第1章 『新たな生活の始まり』 ⑨
またである。またあの看護師さんがやってきた。
恐らく全身麻酔の装置を持ってきたのだろう。手に何かを抱えている。
ただ俺はさっきからずっと気になっていた。たかがマイクロチップの埋め込み手術をわざわざ全身麻酔でやる必要があるのか?麻酔薬の無駄遣いなのでは?胸中はそんな感じだ。
そもそも、どこまでのサイズをマイクロチップと言うのか。正直サイズが分からないと不安だ。
「あ、あの……」
俺は彼女に声をかけた。苦し紛れの呻き声に等しい呼びかけ。恥ずかしい。
「?……大丈夫ですよ?全身麻酔は怖くないわ。安心してね」
彼女は、寝ている俺に彼女の髪がかかるくらい顔を近づけて話した。彼女の喋り方は、注射で泣く子供をあやすほどに優しく、暖かいものであった。
……俺ついさっきまで大人だったんですよ……?
などと強がっていても仕方がない。俺は文句を言わなかった。言えなかった。
そもそも全身麻酔を提示してきたのは医者だ。医者、つまり橋本先生なりの意見があるからこその手術方法だと俺は信じている。
俺は医学についての知識はほとんどない。知っていたとしても、それは簡単な措置方法くらいだ。
なのであまり知ったかぶりをせず、大人しく言うことに従うのが得策だろう。
なぜ全身麻酔なのか、という質問をするのを諦めた俺はもう一つの他の事を聞いた。
「マイクロチップって、具体的にどのくらいの大きさなんですか……?」
俺は尋ねた。確かに、確実に、間違いなく問いかけた。きちんと声に出したし、はっきりと喋ったつもりだった。
しかし、彼女の応答はない。聞こえていない、というのは絶対にありえないと思う。なぜ無視した?俺は彼女に目線で問いかける。
目すら合わせて貰えない。今彼女は俺の呼吸器に酸素マスクのような物をつけた。つまり俺の姿はちゃんと見えている。急にどうした?俺は不安と、焦りと、そして怒りを覚えた。
そして、次の瞬間には……
「……誰ですか?」
見知らぬ女の人が立っていた。
* * * * * * *
「詩織ちゃん、あなた悠太のところに行った方がいいんじゃないの?」
あたしは詩織にそう投げかけた。彼女は言われるや否やあたしに反抗的な目を向け、
「分かってるわよそれくらい。どうやら手術も問題なさそうだし、あとはあんたがあいつの面倒見てやれば?」
あいつ、とはもちろんモニターに映っている彼のことだろう。通達があったので新たな"ザーゲ"が男であることは知っていたけど、見た目は女の子みたいね……。
詩織はすぐに出て行った。ローラがこちらを見ていたが、あたしがローラに目を合わせるとすぐに準備に取り掛かった。
詩織が出てってまもなくマイクロチップの手術が始まった。
「……"麻酔"はちゃんと効いているようだね」
「はい。じゃあ、まず----」
橋本先生とルークが手術に取り掛かろうとする。あたしはこの部屋に入るのは今回で4回目だ。2人目の大羅、3人目の詩織、4人目の悠太、そして、今回の椋。
もうこのモニターの奥に新しい"ザーゲ"が連れてこられる光景を見るのにも慣れたものだ。
ただ、今回ばかりは今までとは大きく異なる点がある。
彼、つまり椋は。
この世界の住人ではない。
彼は交差点で倒れていたと、あたしは加穂から聞いている。さらに彼は顔が他人のものだ、などと供述しているらしい。
「橋本先生、一つ聞いてもいいですか?」
あたしはこの世界の存在を確認するために、彼の存在を知るために、そして、あたし自身の存在を知るために、ここは先手を打っておかなければいけない。
「……なんだい?」
「さっき収集した椋君のデータ、見せてくれませんか?」
「それは機密事項だ。いくら君でも他人のデータを見せることはできない。彼がたとえ同意したとしてもだ」
「なぜですか?私には彼を知るための資格、権利があると思っています。彼は私と同じ運命を辿っている可能性があります」
「そう言い切れる根拠は?」
「マイクロチップが体内に入っていないということです。私にも入っていませんでした。他の3人の"ザーゲ"には埋め込まれていますが、私と彼は、マイクロチップの埋め込みが義務化されていることすら知りませんでした」
あたしは一呼吸置く。橋本先生は黙っている。まだこちらのターンだ。
「この世界に似た世界があり、私はそこから転生してきた。これは私が前からずっと言っていることです」
「……君はまだ自分自身が"異世界転生者"と言い張る気なのかい?」
しばし沈黙。あたしと彼の間で何回もこのやり取りをしている。
「その……なんなんですか?異世界って」
ルークから突っ込みが入った。
「だから本当にこの世界の住人ではないんです。私も、そして多分彼も」
「ふざけたことを言うのもいい加減にしろ。というか、君はなぜまた今日になってそんなことを言い出すんだい?」
「最近言わなくなったと思ってたんですけどね。杏子さんも今日椋くんと一緒に検査して行ったら?」
橋本先生の後に続いた新垣の言葉は、あたしを小馬鹿にしているようだった。
再びこの研究チームと仲が悪くなってしまった。この感覚はあたしがここに保護された時以来かもしれない。
確かあの時はこの4人のほかにもう1人いた。あの人は特にあたしを嫌っていた印象がある。
「……なら、私がやります。この後の、椋君の能力検査の相手をやりたいです」
信用してもらうにはこれくらいしかない。あたしは彼と同じ存在だ。なら、まずは彼とコンタクトを取らなければならない。
今行われているマイクロチップの埋め込み手術が、本当はそれだけのものではない。
ここの世界で生まれ、暮らしている人々と同列にするだけでなく、さらにその先、人の最先端を走る、そんな体を手に入れるためのものだ。だからあたしと残り3人の"ザーゲ"とは違う。
彼らもあたし達と同じ存在を目指すけれど、スタート地点が違う。彼らはこの世界の人間、あたしと彼は異世界、もしくは並行世界の人間。
あたしはそれくらいの事は気づいている。分かっている。
「わかった。まだ終わるまでに結構時間かかるから、その間に佐々木警部補とエドのところに行ってくれないか。彼、実は」
結構時間がかかる、なんて言葉は、今まで見てきた中で初めて発せられた言葉だった。やはり裏に何かある。あたしは悟った。
そしてあたしはその後続く言葉に驚き、また落胆した。
「最初に持っていたお金全部盗まれちゃったらしいんだよ」




