ヘルボッパーズ
ハイラム・キング・ウィリアムズは死んだ。チャールズ・ハーディン・ホリーは死んだ。エルヴィス・アーロン・プレスリーは死んだ。ジョン・ウィリアム・コルトレーンは死んだ。李小龍は死んだ。フィリップ・キンドレド・ディックは死んだ。ロバート・ネスタ・マーリーは死んだ。レイフェル・アロイシャス・ラファティは死んだ。ケビン・マイケル・アリンは死んだ。柴田和志は死んだ。栗原清志は死んだ。榎本喜八は死んだ。武良茂は死んだ。
だからと言って! なぜ俺まで! 死ななければならないんだ!!
そう叫んだっきり、勘定も済まさず外へ飛び出して行った山田ダチトが「ヘル・ボッパー」にまたひょっこり顔を出したのは、実に二十年ぶりのことだった。
「ずいぶんと久しぶりじゃないか、ダチト。うちはツケは利かないとあれほど言ってあったはずだがな」
店主の泉田ギキョウは年食ってなお、思春期まっただ中だった。まだまだ一皮剥けたばっかりの、つやつやしたタマネギだった。何かを強烈に信じたいと願いながら、何かからの裏切りを確信していた。下品な話に興味津々に耳を傾けながら、心の中で悪態を吐く男だった。全てを見下しながら、嫉妬の炎で身を焦がした消し炭だった。
「ああ、あの時は悪かったな。死ぬのが怖くてたまらなかったんだ。だが、もう怖くない。俺は不死を手に入れた。金はないがな」
山田ダチトもまた、思春期の最中にはまって身動きがとれないでいるくちだった。意味のないことに意味を見出すのに無上の喜びを感じていた。自分は全てをなぎ倒す嵐だと思い込む、心地よいそよ風だった。常識の檻の中でブーガルーを踊る、陰気な道化者だった。何もかもを傷つける気概を持っていながら、傷を負ってばかりいた。
「不死か。なかなかいいもんを手に入れたな。だが俺は、なぜかは知らんがこの季節にビーチサンダルを履いているようなやつはあまり信用できないんだ。なぜかは知らんのだが」
「このビーサンは俺のお気に入りだ。それ以上小馬鹿にしてみろ。ちょっとしたことになるぜ」
ペタペタ音をたてながら、山田ダチトは店の中を歩き回った。足は真っ黒で、爪がひび割れていた。大部分が擦り切れたズボンは、辛うじてジーンズと呼べなくもなかったが紙一重だった。飼い慣らされていない毛に囲まれた目玉をぎょろぎょろ動かして、ぶつぶつ独り言を繰り返した。
「おまえさん、狂っちまったのか?」
やめたタバコに火をつけながら泉田ギキョウが言った。タバコを吸っていない時の泉田ギキョウは禁煙中だった。
「馬鹿野郎だな、おまえは。俺は長い長い旅をしてきたぜ。おまえがこんなへぼいカウンターの中で一歩も動かないでいる間にな。色んなもの、色んなやつを見てきた。結論は、こうだ。この世界は狂ってる。一分の隙もなく、完全に狂っちまっている。おい、タバコを一本くれよ! ……どうも。……狂ってるんだ、何もかもが。昔も今も狂って狂って狂いまくって、それが当たり前だ。俺が狂ってるって? 狂ってないやつがどこにいる? 命、この星、全宇宙、何から何まで病気持ち、治る見込みは未来永劫ないときた。みんなとっくの昔にわかっていることさ。俺にゃどうだっていいことだがな。世界は俺をお呼びじゃないし、俺だって世界を必要としていない。俺が俺の全て。俺こそが俺だ。俺は俺で、おまえはおまえ。それでもおまえは俺を狂ってると? 勝手にするさ。未練たらしく壁に掛けてるあのギター、持ってこいよ。おい、聞こえないのか! 俺の、ギターを、よこせって、言ってんだよ!!」
かつて二人はヘルボッパーズだった。山田ダチトが赤いギター、泉田ギキョウが黒いベース、どこかの誰かが騒々しいドラムを、それぞれ担当していた。ヘルボッパーズはごく一部の悪ガキを熱狂させたが、金にはならなかった。熱狂したのは金のないやつか、金を払う気のないやつだった。それが嫌になってどこかの誰かはヘルボッパーズを抜けて、グリーディーマンチキンズの一員になった。グリーディーマンチキンズは多くの馬鹿を熱狂させ、それなりの金をどこかの誰かにもたらした。今じゃどこかの誰かは猛スピードで「ヘル・ボッパー」の前を一日一回、一括払いの911カレラで通り過ぎるのが趣味だともっぱらの噂だった。
「何か飲むかよ」
「俺は酒はやめたんだ。死を克服した今、酒を飲む必要なんてどこにある? だがどうしてもと言うのなら頂こう」
地底人のドラムロールのような音がした。どこかの誰か、あるいはどこかの抜け作が通り過ぎたのだった。
「ひどい味だ。もう少しいい酒を置いたらどうなんだ」
「金のないやつに出す酒があるだけでもありがたいと思いやがれ。しかしおまえの方もひどい音だぜ。もともとテクがあるほうじゃなかったが、かつてのおまえのギターには温かいものがあった。独特のふんわりとした手触りがあった。今じゃてんでばらばらだ。ほとんど騒音と言っていいが、だが……なんだこれは! おいダチト、おまえは何をやってるんだ!」
「わからんのか? 呼んでいるのよ!」
「一体何を、何をだ! やめろやめろ、こいつはヤバい! ヤバすぎる!」
「稲妻! そして悪魔だ! ほら聞こえるか? 雷鳴の轟く音だ。気をつけな、稲妻がここらを切り裂くぜ。だが悪魔は何をモタモタしてやがる? 野郎、もう一度ぶっとばされたいのか?」
高音がとぐろを巻いていた。静電気がパチパチ騒ぎ、二人の髪を逆立てた。グラスやら酒瓶やらがコトコト音を立てて揺れていた。時計の針がありえないスピードでのたうち回っていた。人魂が物珍しそうに集まってきた。姿の見えない子供たちが、くすくす笑いながら店内を駆け巡った。気温が急上昇した。テントウムシの群れが共食いを始めた。
「おまえ、俺の店をどうするつもりだ! やめろ、やめないか!」
「別にどうなったっていいが、どうこうするつもりはないぜ。悪魔、悪魔だ、あの野郎どこで道草食ってんだ? ちくしょう、なめやがって」
そこかしこに渦ができていた。火山の臭いがあたりに漂っていた。水槽の金魚はぴょんぴょん飛び跳ね、便所からヒキガエルが溢れ出てきた。耳をつんざく亡霊どもの悲鳴がところ構わず響きわたった。地面は懸命に踏ん張っていた。が、こらえきれずにとうとう地震を起こしてしまった。
一人の男がひそやかな足どりで「ヘル・ボッパー」に入ってきた。驚くほど青白い顔をした男だった。地震に気を取られていた泉田ギキョウはその男の存在に気づかなかったが、山田ダチトは男が入ってきた時に吹いた物静かな風に敏感に反応した。瞬間、男と山田ダチトの視線が交錯した。お互い目が怒りで真っ赤に燃えていた。
山田ダチトがもの凄い勢いで男に駆け寄り、振りかぶった赤いギターをそのまま男の脳天に振り下ろした。取り返しのつかないような複雑な音がして、青白い顔の男はばたりと倒れ、動かなくなった。
「おまえ、うちの客になんてことをしてくれるんだ! おお、かわいそうによ……こんなに頭がひしゃげちまって」
「こいつは客じゃない。悪魔だぞ」
「おまえこそ、客じゃないんだよ!」泉田ギキョウは山田ダチトを睨んで言った。「悪魔だろうがなんだろうが、ここにふらっと立ち寄ったなら立派な客だぜ。俺はどんなちんけな客にだって最大限の愛想とユーモアでもてなしてきたんだ。この店が二十年以上も続いている秘訣はそこなんだ。それがおまえ……渦やらヒキガエルやら幽霊やら、金にならない連中ばっかり呼び寄せやがって。昔からおまえはそうだったよな」
「テントウムシちゃんを忘れるな。ほら、ついに最強のテントウムシが決まったぞ。やはり俺が睨んだとおり、ナナホシが最強だったな」
「どうだっていい。テントウムシだって俺のもてなしを受ける資格はないんだからな。なにが世界最強のテントウムシだ、俺の方が圧倒的に強いぞ!」
「おい、やめろ! 俺は虫を殺すやつを絶対に許しはしない」
「うちの客の頭を潰したやつが何を言いやがる」
「うるせえ! こいつは悪魔だ!」
再び赤いギターがうなった。何にも繋がっていないはずなのに、増幅され、歪みきった音は、いまや目に見えるほどだった。音はジグザグに鋭利な軌跡を残して「ヘル・ボッパー」を突き抜けて、螺旋を描いて上昇し、上空の分厚い雷雲に吸い込まれた。赤いギターがうなったぶんだけ吸い込まれ続けた。更に勢いを増した雷雲は暗い緑色を帯びて、今にもはちきれんばかりになった。実際にはちきれて、巨大な雨粒がぶちまけられた。山田ダチトの赤いギターと雨音との勝負となった。だが雨音が優勢だった。
「ダチト、おまえ何をしているんだ? 悪魔は来た、稲妻も時間の問題だ。これ以上、何が欲しいってんだ!」
「うるせえ! うるせえんだよ、ギキョウこの野郎! おまえはいつからそんなやかまし屋になりやがったんだ? 悪魔を蘇らすんだよ馬鹿」
赤いギターのヘッドがカウンターに向けられた。音が暴れまわり、酒瓶やグラスが破裂して、換気扇にへばりついた油の塊から炎があがった。備え付けのスツールが景気よくジャンプした。冷蔵庫の扉が吹き飛び、ビール瓶の栓が抜けて泡が吹き出した。
「頼むからやめてくれダチト! この店は俺の全てなんだ、来週には常連たちが集まって二十五周年パーティーを開いてくれる予定なんだ、気持ちも金払いもいいやつらばかりさ、そうだおまえも来たらいい、おまえはタダでいいから、なあお願いだダチト、やめてくれよ!」
「寝言を言ってんじゃねえよ、おまえの全てはおまえだろうが。いいから手伝えよ、雨の野郎がなめてきやがる。ほら、ぶっとい音をよこせよ。黒いベースを手にとるんだ! おまえのふやけた芯に電気を通して、背筋を伸ばしやがれ」
山田ダチトに言われるまま、泣きべそをかきながら泉田ギキョウは埃を被った黒いベースを取り出し、一つはじいた。音は勝手に野太く増幅され、泉田ギキョウの臍下を貫いた。泉田ギキョウは屹立した。
「叫べ!」
山田ダチトに言われるまま、泉田ギキョウは絶叫した。泉田ギキョウは錆付いていない自分自身に驚いた。指が、指板の上を蛇のようにうねった。弦をはじく度に、脳みそからペニスの先まで電撃が走った。頭をがくがく揺らしながら、腰を一気に落とした。レーザーで焼き消した刺青が、鋭い痛みとともに復活した。それどころか以前よりもずっとかっこよく、泉田ギキョウ好みになっていた。ヒップスター風のヘアースタイルは、甘ったるいココナツの香りの動物性ポマードでべったり撫でつけられ、黒々と男らしく輝いた。いつの間にか尻のポケットに刺さっていたエースコームを抜いて、泉田ギキョウは前髪を盛り上げた。慣れた手つきで横を潰した。手についた油を尻で拭き、スライドで音を爆発させた。
一方その頃、山手通りを流していた911カレラのエンジンが大爆発を起こした。どこかの誰かがきりもみ状態で吹っ飛んでいき、雷雲がそれを平らげた。雷雲の中で、どこかの誰かは稲妻にたっぷり引き裂かれて、どこかの誰かだったものたちが東京湾に降り注いだ。
「ざまあみやがれ!」
山田ダチトがケケケと笑った。
「何がだ?」
泉田ギキョウが頭をぶんぶん振り回しながら尋ねた。
「わからん!」
ケケケ笑いを止めずに山田ダチトが答えた。
「何か知らんが、俺もそんな気がしたぜ!」
「いいぜ、実にいい! だいぶ泉田ギキョウになってきたな。どうだ、まだこの店がおまえの全てか?」
「いや、そんなことはない気がしてきた」
「じゃあ燃やしちまおうぜ!」
「実はそうしようと思っていたところなんだ」
轟音をばらまきながら、二人は赤いギターと黒いベースをめったやたらに振り回した。雨音は負けを認めることができずに、なおも乱暴に地表を打ちつけた。いよいよ雷雲がどす黒い光を放ちはじめ、奔放な雷鳴のビートはやんちゃさを増すばかりだった。水槽の金魚が、水槽どころか「ヘル・ボッパー」を飛び出し、巨大な雨粒から雨粒へ器用に渡り歩いて、昇天した。幽霊たちは悦びの渦に撹拌され、一体の強大な魔人に成長した。ヒキガエルたちは一斉に仰向けになって、ずくずく色の毒の息を吐き出した。毒の息を胸いっぱいに吸い込んだ二人は、更にハイになって鼻血を吹き出した。
稲妻が閃光と爆音を引き連れて、世界を引き裂いた。稲妻が定めた最初の着地点は「ヘル・ボッパー」を置いて他になかった。十億ボルトの電圧と十万アンペアの電流が炸裂した。避雷針なんて目じゃなかった。稲妻の本気は全てを凌駕していた。
人だかりができていた。各々が拳を振り回し、体当たりを繰り返していた。そのほとんどが悪ガキだった。炎に巻かれた「ヘル・ボッパー」も見ものだったし、その中から聞こえてくる音が何より連中を魅了していた。とてもじゃないが、じっとしてなんていられない、血液に直接作用してくる音だった。消防は来ていなかった。きっと誰も呼ばなかったし、呼んでいたとしても他の火事に手一杯だった。このあたりでは「ヘル・ボッパー」よりも優先して守りたい建物はいくらでもあった。そのうちのいくらかが、炎上していた。稲妻が暴れまわった結果だった。
炎の中で、悪魔は目を覚ました。
「やっと起きたか。ねぼすけ悪魔め」
悪魔が歯を剥いて山田ダチトに飛びかかろうとしたが、強烈な蹴りを喰らって吹っ飛んだ。
「おい悪魔。おまえは一度ならず二度も俺にぶっ飛ばされて、そして今またけっぽられてそのざまだ」
「なんだおまえ、前にもダチトにぶっ飛ばされてるのか?」
うねる炎と歪んだ音の洪水の中、泉田ギキョウはせせら笑いを浮かべた。
「ああ、こいつは俺が不死を求めているとどこかから聞きつけて、胡乱な契約を持ちかけてきやがったんだ。そいつは一見すると俺に有利な契約だった。俺の気持ちも固まりかけたんだが、よくよく契約書を読んでみるとそいつはとんでもない引っ掛けで、はなから不死なんて影も形もない詐欺話だったってわけだ。さすがの俺も頭にきたんで、この野郎をちょいと痛めつけてやったのさ」
悪魔がぷいっとそっぽを向いた。拳を固く握り締めて、わなわなと震えていた。
「悪魔、悪魔よ。おまえじゃ俺はどうにもならんぜ。これから先も、俺にぶっ飛ばされ続けるか俺らの仲間になるか、二つに一つだ。いいか、俺がぶっ飛ばし続けると言ったら、絶対にぶっ飛ばし続けるぜ。ぶっ飛ばしてぶっ飛ばしてとにかくぶっ飛ばす。それが嫌なら、俺の手にキスしな」
顔をこれでもかと歪ませながら、悪魔は山田ダチトの手にキスした。泉田ギキョウがピュウと口笛を吹いた。炎の勢いが増し、魔人が手を叩いて祝福した。悪魔はあまりの屈辱に涙を流した。悪魔の涙は可燃性だった。黄緑の強烈な炎の風が吹き荒れた。
「よしよし悪魔、泣くのはおよし。おまえはたった今からヘルボッパーズの一員なんだぜ! ヘルボッパーズに涙は厳禁だ! さあ悪魔よ、おまえは歌だ! 歌え、悪魔の歌を声高らかに!」
悪魔の歌声はお上品な代物ではなかった。だが魔性に満ちていた。雷雲のやんちゃに過ぎるビート、泉田ギキョウの黒くおどろおどろしいベースラインを悪魔は軽々と乗りこなした。山田ダチトの赤いギターは素晴らしく鋭い冴えを見せていた。悪魔も負けじと素敵なヒーカップを披露した。
やがて炎が消え、音も消えた。空は晴れていた。「ヘル・ボッパー」の焼け跡には誰もいなかった。悪ガキどもはそれぞれの道へと消えて行った。
ヘルボッパーズ、そしてやつらは旅立った。だがこれで終わりではない。暗い緑色を帯びた雷雲が空を覆った時、稲妻とともにやつらは現れる。今はただ、その時を待て。震えて眠れ。赤いギター、山田ダチト。黒いベース、泉田ギキョウ。魔性の歌、悪魔。やんちゃなビート、雷雲。
やつらの名は、ヘルボッパーズ。