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本音

作者: テン

 夏祭り。健全な高校生の心を燻らせ、求愛に盛る宴。私の友達が、その日の為に鎬を削り合っている中、私は早々とある人物と密約をしていた。

 だが、それは誰にも言えない会合。

 何が彼をそうさせたのか、彼自身もわかってないに違いない。私達にとって利も無く、他人にとって害もない。

 それは、

「本を燃やしたい」

 という一言から始まった。


 二人で部室を掃除している時、彼はさりげなく言った。確かに、部室にこんなにあっても読む人がいなければただのお荷物。いっそのこと売るか燃やしてしまいたくなる。

「焼き芋には少し早いかな」

 自分でも情けないくらい、馬鹿なことしか言えない。

 パラパラと音をたてて本をめくる。こんな古臭い紙を、燃やして作る焼き芋なんて。

言いつつ、彼に笑いかける。

 だが、彼の顔を見た時、私の発言は本当に馬鹿らしかったことに気付かされる。

 笑顔。苦笑い。嘲笑する顔。あきれる顔。そのどれかを期待していた私は、思わず固まってしまう。

「そうじゃない」

 箒を持ち、夏仕様の制服に身を包む彼に惚れ惚れとしてしまいそうだが、その顔を、その表情を見た時、邪な思いはどこかに消えた。

「燃やしたいのは、ここにない本。誰にも手を付けられていない汚れなき一冊の書物」

 私は本棚を掃除するのを止め、彼の顔を見入る。

 わからない。彼の表情からは思いは読めず、そしてその願望の意味も理解できなかった。

「その行為に意味はあるの?」

「ない」

「じゃあしない方が良いよ」

 そう言いつつ、私は掃除を再開する。

だが、〝誰にも手を付けられていない〟、〝汚れなき〟という部分に、白いベールに落とすシミの如く、何か綺麗な物を汚してみたい、初雪を踏み荒らす様にぐちゃぐちゃにしてみたい、そんな何かわからない、言葉に出来ない魅力を感じ、私は胸がぞわぞわとした。

「背徳感」

 彼からそう言われ、私の胸に冷たい何かを感じた。その何かは気持ち悪く、だが同時に快感の様なものが湧きあがって来ていた。きゅっと心臓が引き締まり、ずんと重く、胸の内から怖気が広がる。やがてそれは体中に広がり興奮へと変わる。一種の快感だろうか。ぞくぞくするとはこういう事だろうか。

 本を読み。文を書き本にする。文芸部員にとって本とは生きるうえでなくてはならないモノ。それを廃棄のためでなく、意味なく燃やす。聖書を燃やすのとはワケが違う。意味なく、ただ無残に燃やす。聖女が姦淫に溺れるかのごとく厭らしく、そして甘い誘惑。理屈では語れない欲求。

「お手頃な禁忌、犯してみたいと思わないか?」

 〝禁忌〟。駄目だった。その言葉で、私は堕ちた。

 良い人。自分で言うのもなんだが、私はその典型的な例だと思う。ぐれてみたい。そう思ったことは一度や二度じゃない。しかし、罪悪感が強く、私は荒れることが出来ない。

 そんな私に、悪行の誘い。そしてなにより、彼と共通の秘密を持つことに、心が躍った。

「興味が湧いたみたいだね」

 微笑む彼。たまらなかった。激情に身を任せてしまいそうになるが、どこか受け入れられてしまいそうで怖かった。そんな私の葛藤を知ってか知らずか、彼は嘲笑するかのように私を見つめた。

 胸が痛む。

 だが、その顔から眩しい笑顔に変わるのだから、たまらない。

「決まりだ」

 そう言う彼の笑顔を、眩しいと例える他に、私は言葉を知らない。

 そして契る。

 終業式。

 夕方から始まる夏祭り。

 花火の上がる河川の橋。

 その下で、私達二人。

 ふたりだけで。

 ただ、一冊。

 一冊の本を、燃やす。

 夏祭りの花火の陰で、私達は隠れて本を燃やす。

 燃える本は、花火の如く優雅に散らず、ぬかるみを刎ねる子供のように跡を濁す。

 その様を二人で見つめるのだ。

 火が移る様から、水をかけられて、燻ることすらしなくなる灰になるまで。

 生まれてきた意味を、理由を、生きがいを知らぬまま。自分の価値を知る機会を得られぬまま。読んでもらうという願いを叶えられぬまま。

 無残に。残酷に。

 その時、私達はいったいどんな顔をしているのだろうか。

 思考し唸る私に、もう一度、彼は微笑んだ。


 その日、私は子供の頃に、男友達と混じって蛙を煮殺した時の夢を見た。残酷な遊びだった。空き缶に茹った熱湯を注ぎ、小さなアマガエルを入れる。それだけ。蛙は一瞬で茹り、ふにゃけた肉塊に変わる。私はそれをただ友達と見つめる。

 命は大切だなんて、道徳の時間に習ってはいたが、簡単に消えてしまう下等生物の命まで面倒見きれない。

 罪悪感。確かにあった。しかし、その時限りだ。

 次の日には、別の遊びで夢中だった。

 命は重い。たしかにそうだ。だけど私には、奇妙に撥ねる緑色の生物よりも、一冊の本の方が、はるかに価値があった。命は金では買えない。綺麗事ではあるがその通りだと思う。しかし、それでも、私にとって一匹の蛙に、本一冊の価値はない。いや、それどころか、世界のどこか、遠く、私に関係のない人間が百人死のうが千人死のうが、私にとっては欲しい本の一冊が手に入らない方が辛いし、哀しい。

 私にとって本とは大切なものだ。

 無関係な命より大切なのだ。

 それを意味もなく燃やす。

 放火したいわけではない。

 放火したいのなら、部室のどうでもよい本を適当に燃やせばいい。

 だが、今回は違う。ただ純粋に一冊の本を燃やしてみたい。誰に理解されるわけでもない彼のこの衝動に、私は道連れになったのだ。


 終業式の朝。私は家族が起きるよりも早く、目を覚まし行動した。

 彼から与えられた役割。

火を手に入れる。それを達成するために。

 なんとなくそういうのは男の仕事かと思っていたが、何から何まで彼に準備させたら、本を燃やした時に何の感慨も得られない気がしたので、了承した。

 火は大昔と比べると、比較的簡単に手に入る。私はその時代に興味はないし、いくら簡単に手に入るからと言って不必要に火を使うことも無かった。

 そしてその文明の利器は、爆弾よりも容易く手に入り、戦闘機よりも簡単に扱え、銃よりもむごく殺せる代物である。

 危険な物、グロテスクな物に興味を持つ時期は、早々に過ぎ去っていたが、心のどこかで残酷な物に惹かれる感情は根強く残っていたみたいだ。

 仏間にある古臭いマッチ、父親がタバコに使う安物のライター、手持ち花火に三回程しか使っていないチャッカマン。私はその三つを鞄に入れ、再び布団に潜り込み眠りにつく。そして妹に起こされるまで、暑苦しくても、寝たふりを続けた。そこまでする必要はないのはわかっている。でも隠し事をすると必要以上に慎重になってしまうものだ。

 家を出ると、いつも通りの日常が始まる。登校、HR、その中で私は非日常を恐れた。警察に職質されないか、先生が持ち物検査を始めないか。いつもは無いことが今日も無いとは限らない。友達と話す時も普段通りを意識し話すが、クラスメイトが鞄に近づくたびに息をのむ。

 突然私の鞄を開けてしまわないか、中を見てしまうのでは、ぶつかった拍子に鞄が床に落ち、中身が散乱してしまわないか。有りうるようで確率の低いことを延々と恐れた。

 緊張し、安心するたびに遠くから私を見つめる彼が微笑んでいた。

秘密を知っている彼が笑う。

 そのことが私の感情を刺激する。気持ち悪く、そしてそれを何故か心地良い物だと思ってしまう自分がいる。思春期特有の感情だろうか。私はこの感情を『恋する際の締め付けられる思い』なんて小説で書きあらわすのだろうけど、そんな響きの良いものじゃない。

 これはどこか淫靡で厭らしい感情。隠しようのない異性への欲求なのだ。

 こんな感情、他人には言えない。隠すしかない。私は普通でありたいから。他人に変な目で見られたくないから。

 彼はそんな感情を小説で赤裸々にする。キャラクターを通して自分の感情を、思いをぶつける。文体以外では決して見せない感情を、私は垣間見た。

 私だけが知っている彼の本当の姿。

 私はいつしかそれが見たくなっていた。人の本心というものに興味が湧いたのだ。

 彼はすべてを見透かしているかのように私を見て笑う。私の思いも隠しきれていないのだろうか。

 だが、その考えは杞憂に終わる。

「後で買えばいいのに」

 移動教室ですれ違った際に彼に言われ赤面する。笑いに深い意味などなかった。

 確かにそうだ。百円ライターならまだしも、マッチを買っても不審に思う人などいないのに。

 そして何より、彼を知った気になっていた自分が恥ずかしかった。


「本を買いに行こう」

 彼は、放課後私に近づきそう言った。私は彼が本を用意しているものだと思っていたため、少し戸惑った。私を見てニコニコと笑う彼は話を続ける。

「河川の近くに大きな書店があるから、そこに行こう」

「行ったことはないけど、知ってる。買う本は決まってるの?」

「いいや。そこで決める」

 燃やす本も決まっていないことは少し意外だった。燃やしたい本があったから、今回のことを実行しようと思ったのではないのか。

「祭りで道が混むかもしれないから、早めに行こう」

 早々と鞄を手に取り、私を促す。

 彼と二人で歩くのは珍しいことではないが、いつもと違うことをしようとしているため、私の心臓は高鳴っていた。本を燃やすだけのはずなのに、日常を変えてしまいかねない出来事が待っているような気がしていた。

この程よい緊張感が続いて欲しくもあったし、早々に終え、家で悶々とした気持ちを晴らしたくもあった。

「そう言えば」

「なに?」

 気張らず、自然を意識して彼の方に顔を向ける。

「洋書と和書、どっちが好き?」

「英語はわからないし、どちらかというと日本の作家の方が好きだから、和書かな」

「奇遇だな。俺もそう」

 二択で奇遇もなにも無い気がする。そう聞く前に、

「じゃあ、日本人作家の本にするか」

 そう無邪気に笑われた。

 何故あえて好きな方を燃やすのだろうか。陽気に微笑む彼に聞いても「なんとなく」としか反応が返ってこなかった。

 そう、なんとなくなのだ。ここから先、理屈は無い。ただなんとなくそうしたかっただけ、それだけなのだ。

 本屋に着くと彼は他の本には目もくれず、日本人作家のコーナーに足を運ぶ。

「わがまま言っても良いかな?」

 そもそもが彼のわがまま。付き合うしかない。こくりと頷く。

「俺ハードカバーの本がいい」

「高いよ」

「うん。でもその方が得られるものが大きいと思うんだ。それに渋ってもしょうがない」

 皿を割るような感覚だろうか。安物より、良いものを割った時の方が、音も良く。派手に散る。だがその分後悔も大きい。彼には被虐性欲でもあるのだろうか。

「多分一度限りだから贅沢したいんだ」

「わかるような、わからないような」

 でも、四百円のコミックを燃やすよりも得られる快感は大きいだろう。

「一二〇〇円から二五〇〇円までかな」

「それも」

「なんとなく。まぁ財布と相談した結果でもあるけどな」

 だんだんと彼の嗜好が読めだしたようだった。安過ぎず、かといって無理して身に合わない高すぎる本など燃やせない。

「一冊で完結している方がいいんでしょ」

「うん、続編も無いのがいいな」

 読みたい本ではなく、燃やしたい本を選ぶ。違うようで、本質は似ているのだと思う。好きな本を理屈で説明していっても、最後にはなんとなくで終わってしまう。結局は感情論でしかない。読みたい本も、燃やしたい本も人それぞれだが、私と彼はどこか似通っていた。

「私、昭和期の本を燃やしたいな」

「なんで?」

「なんとなくって言いたいところだけど、私にとって昭和はこの日本においての大きな動乱期であり、悲劇的な時期だったと思うんだ」

「明治や大正も結構ゴタゴタしていると思うけど?」

 確かに動乱期ではあるけど。どこか違う。その違いを必死に口に出そうと模索する。

「……そうね、明治や大正ってどこか身近に感じないの。百年はたっているし。昭和はさ、小学校や中学校で嫌と言うほど戦争時の映像を見せられたでしょ。だからまだ身近に感じるんだ。あの時の嫌悪感覚えてない?」

「ああ、確かに嫌だった」

「そんな時期を生きた人の本って、なんだが陰鬱で、でも生命力に溢れている様に感じるんだ」

「すごく顰蹙を買いそうな答えだな」

 そう言い、彼は棚に並ぶ本の背表紙をなぞる。その行為に意味はなく、呆れてしまったのかと不安になる。

「でも文豪ってその時期に多くの作品を残してると思うんだ。だからこそ昭和の作品が良い。私達はこれから悪いことをする予定でしょ。やってることは同じでも、より悪く、背徳感を覚えるような気持ちになるには、そんな人たちの作品を踏みにじらなきゃ」

 どこか言い訳がましく、言葉を続ける。何を焦る必要があるのか自分でも解らない。だが、本音を言ったまでだ。怯えていても仕方がない。

「文芸部員とは思えない程、酷い台詞。嫌いじゃないけど、それが君の本性か?」

 少し心に刺さるような言い方をされたが、取り繕うような嘘を言ったところで意味はなく、浮かんだ言葉、本心をそのまま彼に告げる必要がある。

「そうなのかもしれないし、ただ異様な空気に飲まれて気が狂っているだけなのかもしれない。踊り子が舞いに舞って酔い散らす様に、舞酔い、忘我の境にあるのかもしれない。でも、今は酔っていたい。この思いから覚めずに」

 覚めるのが怖かった。冷静になると私たちのしようとしていることは馬鹿らしく、ただただ何でやったのかもわからない、人生の汚点にすらならない、無意味なことなのだ。いつかは蛙を煮殺した少女時代の様に、ただの記憶でしかなくなる。そこには懐かしい以外の感情はない。

「素直になったな。じゃあ昭和期の作家で決定」

 無邪気に笑う。素の自分が認められた。否定されるのではなく受け入れられたのだ。それが嬉しくもあり、また一歩、平穏とは遠ざかってしまった気がした。

「この本なんてどうだ?」

 彼はそう言い、一冊の本を手に取った。その本を私はまじまじと見つめる。

「三島由紀夫の金閣寺か。有名だね」

 恥ずかしながら今まで読んだことがない名作の一つだ。

「実は読んだことないんだ」

 素直に言う。

「俺も」

 だが、予想に反して彼もニコニコと笑う。そんなものなのだろうか。

 これはたしか金閣寺を燃やした青年の話だったか。その話の載っている本を燃やすなんて、酷く趣味が悪い。

「背徳感からさらに恐怖感をプラスするには良い作家だと思う」

「恐怖感?」

「不謹慎で罰当たり。可哀そうな最期を迎えている人の本を無残に燃やすなんて、霊的な恐怖感も味わえるんじゃないか? 祟りとか、呪いとかそう言う類の」

 本当に不謹慎極まりない。だが、目に見えない恐怖を味わうのも一興ではないだろうか。結局私たちは、その一冊に魅入られ、購入する。

 彼が本を買う際、書店員の女性が微笑みながら袋に入れているのを、私はぽーと見つめていた。これからこの本を燃やすんですよ、なんてこの店員に告げたらどんな顔をするのだろうか。興味はあるが、何も見ず知らずの人にまで本心を打ち明ける必要はないだろう。

 支払いが済んだ彼に、そんな妄想を話し微笑を浮かべた。失笑物かと思ったが、彼もくすくすと小さく笑ってくれた。

買った本を改めて見つめ、マッチと一緒に線香も持ってくれば良かったのかな、と少しだけ後悔しつつ河川敷に向かうことにした。


「対岸の火事、か」

 ぼそっと呟いた。意味が違うのはわかっているがなんとなく呟いてしまった。

 川を挟んだ向こう岸では、夏祭りの屋台が並んでいた。反対にこちら側は、人がおらず好都合だった。

「向こうに行きたかった?」

「そうかもね」

 彼の問いに、少しだけ弱音を吐く。

「なんだか淋しいな。共犯者に裏切られた気分だ」

「まだ戻れるよ」

 対岸を指差す。向こうは屋台で人が溢れ明るく、活気に満ちている。反対にこちらは私達二人しか姿が見えない。空は薄暗くなり、お互いの顔が見えづらくなるのも時間の問題だった。向こうにいるのが自然でこちらにいるのは不自然なのだ。

でも私達はその自然に逆らいたい年頃だった。自分を普通と思いたくなく、異常、異端に惚れてしまった。他人とは違うことをしたくてしょうがなかった。

「戻る気はないんでしょう」

「そうだな。やらなきゃ後悔すると思う」

「やっても後悔するってのがまた良いね」

 鞄から先程買った本を取りだす。ニコニコと接客してくれた店員の顔が浮かび、一瞬心を痛めるが、これはその人のモノじゃない。私達が対価を払って得たものだから、文字通り焼こうが煮ようが勝手なはずだ。それでもどこか胸が痛む。気持ち悪い痛み。快感は微塵もない。

「恥ずかしいが、あの店員さんに笑顔で話しかけられて、一瞬躊躇してしまったんだ」

「そうなの?」

「ああ。でも買った。買ったからにはちゃんと燃やさないとな」

 躊躇したと言うことは、どうやら彼も胸が痛んではいるみたいだ。だがそんなことより本を燃やすことに使命感を抱いてしまっている彼が可笑しくてしょうがない。

「読めばいいのに」

「それじゃあ買った意味がないだろ」

「それもそうか」

 可笑しくて笑いが止まらない。気がおかしくなっているのだろうか。少なくとも正常な考え方ではないのは確かだった。

考えつつ、火の元を取りだす。三つ持ってきたがどれが雰囲気に合うだろうか。

「いいのか?」

「何が?」

 ライターとチャッカマンが本当に使えるか確認しながら返答する。これで着かなかったら、苦手なマッチを擦らなければならない。しかし今更何の了承を得たがっているのだろうか。

「せっかくの夏祭りなのに俺とここに居て」

 そんなことか。少し考え、首を横に振る。

「変だとは思う。普段の私なら女友達と一緒に向こうで遊んでたはずだから」

 対岸を指差し不敵な笑みを浮かべて返答する。少し不安げな顔をする彼に、悪戯心が湧いたので、つい否定してしまう。

「じゃあどうして?」

「楽しそうだったから。それじゃダメかな」

 不慣れなライターを点けられず、彼に渡す。ライターは無事に点き、ほの暗い世界をふわりと照らす。安物のライターのくせして、なかなかに幻想的な明かりをもたらしてくれた。

「理由は曖昧か」

「そうだね。でも期待で胸がいっぱいなんだ。紙の束を燃やすのとも、作業的にたくさんの本を燃やすのとも違って、一冊の本を選びそれだけを燃やす。だってこの行動、意味がまったくわからないじゃない。わからないものって怖いし、恐れるし、人によっては崇拝するものでしょ。そこに何故か惹かれてしまったの」

 あはは、と身体の内から笑いがこみあげてくる。これが本当の私の姿なのだろうか、そんな疑問すら浮かばない程、私は雰囲気に酔ってしまっていた。

「はは、なんだ。理由がちゃんとあるじゃないか」

 彼が笑う。また私の酔いに拍車がかかる。

心地良い。ただただそれだけだった。


「マッチにしようか」

 彼がそう提案してくる。

 時計を見る。どうやら花火までもう少しのようだ。

「さっき軽く調べたら、金閣寺の放火にはマッチが使われたらしい」

「史実? それとも作中?」

「一応は史実」

 どこまで不謹慎なのだろう。だがなんとなく選ぶよりも、意味がある方がコトを成した気になるのかもしれない。

「確かにその方が面白そうね」

「じゃあ、いくよ」

 バサッと音をたて、本が地面に落ちる。彼はニコリと笑い、マッチに火を点け本に近づける。

「もう焼いちゃうの?」

「名残惜しくなった?」

「花火が上がってる時にするんじゃないの?」

「ああ、そうだった」

 ふっと息をかけ、マッチの火を消す。ここでも、役割を果たせず、一つのモノが無駄になった。

「どうやら君の方が興味津々みたいだな」

「否定はしないかな。それに雰囲気って大事なんでしょう? なんの為に夏祭りの日に燃やすかもう一度考えてみてよ」

「手厳しいな。本当の君は少し怖いんだね。いつもは本性を隠しているの?」

「失礼ね」

 彼が笑いながら言ってきたので、こちらも笑いながら言い返す。しばらくそんなことを言い合っていたが怒りは湧いてこない。それどころか笑えてしまう。

確実に、どこかが、何かがずれてきている。狂ってきている。でも出来ればこの夢から、酔いから醒めないで欲しかった。おかしいとは感じても、その狂気が正常よりも心地良いのだから。


 そして約束の時間が訪れた。

 花火が上がる。けたたましい音とともに。雄々しく輝いて。

 それとは対照的に幻想の始まりは、シュッと静かに擦られたマッチの、ぼんやりとした明かりからだった。

 音もなく火が移る。

 じわりじわりと、身を焦がす。

 焦りが私を襲う。


 これの何が面白いのだろうか。


 これから面白くなるのだろうか。


ちらと見上げる。

花火が大空で爆ぜる。

綺麗だ。見続けていたい。だが、今私は見上げる続けるわけにはいかないのだ。見下す。いや見下ろす。

 パチパチ。燃える本は、そんな音をたてると思っていた。だが、実際はあまり音を出さず、断末魔すらあげずに燃える。木を燃やして鳴る音は、木の内部の水分が弾ける音であり、本にはそれは無い。

 せっかく選んだ本なのに。汚い。目をそらしたい。

 だが火は、炎だけは美しく見えた。

 それもいつしか消える。

本は灰になり、つまらない存在になる。拍子抜けという言葉が相応しい。

もっと激しく、耳を塞ぎたくなるほどの断末魔を聞かせて欲しい。生まれてきた意味を知られずに消えるのだから、悔しくないのだろうか。

花火のように自分がここに居たことを叫び、伝えてほしかった。

だが、本の音は、淋しく哀しくなるくらいつまらないものだった。


「本音を聞かせて」

 彼はニコリともせず言う。いや、本が燃え尽きるとあたりは暗くなり、彼の顔はよく見えなかった。ただ口調で笑っていないことがわかった。

「思ったよりつまらなかったね」

 私もニコリともせずに言った。酔いから、夢から醒めたように。冷静になってしまった。

 今は先程までの自分を振り返りたくない。

 はは、暗がりで小さく笑う声が聞こえた。

「一人でしていたら、このショックを分かち合う人もなかったわけだ」

 ここで私も笑ってしまった。このままへこんでいるよりは、些細な事でも笑った方が心地良い。

「あなたがショックを受けている顔見たかったな」

「君は予想外に意地悪だな」

「素直な自分を出しただけ」

 いいね、と彼も笑う。

 無邪気に笑い合っていると、一つの案が浮かんできた。

「ねえ」

「なに?」

「明日隣町でも夏祭りがあるから行かない?」

 普通だ。いたって普通。狂気も酔いも無くていい。無理に他と変わったことをしなくても、それで十分楽しいじゃないか。

「確かに、そっちの方が楽しそうだ」

 彼は、私の提案を受け入れ、いつも通りの笑顔を、私に見せた。

 ちらと対岸を見る。

 花火が終ったため、見物客が去り、店じまいを始めている。

 祭りの終わり。

 興ざめ。

向こうとこちらでは終わった時の虚無感はどれだけ違うのだろうか。

 まあ、どうでも良いことだ。

 私は明日の祭りで、何を着ていくかでも考えておけばいい。

 今日の思い出などどうせちっぽけな物になるのだから。



 不審火にしないために、入念に灰を踏み土と同化させる。本のままだったらこんな風に踏みはしないだろうな、等と考えつつも、容赦なく踏み荒らす。

 こんなものだろうか。

 私は靴に付いた灰を軽く払い、その場を後にする。

 風が吹きすさび、あたりの埃とともに地に帰ることのなかった灰を巻き上げる。

 灰になった本はもう音を鳴らすことは無かった。


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― 新着の感想 ―
[一言] こんな背徳があるなんて。 でも、なんだか楽しそう。 文芸部だったので、なんだか当時に戻りました。 すてきなお話、ありがとうございます。
2016/10/01 23:59 退会済み
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