無表情のはずの悪役はそうして笑う
「あの女……っ」
誰もいない放課後の初級水魔術用自習室。
そこで窓際に手をつき、特に意味もなく空をながめていた私は、やっぱり特に意味もなくその小さな声につられて上の階を見上げた。
そして特に意味もなく、だが自分でも驚く反射神経で、落下中だったモノを両手でキャッチ。
「おお」
思わず心の中で自画自賛。すごいぞ私!
しかし、じいぃんと痺れる両手の間に挟まったモノを見て、私はうん? と首を傾げた。
それは、赤い造花のバラが大量に活けられた、とても美しい花瓶だった。見覚えが、ある、気がする。
何だっけこれ。ええと、うーんと。
ハッ! まさか。
思わず再び上を見れば、ぽかんとする金髪美女。
ドキッとして下を見れば、真下で談笑する男女。
私はジンジンする両腕を思いっきり振りかぶって、そのまま花瓶を真下に投げ捨て、そのまま無言で顔を引っ込め、窓を閉めた。よしっ。
なにもなかった!
ふーやれやれ、ここ、誰もいなくてよかったあ。と室内に目を向けた私は、硬直する。
扉のそばで、麗しのイーノス・ブレッティンガム少年が、肩を震わせ立っていた。
「え?」
「ふっ……くっ、あはははははは!」
ここは魔術大国ミールの心臓にして魔術師育成の名門中の名門、全寮制のジプソフィラ魔術学院。才あるものが集う場所。
入学するには、才能だけでなく難しい試験もあるため、だいたい十五、六で入学し、六年で卒業する。
そして何を隠そう。ここは乙女ゲーム『ジプソフィラは永遠の心』の世界であり、学院はその舞台なのだ。
地方の小さな魔術学校にかよっていた主人公はある日、水を簡単な回復薬に変える授業で、なぜか「一滴ですべての傷を癒す」伝説級の回復薬を作り出す。
それがきっかけでジプソフィラ魔術学院に転校することになった主人公(十六歳)。そこで五人の攻略対象者をはじめとする五人の出逢い、様々な経験を通して、魔術薬師としての才能を開花させていく。
イラストも綺麗で素敵なお気に入りで、ギャグありシリアスありの、前世の私が大好きだったゲームだ。そう前世。
けふんこほん。さて、ここで私の自己紹介をしよう。
私の名前はユージェニア・フィアス、魔術学院一年生。年齢は十五。王都の小さな魔道具店のひとり娘。
私には幼い頃から前世の記憶があった。……なのに何で天才児とか騒がれたことないんだろう。あら馬鹿ねえってしみじみ言われたことはよくあるのに。ヒドイ!
まあ、とにかく早い時点でここがゲームの世界だと気づいた私は、その舞台ジプソフィラ魔術学院を目指し、ギリギリの点数とはいえ、見事半年前に入学を果たした。
入ってみれば、幸運なことにちょうどゲームが始まる少し前。ひと月後には主人公リネットが、ひとつ上の二学年に転入してきて、ゲームは無事に始まったのだった。
え、私? 私はゲームに名前も姿もセリフも出て来ない空気です。出てくるどのキャラクターとの接点も無し。影からこっそりゲームの進行をウフフとニヤけながら見守る空気。ジャマもせず、登場もせず、ただそこにいる。
なんて素敵な役!
ちなみに主人公リネットはクラスメイトの、ミーネの第三王子ルートを攻略することにしたらしい。現在一緒に勉強したりと、だいぶ仲良しになってる。
そして今日。小テストの点で先生に呼び出され、長いお説教をされた私は、誰もいなかった教室に入り、ひとり物思いにふけっていた。……次のテストでまた十点以下とったら退学なんて…………この世はなんて無情なんだ。
そんなときに降ってきた花瓶。上にいた金髪美女は王子の婚約者、第三学年のグリゼルダ様。下にいた男女はなんと主人公と王子。
これは、スチル付きのご令嬢の嫌がらせシーンプラス、あの主人公の魔法薬が活躍する王子の怪我シーンではないか。リネットちゃんとを抱きしめようとした王子の頭に、花瓶が直撃する笑えるシーン。
気づかなかったぁ! 慌てて投げ落としたが、間に合っただろうか。きっとセーフだろう。やれやれ。
いや、やれやれじゃない。
「あははっ……くっふふ…………」
なんでいるんだ美少年。私とあんたは初対面。クラスどころか学年も違う。というか、そもそもあんたは無表情がデフォルトだろ。何があっても笑わないだろ! 微笑みだって作中一度しか出なかったぞ。
「くくっ……ははははっ」
私の顔をちらりと見て、また笑い出す。そうかツボか、私の顔が楽しいか。これでも前世よりは美人で喜んでるんだぞ。平凡な茶髪だけど目は青い。
そりゃ誰が見てもあんたのが美人だけど!
目の前の彼はイーノス・ブレッティンガム。第四学年の首席生徒。十三歳。九歳で首席入学を果たした天才。アッシュブルーの髪に紫紺の瞳の人形みたいな美少年。
こやつは攻略対象者ではない。では何か?
極悪非道の悪役だ!
イーノスは元はある国の貴族の生まれだが、生まれてすぐにその異様な魔力量のために屋敷の塔に幽閉され、国の魔術師だった父親のために魔力をただ供給する道具として育った。
しかしこいつは、六歳のときに幽閉の術を力尽くでぶっ壊して逃亡する。そして、魔術大国ミールにたどり着き、この国の闇の組織のボスに拾われ、その見事な頭脳でたった三年で学院入学を果たしたのだ。きゃー天才。
………入学したイーノス少年の目的は魔術大国ミールの崩壊。理由は簡単「嫌いだから」。ふざけてる。
ゲームの中でのこいつは、最高学年の王太子(攻略対象)の友人。だが実は王太子から第三王子までの三人の王子を亡き者にしようと企む悪役。三人のどの王子のルートに入っても、王子を主人公もろとも無表情なのにどこか楽しそうに殺しに来る。いつ来るかわからなくて本っ当に怖かった。
ちなみに唯一微笑むシーンというのは、王太子ルートで王太子が主人公を背にかばい「友人だと思っていた」と言うのに対し、「幻想でしたね」と返すときのスチルだけだ。サイテー。
ともかく、イーノス少年は一番近寄っちゃいけない危ないヤツだ。攻略対象者に負けないくらい綺麗だなあとか、笑顔可愛いとか見とれちゃいけない。
よし、見なかったことにして出ていこう。寮に帰ろう。
「ふふ……くくくっ……あ、待って」
笑いながらどうやったのか、一瞬で私の目の前に移動してきて立ちふさがった。私より頭半分ちびのくせに!
「ちょっとお手洗いに急いでるんで失礼します」
私は笑顔で回れ右して逆の扉にダッシュした。後でちょっともう少しマシな言い訳はなかったものかと考えた。
次の日の放課後、私は再び先生に呼び出された。先生のとなりにはなぜか美少年。
「いやあ、今日ちょっと成績の危ない生徒の話をしたら、勉強を教えてくれるって言ってね」
「へ、へえ……イエでも、お手を煩わせるのは悪いなぁって」
「何を言うんだ。お前ワラにもすがらなきゃマズイ成績だぞ。このイーノスがそんなこと言うのは初めてなんだ、遠慮なく教えてもらえ」
ワラにはすがっても危険人物にはすがりたくないんです! へるぷみー!
しかし、断れるはずもなく……。昨日と同じ初級水魔術用自習室で私は勉強を教わることになったのだった。
二人っきりでお勉強。ゲームではおなじみだったネタだね! でも断じて悪役と空気の組み合わせでははい。
「ユージェニア・フィアス……ユージェニアというのですね。僕のことはご存知ですか」
無表情でイーノスが首を傾げて聞く。ええ過去もちょっと未来も目的も知ってます、とは言えない私。
「第四学年のイーノス・ブレッティンガム、先輩」
「そうです。できればイーノスと呼んでください」
「イーノス先輩?」
「いいえ、ただイーノスと」
「イーノス」
「はい」
小さな微笑み。うっかり見惚れたけど、おい無表情キャラはどうした。
「ユージェニア、昨日お会いしましたね」
「そ、そうですね」
「笑ってしまって失礼しました」
謝られた。しかも敬語はいらないと言い、その後は真面目に勉強を教えだす。魔術理論。
おかしい。冷酷無情の悪役はどこに行った。コイツまさか別人なんじゃ……。
「そこ、今間違えたところ。さっきも同じ間違いをしました」
「えっどこ」
「ここです。いいですか、もう一度説明しますよ」
優しい。しかも丁寧でわかりやすい。私は結論づけた。コイツ別人だ!
「イーノスは双子?」
「兄弟はいません」
否定された。では一体その身に何が起こったんだんだ。
それから二週間。
放課後の勉強会はほとんど毎日続いた。休日まで呼ばれて仲良くお勉強だ。いくら教えてくれるのが可愛い美少年でも、そろそろうんざりだ。勉強づくし。悪役だし。
おかげでこのごろゲームの進行が見えない。……だが、あの花瓶を落とした後、ちゃんとイベントは続いたようだし、金髪美女のグリゼルダ様が私の前に現れるということもない。
イーノスの謎の行動以外、物語は何も狂っていない。と、なると日数的に、そろそろ次のイベントが発生するはずだ。
次のイベントは……確か……………あ。
主人公たちが休日のデート中、学院の近くの原っぱで魔物に襲われるんだ。黒幕はイーノス。魔物を操って襲わせていた。
となると、今度の休日は勉強しないでいいんだ私は自由だ。バンザイ自由! 部屋にこもってゴロゴロしよう。いや、たまには私のゲームの中で一番のお気に入りキャラだった攻略対象、主人公の担任教師を見に行くのも良いかも。あの色気がたまらない。
「ふぅ、これだけできれば魔術理論と魔術史は安心ですね。今週の休日は勉強はやめましょう」
「本当!?」
わあいっ、予想通りのセリフだ。大好き休日!
「でも……そのかわり」
ん? 何かなイーノスくん。そんな無表情に微かに照れなんて浮かべちゃって。悪役に似合わない表情だぞ。いや、しょっちゅう微笑んでるから、すでにキャラは崩壊してる気もする。ゲームは平気か心配だ。
しかし友人などに彼が微笑んだと言っても「とうとう目まで馬鹿になったのね」と同情されるだけだった。までって何だまでって。しかも崩壊してるのは私の前だけか! 何でだ。
「僕と一緒に町に行きませんか。広場で旅芸人が芝居をやると聞きました」
しまった。耳がおかしくなったらしい。今休日に黒幕するはずの美少年にデート(?)のお誘いを受けたぞ。ちょっと自分の耳をトントンしてみる。おーい耳よ大丈夫?
「だめ、ですか」
おおう。心なしかショックを受けている無表情。聞き間違いでは無かったらしい。ちょっと待て。
「いやいやいや。ダメじゃないけど、イーノスは休日は用事があるんじゃないの?」
「用事……?」
「ほら原っ……いやいやホラ、自分の勉強とかお友達と遊んだりとか」
年上美少女主人公リネットちゃんと第三王子のストーカーしたりとか。するよね? してきてよ。
イーノスはこてんと首を傾げた。迷惑なほどに可愛い。
「あなたのそばにいたいです」
誰かコイツをもとに戻してやってください。
そうして悪役と空気の休日デート(?)は決行された。お芝居は面白かった。そういえば王太子のルートでこれを見に行くイベントもあった、と思いだして嬉しかった。
「面白かったですか」
「うん。あらすじしか知らなかったから、全部見られて楽しかった」
「そうですか、あなたが喜んでくれて良かったです。ユージェニアは笑っているときが一番可愛い」
「ぶはっ」
誰コイツ! 思わず横向きにお茶を吹き出してしまった。カフェの店員さんごめんなさい。
「かかかかか可愛いって何」
「定義をご所望ですか」
「違う! かかかか可愛いって」
「あなたは初めて会ったときから可愛いかったです」
初めてってアレか、花瓶キャッチしたときのアレ。あんなものの何が可愛い。悪役の思考回路は意味不明だ。
「初めて見たとき、空を見上げる後ろ姿に目を奪われました。そして花瓶が降ってきたときの見事な動き、振り向いたときの表情、その変化。あんなに笑ったのは生まれて初めてです」
それ可愛いんじゃなくて馬鹿にしてる!
「あなたといると楽しいんです。こんな気持ちは初めてで…………迷惑ですか」
もじもじしながら頬を染めるな! 私に年下趣味はない。しかも声変わりも前の十三歳なんて、十五歳プラス前世分年齢の私が手を出したら犯罪じゃないか。
いやそもそも今のは告白なのか。聞いてみよう。
「迷惑じゃないけど、その、ええと、それは平たく言っていったいどういう気持ち?」
「ただ、あなたさえいればあとはどうでもいい、いつでも僕がそばにいるのを許してほしい、というだけの気持ちです」
それ多分だけって気持ちじゃない。なんか危険な香りしかしないセリフだったぞ少年。
「たとえ迷惑でもそうせずにはいられないんです。許してくださいね、ユージェニア」
微笑まれた。
この日当然主人公達にジャマは入らず、それからもイーノス関係のジャマは全く入っていない様子だった。そして第三王子ルートでイーノスの邪魔がないと、あとはグリゼルダ様と王子の婚約関係しか問題がない。
なんだかゲームは倍速以上の速度で進み、半年後のゲーム終了の時期前に、王子とリネットちゃんのただのなんの問題もないラブラブ世界が出来上がっていた。悪役美少年がいないとなんて楽な!
「くっそう」
「どうかしましたか」
王子達が飛ばしたイベントを想い、力みすぎてコップの水を波立たせた私に、静かなのにどこか優しい声がかかる。現在水をお湯に変える魔術をイーノスに教わっている途中だ。筆記はなんとかなったが、実技の点が悪かった。
「少し温度が上がったようです。もう少しがんばりましょう」
楽しそうな美少年。彼は放課後いつでも私といるくせに、首席を突っ走っている。ズルイ。しかし私は気付いた。彼がここにいるおかげで誰の命も狙われず、国も安全安泰なのだ。
いやあ、私って救世主?
「なにか楽しいことを思い出しましたか」
その声に私はにっこり笑った。隣りに座っているイーノスの頬にちゅっとキスする。
「イーノスって可愛いよね」
「っ……!?」
悪だくみするくらいなら、笑っていればいいよ。
「あなたはいつも読めない」
そう言った真っ赤な顔はどこまでも年相応で、やっぱり可愛かった。
お読みいただきありがとうございました。
2018/1/5 本編とあらすじの矛盾に気付き、あらすじを少し変更いたしました。申し訳ございません<(_ _*)>
1/8、1/12 誤字訂正いたしました。