第8話 唯一の希望
目を覚ましたとき、最初に見た光景は看護婦が点滴の薬剤を交換しているところだった。
からだ全体が何かで固定されているように感じた。動こうと思っても動けない状態だったのだ。
「ここはどこ」
そう声をかけると看護婦は驚いた表情をうかべて先生を呼びに行った。
先生から耳にしたくないことを聞かされた。
事故にあってしまったこと。
背中をうちつけたとき、脊髄を損傷してしまったのだということ。
そのせいで、からだが動かせないのだということ。
泣きたくなった。
どうしてこんな目にあわなければならないのか。
運転手への怒りよりもかなしみのほうが強かった。
まだまだやりたいことがたくさんあった。それなのに。それなのに。
涙を流す直前に気づいた。
「動く!」
なんと右手の指だけは動かすことができたのだ。先生も予想外のことに驚きをかくせないようだった。
指だけではなく、腕全体も動かせるような気がした。
「うごけ、うごけ!」
そう言いながら何度も動かそうと試みた。
そしてついに右腕が動いた。
「やった動いた!」
となりに立っていた看護婦の胸をわしずかみすることに見事成功した。
「やった、やったよ。右手が動いた!」
なんども確認するように看護婦の胸をもみしだく。これだけ動かせるならば右手は平気だろう。
そう安堵した直後、俺は気絶した。
看護婦が花瓶で殴ったからだ。
ふたたび目を覚ましたとき、俺はあることに気づいた。
俺は事故にあう1,2時間前のできごとがあいまいになっていた。トラックに突き飛ばされたときの衝撃で脳にもいくらかダメージがあったみたいだ。
誰かと電話で話をしていたような気がする。そこまでは思い出したのだが、どうしても相手のことや話した内容までは思い出せなかった。
まあどうでもいいだろう。別に電話のことなど思い出さなくても死にはしない。それよりも俺はあるひとつのアイデアを実現させることに夢中になった。
実は事故にあってから目覚めるまでのあいだに俺は夢を見ていたのだ。その夢のことは、はっきりと憶えている。未来の俺から電話がかかってきて、俺の身に危険が迫っているのだと教えてくれる。そういう夢だ。
SF映画の見過ぎでそういうヘンテコな夢を見てしまったのかもしれない。だが俺はそれをヒントにして、過去と通話のできる電話を作ろうと決心したのだった。
過去の自分に危険を知らせるために。
もちろんそうかんたんにことは運ばなかった。科学的な知識をまったくもっていなかった俺は、中学生の理科から勉強をはじめなければいけなかったからだ。それにくわえて時空を超える電話作りなどというものに賛同してくれる馬鹿は誰もいなかった。
俺という馬鹿を除いては。
だができないながらも勉学だけはおこたらなかった。
なぜなら俺には自由がなかったからだ。
両足を使って自由に走ることもできなければ、片手が使えないためにテレビゲームですらもたのしめない。俺に残された希望は時空を超える電話のみだったのだ。
俺は何十年という月日を電話作りについやした。その途中で長澤まさみにそっくりな女に結婚詐欺でだまされたこともあった。詐欺師を見抜くプロである俺でさえも彼女のことは見抜けなかったのだ。
さすが俺の愛した女だ。お前を愛したことをほこりに思う。
こわい顔をした闇金の連中に殺されかけながらそう思った。
どんな絶望的な状況でも生きることにしがみついた。
それはもちろん電話を完成させるためだ。