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一応は閉店時間を待ってから、クエストは一度も開かれなかった店の入り口に鍵をかけた。
そして寝室を兼ねる事務室に戻ると――簡易ベッドの上に座っている、ネイジを見やった。
彼女はクエストが口を開くより先に言う。
「勘違いするな。これから行われるのは反省会だ」
「それ以外の考えに至ったことがないですよ」
嘆息しながら、クエストはひとつしかない事務用の椅子に腰を下ろした。わずかに身体の向きを変え、改めて店主の方を見やる。
再び、そのタイミングで喋り出すのが決まりごとのように、先に声を発したのは彼女。
「では――早速だが核心に迫ろう。こういうことは回りくどくしても意味がない」
それを告げるのは不服そうだったが、それでもなんとか自分の言葉に後押しを受けながら。
「……なぜ客が来ないんだ?」
「それは……」
最も簡単な返答は、「聞くまでもないだろ」だった。しかし店主は心底悩み、そして不満を露にしていたので、その言葉だけは飲み込んだ。
そして代わりに――あまり代わりになっていないが、少し回りくどい、別の返事を用意する。
「やっぱり、マジックブックストアって名前ですし」
「最高にわかりやすいだろう?」
即座に、彼女はなんの疑いもない顔で言い返してきた。
「もちろん店名の通り、魔道書だってたくさんあるんだぞ? 私が書いたわけではないが」
「普通は信じませんって、こんなところに魔道書が置いてあるなんて。というか、そもそも魔道書自体を」
それが――クエストが最も懸念していた、商売失敗の理由だった。
火柱を上げ、風に乗り、水を呼び寄せ、大地を操り、時には人心を惑わせる魔道書。そして、その混乱と絶望を食い物にする悪魔のように描かれる、魔法使い。
彼らは伝記や伝承、伝説上において様々な活躍を残し、そしてどれも最終的には命を失うか、魔の力を失うかして書物の中で消えていく儚い運命を背負った――空想上の存在だ。
もちろん、存在しないからこそ、その雰囲気がありがたがられるとも言えるだろう。そうした意味では、この魔本堂は貴重な場所だった。
しかし逆に、そんなものを本気で自称することほど、客を遠ざける理由もない。
クエストにしてみても、内観こそ住み込んでまで眺めていたいと思うほど優美なれど、それらの謳い文句を信じて本を買おうなどとは決して思わなかった。
が、店主はあくまでも悪びれる様子なく、どころかなんら間違った点はないといった様子で。
「私は魔法使いだぞ? これほど信憑性のある店主はいないだろう」
「それは前に聞きましたけど……その自称がますます怪しいというか」
この書店の内装、雰囲気を考えれば、最も似合うのは魔女、魔法使いの類であることは疑いようもない。事実、クエストはそれらの登場を望んでいた。
しかし実際に出てくるのは半端な仮装程度の店主であり――今はそれに加えて、魔法の片影すらないクエスト自身だ。
「少なくとも俺たちが出て行って、魔法使いです、魔道書です、なんて言ったところで信じてもらえませんよ」
「むう。つまりそれは、宣伝が悪いということか」
「宣伝以前の問題だと思いますけど……そういえば、開店にあたって宣伝しなかったんですか?」
ふと思い出してみれば、町の誰に聞いてもこの店の存在を知らなかった。クエストが来る以前から営業だけはしていたらしいにも関わらず、だ。
辛うじて路地裏で、怪しいものを偏執的に好むという変わった嗜好を持つ極稀な人間に出会うことが出来なければ、その存在を知らぬまま別の町へと旅立っていただろう。
クエストの問いに、ネイジはまた不服そうに唇を尖らせた。
「当然、やってきたぞ。例えば宝探しのような期待感を演出すために、血文字で書いた店までの地図を無差別に郵便受けへ投函してみたり」
「…………」
もはや「そのせいだ」という言葉すら出せず、頭を抱える。しかし当の店主は自分の行動になんの疑いもなく、こんなに頑張っていたのに報われないと嘆いていた。
「あの、ひょっとして……店長の宣伝が悪かったんじゃないですか?」
クエストは半分呆れながらも、恐る恐る、諭すように指摘する。まさか本気で気付いていないのではと心配しながら。
しかし案の定、彼女にとっては心外だったらしい。
「なに? 私の宣伝が無意味だったとでも言うつもりか!」
「無意味というか、逆効果というか……」
「なっ……!」
ネイジは言葉に詰まるほど驚嘆すると、声を荒げてくる。
「私の地道な活動をそこまで愚弄するとは、なんて奴だ! バイトのくせに!」
「でも実際、店長の宣伝でお客さんが集まっていないわけですし」
クエストが、事務机の上にある書類を一枚、店主に見せる。それは日々の売り上げ記録だが――当然、そこにはゼロ以外の記述がない。
物証を出されて、ネイジはたじろいだらしい。顔をしかめて肩を縮こまらせると、しばし困窮に呻いてから、観念したように頷く。
「……わかった、認めよう。確かにお前の言う通り、私の宣伝は無意味かつ逆効果の、それはそれは滑稽で、愚かしく、浅ましい、人類の底辺とも言える方法だったかもしれない」
「そんな捻くれなくても……そこまでは言ってませんって」
「だがそこまで言うのなら、もういっそお前がやれ! いや、むしろお前にやってもらう!」
「だから言ってませんよ!?」
悲鳴のように叫び返すが、こちらの指摘は一切聞き入れてもらえないようで。彼女は構わず続けた。クエストに向かって指を突きつけ、宣告する。
「お前は今日からバイト兼宣伝部長だ。そしてもしも客が来なかったら……」
「ま、まさか、クビとか……」
「いいや――お仕置きだ!」
「お仕置き?」
突如出てきた言葉に、拍子抜けする心地できょとんと聞き返す。
店主は不敵に笑いながら頷くと、懐から分厚い本を取り出した。その表題を見せながら。
「ここに人を食らう本がある」
「人を!?」
『人食書』と書かれている。そういえば似たような本を、店の中で見かけた気がする。まさか本当に人を食うことはないだろうが……。
「明日からはお前が宣伝して客を集めるんだ。これは店長命令だぞ」
そう言って人食い本を目の前で揺らす。少なくとも彼女は本気らしい。本に見せかけたトラバサミを噛み付かせるくらいは、やりかねない。
クエストは渋々、観念して頷いた。
「ふふふ、よし。ならば明日より決行だ! 楽しみにしているぞ。ふはははは」
「やっぱり旅を続けた方がよかったのでは……」
そんな嘆息は、店主の悪辣な哄笑にかき消された。




