1-5
チラシによる宣伝は、おおむね順調だった。
噂を聞いたという人が現れるようになり、中には知人へ伝えるためにと何枚も受け取ってくれる者すら現れた。
店長の考案した、『高級魔術を記した高級魔道書、高級入荷!』という宣伝文句も好評らしい。ただし彼女の望んだ客を呼び寄せる効果はなかったようだが。
しかし――それよりも。クエストには気がかりがあった。
店先の掃除を終えて店内に戻ると、彼は店主であるネイジに相談することにした。ここ数日、必ず店の前にゴミが散乱していると。
彼女の返事は次の通りだった。
「だからこそ毎日掃除をするんだろう」
しかしクエストはそれに対し、この事件の不可解さについて説明した。
単にゴミが落ちているだけではない。必ず店の入り口を塞ぐようにゴミ箱が蹴倒されている。それも、ゴミ箱をどんなに遠くへ置き直してもだ。これは人為的なものとしか思えない。
するとネイジは次のように意見を変えた。怒りと使命を瞳に宿して。
「つまり妨害工作に違いないので、怪しい人物を焼き討ちにすべきだということか!」
「どうして殲滅したがるんですかっ」
このいかにも胡散臭い自称魔法使いは、どうやら自分の――金儲けの邪魔をされることを極端に嫌う性質があるらしかった。そして同時に、そうした相手への対抗策はなににも先んじて破壊的なものになるようだ。
そういった意味では、彼女の真っ黒な髪やマント、全てを呑み込む暗黒の瞳というのは、まさしく彼女に相応しいのかもしれない。伝説に登場する魔法使いは往々にして、そうした凶暴さを持ち合わせている。
「むう。しかしそれでは焼き討ち魔法というか、魔道書を燃やして投げ込む攻撃がだな」
「もう少し真面目に考えてくださいよ。これは店の売り上げにも関わることなんですから」
「無論、真剣だぞ。しかし確かに焼き討ちは時間がかかるな。片っ端から滅していくには撲殺辺りが妥当だろうか?」
「だから、そうじゃなくてですね」
「む、ならば刺殺――いや、事故に見せかけるのか!」
「だーかーらー」
なおも過激で物騒な作戦を打ち出す店主に対し、それらひとつひとつに反対するクエスト。
しかしそうした言い争いが続く内にネイジの方が苛立ちを増させ、やがてそれを爆発させる。思えば以前、最初に宣伝の仕事を押し付けられた時も、同じように彼女は自棄になっていた。
「あぁもう、じゃあいっそのことお前がやれ! お前がどうやって殲滅するか考えろ!」
「またそうやって押し付ける……」
クエストは肩をすくめた。どこか、あやすように言い聞かせる。
「そもそも俺が言ってるのは殲滅じゃなくて、まずは犯人を探しましょうってことですよ」
「それもお前がやれ!」
「へそを曲げるとこれなんだから……」
自分より年上ではあるだろう店主は、しかし腕を組んでそっぽを向くという魔女らしくない仕草で、怒りに口を尖らせていた。
もうこれ以上は議論をする気もないようで、不機嫌にレジの奥へ座ると、不機嫌な顔のまま本を読み始めてしまう。いかにも子供じみた態度だが、こうなるとしばらくは話しかけても答えてくれない。クエストは嘆息すると宣伝用のチラシを持ち、店を出た。
今はもう掃除を終えて綺麗になった店先を通り過ぎ、薄暗い路地をとぼとぼと歩く。店主の気難しさ、というより短気さへの疲れはあるものの、それはそれとして犯人について考えなければいけないのは確かだ。
「なにしろ、本屋を守るためだ!」
意気込んで、クエストは思考を巡らせた。
毎日ゴミが散乱しているというのは、まず人為的なものであることに間違いなく、動機はネイジの言っていた通り妨害工作――要するに嫌がらせかなにかだろう。なにしろ規模が小さく、その程度の効果しかないのだから。
しかしだとすれば、誰がこんな辺境の本屋を恨むのか。
商売の規模としてもようやく客が入り始めた程度、立地は最悪で、好みを除いた美点といえば巨大さしかない。
あとはまあ、巨大な分だけ一応は本の種類も豊富だろうか。魔道書を名乗る古書が大多数を占めているが、三階建てである店の上層には一般書籍も置かれている。ただし今のところ手に取る客はいない。
そもそも都市の中心地には真っ当な書店が存在する――コンパティ書店は、クエストがこの都市に訪れた際、最初に目指した店でもあった。魔道書以外なら、そこへ行けばたいていの本が揃えられるだろう。
「うちの店を気にするのは、一部の偏執者だけだしなぁ」
結局、そうして犯人特定に行き詰まる。
宣伝の方も、流石にその一部の偏執者たちに行き渡ってしまったのか、今日のところは誰に渡せる気配もなく――
しかし、ふと。
「あれ?」
壁に貼られた紙を見て、気が付く。それは紛れもない魔本堂のチラシ……なのだが。
クエストには、それを貼った記憶がなかった。というより以前、ごろつきの縄張りを示す印の上に貼りけてしまい追い回されたことがあってから、壁には手を付けないようにしている。
なにより、それは確かに魔本堂の広告だが、クエストの持っている物とは内容が違っていた。
宣伝文句の頭に赤文字で『嘘』と付けられていたり、『インチキ店長』と追記されていたり、しまいには店までの地図に『ゴミ散乱中』という注釈が付け加えられている。
さらによく見れば、周囲にも同じようなチラシが何枚も並べられていた。
「なんだ、これ」
疑いようもなく、嫌がらせ事件の犯人による仕業だろう。そして狙いはやはり客足を遠ざけるためか。まだ数えるほどの客すら許さないとは、どれほどの恨みを持っているのか――
「あの店から手を引け」
不意に。
クエストの背後、耳元でそんな囁きが聞こえた。
咄嗟に振り返る。そこには襟を立てた黒いコートと帽子で顔を隠した、謎の男。頭の位置はクエストより低かったが、顔を隠すために背を丸めているので正確なところはわからない。
彼は警戒するクエストにそれ以上はなにも告げず、僅かな沈黙ののちに踵を返した。曲がり角の先に消え、クエストも我に返ってすぐに後を追うが――そこにはもう姿がなくなっていた。
「あいつが犯人、か?」
声はくぐもっていて仔細な判断は出来なかった。ただ、店主に負けずとも劣らないような自尊心というか、一種の偏執的な信念と、それに関連付けられた強い怨嗟は感じられた。それが魔本堂に向けられていることは疑いようもない。
「これは……厄介なことになりそうだな」
単なる悪戯ではないだろう――クエストは足元に落ちていた小さな紙を拾い上げる。
そこには血の滲んだような赤い文字で、『悪しき本屋に鉄槌を下す』と書かれていた。




