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顔にタヌキと書いてある  作者: 青木誠一
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 谷がタヌキと出会ったのは二年前にさかのぼる。

 新人歌手のオーディションの場だ。

 谷は彼の芸能事務所「谷プロ」の代表として選考を総括する身で関わっていた。


 選考。

 アイドルになるという強烈な願いをかなえたくて応募した何千何万もの少女たち、ジャリ石だらけの中からすこしは価値あるものを選り分けていく地道な作業。

 宝石を見つけるのではない、宝石に見せかけられれば十分だ。所詮この世に宝の石などあるわけない、というのが谷自身の持論である。

 だから、候補をしぼるやり方では血も涙もなかった。


「あなたの魅力を二秒でアピールしてみなさい」

 選考のとき、谷が最初に向ける質問だ。

 答え方で見込みの有る無しがわかる。


「11番。誰にも、誰にも負けない若さがあります」

「若さなんて、若い人は誰でも持ってます」


「39番。ピアノが弾けます。似顔絵かけます。バク転宙返りもできます」

「そんなに色々できるなら、歌まで歌わなくていいですね」


「43番。売りのないのが売りどころです」

「どうも。選考の結果は追って通知します」


「たった二秒で何がわかるの? わたしの魅力はそんな……」

「59番さん、ありがとう。はい、次の方」


「有名人と握手する才能があります。アーロン・グラントと握手しました。ハリマン・ホーンと握手しました。それから、ジミー・フライトが日本に来たときも……」

「88番さん。いいですか。まず右手を差し伸べてください。さらに左手を出して重ね合わせる。そうそう。今度は指と指とをからませあい、強く握りしめて。はい、結構。これで、あなたは一番自慢したかったご自身とも握手したわけです。思い残すことはありませんね? そのまま家までお帰りください」


 かかる具合に、自薦者をどんどん落としていく谷の存在は少女たちにはまったく嫌な奴に違いあるまいが、谷の視点からは落とされる者が選ばれた者より幸運だとは思えなかった。

 アイドルとはしょせん、世の中に捧げられた生け贄にすぎない。

 なるほどアイドルたちは、世間からチヤホヤされ一挙一動が話題になるという意味で、とりわけ同年代の若者らの羨望の的だろう。

 彼女らは、美味しい食べ物、美しい衣装、立派な住居、付き人による丁重な扱いなど至れり尽くせりの待遇を受けられる。すくなくともそう思い込まれている。

 だから、どうなのか。

 古代、マヤやアステカの神殿で生け贄に捧げられる乙女らも、神の花嫁として大切に遇されたのだ。最後の日に、心臓をくり抜かれるまでは。


 今の芸能アイドルは太陽神に心臓を食われたマヤ・アステカ時代の生け贄より身体的には安全ながら、結局は太陽民すなわち日本国民にピンナップとして捧げられる身の上に変わりはない。

 それこそ彼女らがアイドルに選ばれる目的であり、青春を代償に果たす役割なのだから。

 だがそのことを当の少女たちは露知らずだし、アイドルに熱狂する連中もよもや自分らが生け贄崇拝をしているとは思いもよるまい。

 谷自身、自分のすることを悪いこととは意識しなかった。だいいち罪の呵責など感じたら、こんな業界にはいられない。

 と畜場の職員が悪びれるどころか誇りさえ抱きながら食肉を捌くように、谷もまたマニュアル通りに、若やいだ魅力をふりまいて歌い踊る国民的マスコットを大衆に供する職務をこなしていくだけなのだ。


 さて。

 話をオーディションの会場に戻そう。

 二次選考の参加者は、何万もの応募をふるいにかけた数百名。

 一応の水準に達した面子揃いではあるが、谷の目にはほとんどがジャリ石にしか見えない。

 そんなジャリ石だらけの中、気おくれも自己顕示もない様子で列の中、順番待ちするひとりの少女が谷の興味を惹きつけた。

 あれは磨けば光るジャリ石とちがうぞ。素のままで光を乱反射させるように、一種神秘的なまばゆい輝きを放っている。


「108番の人、お名前は?」

「堀井マヤ」

「ご家系に外国の方がいます?」

「日本生まれの日本育ちです」

 みんな、目を疑った。

 言葉は悪いが、外来種にしか見えなかったからだ。

 谷はいつも通りに、あの質問を差し向けた。

「二秒で自身の魅力を説明してください」

 二秒たった。

 相手は何も答えない。

「売りどころは何もないのかな」

 堀井マヤは意図的に沈黙している様子だ。照れたり臆したりで答えられないわけではない。表情はむしろ、自信にあふれていた。

「ここでは言えません」

「二秒で説明できない内容?」

「いえ。一瞬でわかります」

 マヤは、谷に対してはとくに親愛の念をもって応じてくる。

「でも、みなさんの前では……恥ずかしくてお見せできないものなので」

 審査員一同、笑いさざめいた。


「言っておきますが。恥ずかしくて見せられないものでは、この業界では通用しませんよ」

「谷先生にだけお見せできます」

 仲間の審査員らは盛大にひやかす勢いで、ニヤつきながら谷のほうを見やった。

「ですから……一緒に来ていただきたいのです」

「二人だけの場所に?」

 相手はこっくりとうなずいた。悪びれた風がまったくない。

「お手間は取らせません。ほんとうに一瞬で済みます」

 騙されてみようか。

 谷は立ち上がった。

 彼をしてその気にさせたのは、見せたいものがどうとかではない。この小娘ときたら審査される側なのに逆に、審査員らを自分のペースに引き込んでしまう。感嘆すべきはその才能だ。


「ちょっと息抜きをしよう。みんなも、一緒に来てくれ」

 谷は、審査員たちのほか、会場整理のためステージの片隅に立っていた警備員の一人を呼びつけ、さらに選考の様子を記録していたカメラマンも加え、軍勢を引き連れるようにして、堀井マヤをともないある場所に向かった。


 かたわらを旧知の仲のように寄り添ってくるマヤと一定の距離を置くようにして歩きながら、谷はひかえめに言葉を交わした。

「なぜぼくにだけ見せてくれるのかな?」

「わたしが選ばれたら、どうせお見せしなければなりません」

「自分が選ばれるとなぜわかるの?」

「谷さんですもの。アレをご覧になればかならず、わたしを選びます」

 背後の人群れからゴホッ! と咳払いがおこった。


 やがて清潔で広いスペースをもつ男女共用の多機能トイレの前で止まると、谷はみんなに聞かせるようにして警備員に指示を出す。

「いいかい。これからぼくは、このお嬢さんと一緒に中に入る。扉は閉めるが、ロックはしない。それで……もし15秒たってもぼくたちが出てこなかったら、ただちに扉を開け、中に踏み込んでほしい。必ずだ」

 谷はマヤに言い訳する。

「こういう措置を講じておかないと、何が起きたか疑われるからね」

 かくして多数の証人が見守る中、谷は堀井マヤとともに多機能トイレの中に消えた。


 谷と二人きりの場に密閉されると、マヤははじめて臆する態度を見せた。踏ん切りをつけかねているといった感じだ。

「さ。はやく見せてくれないか。あんまり長居をするとみんな、不審に思う」

 マヤは念じるようにじっとしている。

「見せられないなら、きみの審査はここで終わりだよ」

 少女は意を決したように、谷と向き合った体の向きをいきなり反転させ、お尻を突き出す姿勢になるとスカートを捲り上げた。

 次の瞬間、谷の股間には快い感触のものが押し付けられる。もふもふとして温かく、まるで上等な毛皮のような心地良さ。

 尻尾だ。

 それも造りものじゃない。

 マヤの尻には本物の尻尾がはえている!

 目を凝らす間もなく、尻尾は消えた。煙のように。

 谷は息を呑んだ。


 マヤはすばやく姿勢を戻し、谷と向きなおった。

 手早い仕草で着衣を整えながら、恥じらいと誇らしやかな昂ぶりの入り混じった顔で相手を見やる。

「お見せしたのは正体の一部だけ。姿をすべて変えたらショックを受けるでしょうから」

 とんでもない、一部だけでもぶったまげた。

「その技を……どうやって?」

「生まれつき」

「きみって……無邪気な小娘だと思って油断してたけど……ひょっとして、キツネが化けてたのかい?」

 マヤは声をひそめて否定する。

「いいえ、タヌキです」


 ゴホン! と咳払いし、警備員が扉を開けた。

 予定の15秒が過ぎ、しばし躊躇してからの開門である。


 二人は衆目の注視を浴びながら、多機能トイレから出た。

 マヤは屈託ない純情な少女として振る舞い、谷も節度をわきまえた保護者としての態度を取りつくろう。

 密室の中、一瞬であれ不徳な行為がおこなわれた形跡はうかがえない。


 審査員仲間が好奇と嫉妬の入り混じる熱気をもって訊いてくる。

「いったい、なにを出して見せたんです、彼女?」

 谷は熱に浮かされた顔で独り言のようにつぶやいた。

「尻尾さ」

 喝采でも浴びせるように盛り上がる一同。

「あっはっは!! こりゃあ、いい!!」


 ステージに戻っても、108番の候補者への審査はさらに続けられた。

 みんな、彼女に魅せられてしまったのだ。

 谷はマヤに、一曲歌わせてみることにした。

「好きな曲を、赤ペラでいいから聞かせてほしい」

 候補を十人ほどにしぼった三次選考ならともかく、二次選考の時点で歌唱力をためすのは異例だ。

 とにかく、入れ揚げさせずにおかない存在だった。


 マヤは谷のリクエストを受け、こころみに、賛美歌『まもなく彼方の(Shall We Gather at the River?)』の出だしをメゾソプラノで聴かせてみせた。

 もちろん英語だ。神妙に歌いだした曲の旋律が聞き馴染んだものとわかると会場各所から笑いが起こったが、マヤの歌い方を馬鹿にしたのでないことはあきらかだ。

 実際、素晴らしい美声だった。日本のアイドル歌手にはあまり必要とされないが、あればあったで有利なものだ。

 谷の隣りの席の審査員(声楽の大家だった)が感に堪えた口調で耳打ちする。

「あの子、本物だよ。アイドルなんかじゃなく、みっちり仕込んで本格派の歌い手に育てたほうがよくないか?」

 谷は同意を拒むように、首を横に振った。

「残念だが。今さら、声楽を学ばせても遅いよ。あれはもう、アイドルとして生まれてしまった存在だから」

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