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「毎度ありぃ♪」

 不気味な未踏の館を思わせる魔本堂に、そんな軽快な声が響く。

 仄かな明かりだけがまばらに照らす、広大な店内の風景――三階層に分かれながらも、ひとつひとつがたいていの店よりも巨大だろう。そしてそれら全ての階層に並べ詰められているのは、他でもない魔道書だ。いかにも魔術的な内装によってそれらを際立たせ、恐ろしくも幻惑的である絶景を生み出す、クエストの探し求めた巨大書店。

 この青年は、そんな理想の神秘さとは不釣合いの、そしてなにより店主――平素は傍若無人な振る舞い自分に接するネイジに最も不釣合いと言える、爽やかな声音の挨拶を気味悪がって後ずさった。

 普段ならば邪悪な笑みしか浮かべない彼女の顔が、今は店を後にする客の背に向けて愛らしい笑顔を作っている。

 ……もっとも扉が閉じて客が見えなくなると、普段通りの卑しい顔つきへと変貌したが。

「ふふふ……どうだ、バイト!」

「どう、と言われても」

 ネイジが勝ち誇り、棚の整理を行っていたクエストに向かい胸を張る。対してクエストは、長年の放浪のせいで癖になっている疲労顔をさらに深めて肩をすくめ、そうですねと相槌を打つ。

 それがここ数日の、この巨大魔道書店、魔本堂における恒例となっていた。

 そうまで彼女が得意になるのは無論――先ほどのように、客が来店するようになったためだ。

「これが私の実力というものだ、バイトよ」

「そうかなぁ?」

 クエストもクエストで、負けじと疑わしく首をひねる。

 店主の言葉にも若干の真実が含まれていることは確かだった。客の大半は、クエストの作ったチラシを見るか、その広告の話を伝え聞いてやって来たとのことだったが、中には店主が追記した『魔法使いの店長』という部分に興味を持ったらしい者も存在する。

 そして実際に、髪も瞳もマントも漆黒の色をした、それだけをならば魔女らしい店主の格好が、そうした客層の関心に拍車をかけたのだろう。よく見れば本屋然とした水色のエプロンのせいで、色々と台無しだが。

「……いや、でもやっぱり俺が真っ当な広告を作ったおかげでは」

 やはり食い下がると、しかしネイジはひどく喫驚しながら怒りの滲む双眸を向けてきた。

「バイト……まさかそうやって手柄を奪い、いつか店主の座までを奪おうとする魂胆か!」

「いや、別にそこまでは」

 なにを怯えているのか、被害妄想甚だしいネイジ。クエストは呆れながらぱたぱたと手を振って、彼女の懸念を追い払――おうとしたが、ふと考える。

「いや、それもいいのかな? 店長に任せておくよりは、いっそのこと……」

「ここに人を食らう魔道書がある」

「やめてくださいよっ」

 今度こそ本当に凄絶な敵意を剥き出しにされ、慌ててなだめる。ひとまずその場は、冗談ということにしておいた。というよりも実際、数日のうちにこの巨大な本屋の長を務めろと言われても物怖じしてしまう。

 ――しかし。この数日の間、事務室に泊り込み、店主が指示する仕事をこなすバイト生活の中でも、クエストはいくつか気付いたことがあった。

 今ですら空想を現実に引きずり出してきたような、クエストの理想を満足させる店ではある。が、それでも完全に不満がないわけではない。人の理想は尽きることを知らない。

 例えば新刊や新古本の類。今は三階層に分かれる店の上階に、他の書物と同じく魔術的な書棚に並べられているが、それらをどうにか店の雰囲気に調和させられないかと思うことがある。また他に、内装の些細な部分や外装なども細かく注文が――

「……なにを考えている、バイト」

 夢想を中断させたのは、ネイジによる叱咤だった。

 ハッと正気に返るとそこは理想の実現した魔本堂ではなく、まだ改善点を残す旧来の魔本堂。レジカウンターを挟んだ先にいる店主が、じとりとした半眼を送ってきている。

「ここは私のものだ、誰にもやらん! お前は永世バイトだ!」

「店長が自分で言い出すから」

 理不尽を感じながら、しかしどうあれ実現するはずもないと悟り嘆息する。この店主が命を落とすか、突然失踪するかしなければ、自分は本当に永世バイトだろう。

 少なくとも彼女はそのどちらもする気がなさそうに、それどころかいかにしてクエストの野心を削ぎ落とすかを熱心に考え始めてしまった。

「野心というのは人を変える。強い偏執を抱いた時、なにをするのかわからんからな」

「店長における、お金儲けですか」

「なにを言う、金儲けは道理だ。商売は――いや、世の中は金儲けで出来上がっていると言っても過言ではない。そうでないのは俗世を捨てた仙人くらいのものだろう」

 クエストの横槍に、強い反発を抱いて言い返してくる。それはなんらかの意味深いものが隠されているわけでもなく、単純に醜悪なまでの卑しい金銭欲を純化させたものだっただろう。信念と言えば聞こえはいいかもしれない。

 彼女はそうした断言の後、早くもクエストの野心に関する問題は忘れ、それよりも金儲けについて悩み始めた。「問題は……」と難しそうな顔をする。

「客が来たのはいいが、貧相な者ばかりだな。もっと金持ちが来なければ利益に繋がらん」

「そういうところに道理とは違うものが……」

「人数よりも大切なのは質だ。いかにして家に金を溜め込んでいそうな客を誘き寄せるか」

「ひとりひとりを大事にしましょうよ」

 指摘はやはり徹底的に無視され、クエストは呆れて嘆息した。

 とうとう「金持ちを引き寄せるにはどういった宣伝文句がいいか」と熟考し始めた店主のことは放っておくことにして、彼は店先の掃除に向かった。

 しかしその入り口の扉を開けると、クエストは驚き、思わず二歩ほど店内に後戻りした。

 そのまま扉を閉めたい衝動に駆られるが、掃除のためにとどうにか外へ出る。振り返って足元を見ると、そこには横倒しになったゴミ箱と散乱したゴミが、水溜りのように足の踏み場を消していた。

「こりゃ、掃除に来てよかったな」

 なんとなく思いついただけの行動だったが、自賛する。

 それと同時に、先ほど買い物を済ませて平然と出て行った客のことを思い出す。彼はこんな状況でも来店し、文句もなく帰っていったのか。

 胸中で感謝しながらゴミ箱を立て直していると、そこへさらに人が歩いてきた。こんな道に通行人などあるはずもなく、青年らしい男はやはり迷い無く魔本堂に向かってくる。そして散らかったゴミの地面を見ると、クエストが弁解や謝罪をするより早く歓喜の声を上げた。

「荒れた裏路地にあるインチキ本屋……いいね!」

 そうして軽やかにゴミを飛び越えると、上機嫌で店の中へ消えていく。

 クエストはそれをしばし、ぽかんと眺めていた。

「……俺とは違って、世の中には不思議な好みを持った人がいるもんだな」

 趣味の奥深さに驚きながら、しかしこのままでは店に入りづらく、また自分のように幻想的な本屋や書棚に圧迫される空間、またそこに詰め込まれた古めかしい魔道書を見ると興奮を禁じえないという、一般的な嗜好を持った人に避けられてしまう、と片付けを開始する。

 それはさして労力が必要なものではなかった。事実、先ほどの客が出てくるより早く終わり、店内に戻ると彼が会計している最中だった。店を出た青年はゴミのないことに驚き、不思議な現象だと喜んでいたようだが……それはどうでもいいだろう。

 倒れていたゴミ箱はしっかりと蓋を閉め、店から離れた角を曲がった先に置いてきた。しかしそもそも――店先にゴミ箱など設置していなかったはずだが。

「バイト、新たな広告が出来上がったぞ! 早速配って来い」

「本当に作ったんですか」

 クエストは風か酔っ払いかごろつきのせいだろうと、疑問を口にすることもなく、ここ数日で早くも板についてきた感のある宣伝活動へ向かった。

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