ぐように革ジャンが回り込んできた。俺は完璧な包囲網を引かれた。
「お前さっきどこ突っ立ってたの?邪魔なんだよ。あ?聞こえねーよ」
金髪が俺にしか聞こえないような、周囲に聞かれないような声で言った。途中俺がゴモゴモ喋ってしまったせいで、余計に彼らの怒りを増大させてしまった。
「謝るとかないの?ねぇ、お前」
「……すいません」
俺は怒気を交えながら謝罪した。金髪を睨み付けて、目で威嚇した。
「あ?テメェなんだその態度。舐めてんのかこの野郎」
隣にいた銀髪が、俺に近づき、胸ぐらを掴む。俺は壁に押しつけられる。シャッターが閉まっており、俺の体がぶつかった際にガシャガシャと音を立てる。
俺は銀髪の顔を見る。そして、その奥の通りを見る。
俺は先ほど見かけた警察に助けを委ねるつもりだった。
こういう時、警察に頼っておけば大体助かる。安心しきっていた。学校の先生にチクっておけば自分は真面目ないい子認定される、それと似ているかもしれない。
俺は周りを見渡した。俺と銀髪のせいで周りが無視できないほどのいざこざに発展してしまったので、警察もすぐに飛んでくるだろう。
と俺は思っていた。だが、だが、あろうことか
「あれ!?」
警察が行方を眩ませていた。まさかあの警察もこいつらのフェイクなのか。仕込みで用意した手下なのか。
俺は完全に騙されたと思い込み、その場で歯を噛み締めた。胸ぐらを掴まれていた手を振り落とそうとする。
「テメェやる気か?」
そして、その行為が彼ら3人組に対する挑発だと捉えられてしまい、俺は銀髪に地面に倒される。
「ぐっ……!ぐうおおぁぁ!」
さらに隣にいた金髪の足が、俺の肋骨に向かって駆り出される。クリーンヒットしてしまい、俺は悶絶した。
痛すぎて動くことができなくなった。そして、革ジャンが俺のポケットの膨らみに気づき、そいつを取り出した。
「……!おい!こいつめちゃくちゃ金持ってるぞ!」
「あはは!何枚札入ってんだよ!」
「こいつこんな大金を財布に入れて、しかも裸で持ち歩くとか、本物のバカなんじゃねーの!?」
3人は大喜び。彼らの笑い声が通りに響く。かなり大きな声で笑っているのに、先ほどいた警察は気付かない。本当にどこに行った?やはり仕込みだったのか。でも、3人組が用意したダミー警官にしては、自動小銃のクオリティやジャケットのクオリティが高すぎる。
いや、あれがフェイクか本物かなんか、もうどうでもいい。俺は、俺の財布片手に笑いながら去っていく3人組を、床に倒れ込みながら見ることしかできない。
「情けなさすぎる。ダセェな俺。というか、なんなんだこの世界は。俺を元の世界に返してくれよ。無一文の生活なんか嫌すぎる……!」
弱肉強食。こんな四字熟語で片付けられてしまいそうで、俺は泣きそうになった。道の端っこで。惨めに。白い目を向けられながら。
「結局何だったんだ、飛び込んで、それでこの世界来て、そして前の世界と変わらないくらい俺は弱くて」
誰か助けてくれ。俺は誰かに縋り付きたかった。心のゆとりが欲しかった。
だから、俺は今目の前に現れた奴に尋ねた。心配そうにこちらを覗き込んでいる。相手が何か話そうとしたが、俺はあえて先に声をかけた。力が入らないながらも、精一杯の声で。
「……ちょっと、手、貸してくれませんか?」