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1-3

 翌日――つまりは宣伝活動を実行しろと命ぜられた期日。

 クエストは町の最奥にある魔本堂を出て、その少し先にある裏通りと呼べる薄暗く細い路地に佇んでいた。

 かといって、なにもしていないわけではない。むしろ苛烈な意志を燃やす店長から我が身を守るため、精一杯の努力をしている最中ですらあった。

 いつもの店のエプロン姿で、抱えているのは大量の紙。そこに視線を落とすと、自分の文字で『どこより広大で神秘的な幻想の空間・魔本堂』と書かれている――要するに広告だった。その横にはネイジの文字で『店長は美人女魔法使い!』と勝手に追記されているが。

「宣伝といっても、これくらいしか思いつかないしなぁ」

 誰にでもなく弁解して、ため息を落とす。

 宣伝方法がありきたりなものであることは自覚していた。なにしろ命令から決行までに時間がなかった。かといって、準備期間を与えられればより奇抜で効率的な方法を閃いたかと言うと、そうでもないだろう。

 なんにせよ思いついたものを行動に移すしかなく、こうしてチラシ配りを行うことになった。

「……まあ、配れてないけど」

 クエストは現状、そして周囲の環境を改めて認識するように見回した。

 大通りからは程遠く、住宅街でもない、廃屋とシャッターの閉まった怪しい店が散見される暗黒の路地。暗く黒いのは単なる比喩に留まらず、隔離するような高い塀に囲まれ、陽光が届く場所の方が少ない。壁に気持ちを高揚させる色味などなく、地面には散乱したゴミか、誰かの吐いた跡があるばかりで悪臭を漂わせていた。

 見上げる空は青い。正反対に爽やかな青。まだ昼を過ぎた頃だろう。この時間、この通りに人がいることは滅多にない。せめてもう少し大通りに近付けば、不良学生か、それに近い類がたむろしているだろうが。

「こういう怪しい店は、いかにも怪しい場所で宣伝した方がそれっぽいよな」

 まったくもって成果を挙げられていないが、クエストはこの暗澹たる光景に多少、酔っていた。怪しい宣伝と、そこから始まる非日常的で不可思議な物語。そんなものを夢想して。

 もっとも、それが長く続くことはなく、結局はやることがなくなり肩を落とした。

「もう、壁に貼っておくだけでいいか……手渡しでないと成果を報告しづらいけど」

 クエストは諦めて嘆息すると、持ってきたチラシをぺたぺたと壁に貼り付け始めた。

 そこは落書きやら、破れたポスターやら、昔は近所にあったのだろう店の広告やらが散見されたが、構わずそれらを覆っていく。魔本堂には同じ末路を辿ってほしくないと願いながら。

 と――

「おい、なにやってんだ」

 背後からドスの利いた声が聞こえて、同時に肩を掴まれた。強制的に振り向かされて、目撃したのは数人の男。

 ある者は腕に、ある者は顔に生傷を刻み、凶悪さを誇張するように視線を強めている――簡単に評するなら、ごろつきか。

 クエストはなにが起きたのかを理解しきれないまま黙していた。そうするうち、肩を掴んでいる先頭の男が続ける。怒りを隠すことなく、むしろ前面に押し出した声音で。

「てめえ、俺たちの証を隠そうとはいい度胸だな」

「証?」

 首だけで振り返る。そして直感的に気付いた。

 壁に貼り付けた魔本堂のチラシ、その端から僅かに顔を覗かせている落書き――これがどうやら、彼らの縄張りを示すものだったらしい。

「いや、俺はそんなつもりじゃなくて、ただ宣伝を……あ、そ、そうだ! 魔道書に興味ありませんか?」

 身の危険を感じ、動揺しながら咄嗟に閃く。どちらかといえば宣伝目的ではなく、気を逸らして逃げ出そうというための文句だったが。

「禍々しい書物を見れば、気も晴れるんじゃないかなと。それにうちの店、内装が幻想的で癒しの効果が……」

「うるせえ! やっちまえ!」

「やっぱダメだったあああああ!」

 ごろつきが拳を振り上げると同時に、クエストは旅で鍛えられた渾身の力で拘束を解くと、悲鳴を上げながら逃げ出した。無論、彼らも即座に追ってくる。

「てめえ、待て! ぶっ殺してやる!」

「だああもう! これでも読んでてくださーい!」

 クエストは背後に向けて、まだ大量に残っているチラシを塊のままぶちまけた。

 それはどうやら先頭の男の顔面に直撃し、視界を塞ぐと同時に身体を仰向けに傾けさせたようで――他の仲間を巻き込んで倒れる音と罵声とを背に聞きながら、それでもひたすらに駆け続けた。

 そうして……ようやく足を止めたのは、結局のところ魔本堂に帰り着いた頃だった。

「――おや、バイト。早かったな」

 膝に手をつき息を喘がせていると、レジの奥に座る店主が帰還に気付き顔を上げた。

 ティーカップ片手に気楽な様子で読書を楽しむ彼女を、クエストは上目遣いで恨めしく睨んだが、声を発するには少しだけ時間を要した。そして呼吸が落ち着く頃には、それらはどうでもよくなっていたが。

「まったく、酷い目に遭いましたよ……」

「なにが起きたのかは、まあおおよそ想像がつく。宣伝効果は期待出来そうにないな」

 実際に理解したようで、彼女は嘆くようにひょいと肩をすくめた。

 クエストは一度入り口から顔を覗かせ、追っ手がいないことを確認して。

「あの連中が来店するとしたら、間違いなく俺への報復ですよ」

「暴れるなら店の外でやってもらいたいものだ」

「……この絶景が壊されるのは俺も嫌ですけど、もう少しこっちの心配もしてくださいよ」

「それにしても宣伝効果がないのでは意味がないな。どうすれば客を得ることが出来るのか」

 訴えるも、ネイジは聞く耳を持たず。あっさりと無視して別の話題に乗り換えてしまった。

 しばし、クエストはそれについて抗議するべきかと考えたが、それこそ無意味だと悟り、自分も店長の話題に乗っていく。

「もういっそ、魔本堂って名前だけど中身は普通の本屋ですよ、と宣伝した方がいいのでは」

 宣伝の方まで諦めるクエストに、しかし店主が反対する。

「それでは困る。魔道書を求めてもらわなければ」

「主力商品ではありますけどね。ジョークグッズとして買っていってくれたり……いえ、しませんね。高いし」

 魔道書に関しては、多少の差異こそあれど、どれも高価な物ばかりだった。

 クエストに払われる予定の給料では、一冊だけでも丸二日、あるいは三日分ほどだろう。

 値下げの案は昨日も提示していたのだが、店主の答えは今と同じだった。

「安かったらいかにも怪しいだろう。客に不信感を持たせるようなこと出来ん。買ってもらえないからな」

「商売人らしいのか、そうでもないのか……」

 それは結局のところ、今後も同じように地道な宣伝活動を続けるしかない、という宣告でもあった。

 ――しかし、クエストがそんな諦めに肩を落とす一方で。

 魔本堂からしばし離れた、買い物客で賑わう大通りの一角。そこでは少し奇妙な出来事が起きていた。風に巻かれてどこからか、大量の紙が舞ってきたのだ。通行人たちはそれを不思議がりながら、各々見向きもせず買い物を続けるなり、律儀にゴミ箱へ捨てるなりといった行動を取っている。

 そんな中で、一人の男は足元に飛んできた紙を拾い上げた。そして訝しげに黙読する。

 『どこより広大で神秘的な幻想の空間・魔本堂』

「…………」

 彼はそこに書かれている文字に目を見開いた。愕然としてしばし見つめると……やがてぐしゃりと握り潰す。

「魔本堂……」

 怨嗟の木霊のように低く、記されていた店名が呟かれる。他には誰も聞いた様子もない。

 男だけが己の発した名前の反響を聞き、やがて身体の向きを変え、ゆっくりと歩き出す――彼はそのまま、薄暗い路地の中へと入っていった。

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