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「…………」
――大量の魔道書の中に埋もれ、気を失い倒れるミストを見下ろすこともせず、クエストがゆっくりと立ち上がる。
決死の覚悟と決意を帯びた眼光を、次なる獲物、ネイジを向けて。
「ぐっ……!」
ネイジは人間ならざる迫力に満ちる彼に睨み据えられ、明らかにおののき、竦みながら腰を引けさせた。すぐにでも逃げ出そうとするほどの体勢だが、常々人間を見下す魔物にとっては許されざる行為だったのだろう。まして目の前で生身を晒す人間に対して究極的な戦闘手段を持つ彼女にしてみれば、たった一人の本屋のバイトにそれほど怯えあがるのは、己の自尊心が許さない。
彼女はぎりぎりのところで踏みとどまると、自らを奮い立たせるように魔道書たちへ号令を発した――『人食書』が、守護を失ったクエストを今度こそ食らおうと襲いかかる。
しかしクエストはやはりそれらから逃げ出すことはなく、一番乗りで食欲を満たそうと大口を広げる怪物に向かって、腕を薙いだ。
それだけで――口は上顎と下顎とを無残にもあっさりと分離させられた。両断された怪物が、単なる破損した魔道書となって床に落ちる。
クエストの手には、なんのこともない――ふざけているとしか思えない、丸めた古めかしい本が握られていた。しかしネイジが驚愕する。
「魔法剣!? そんなものまで、いつの間に!」
クエストは雇い主だった女の悲鳴を聞きながら、とうとう標的へ向けて足を踏み出した。
全てを切り裂く魔道の剣で、襲い来る化け物を古書へと還しながら、吼える。
「本屋のバイトを舐めるなよ! この店にある本の配置は、全て覚えているんだ!」
「調子に乗って……なにが舐めるなだ! 元バイトの分際で!」
ネイジが叫び返し、懐からさらなる『人食書』を解き放った。日頃、クエストに脅しをかけていた魔物が、今は実際に牙を向けながら――しかし一刀のもとに叩き伏せられていく。
やがて……その全てが、凄惨な破壊痕を露にする魔本堂の床へ散らばった頃。クエストは炎の燻る黒煙と悪臭を忌々しげに深く大きく吸い込むと、それを言葉と共に強烈に吐き出した。
「俺の本屋を汚す奴は、誰であろうと容赦しない!」
爆裂するような足音を響かせて、クエストが駆ける。
ネイジは同時に逃げ出していた。とうとう怯えきり、もはやその恐怖の面を隠すこともせず、平素の勝気も余裕も不気味な気配もかなぐり捨てて、ひたすらに背を向け逃亡する。
自らの物だと主要する破壊し尽くされた店も今は捨て、生き長らえることで再起を図ろうと、裏口へ向けて懸命に足を前へと送り出す――が。
店を横断しようとした足が焼け焦げた古書の山を踏み付けた時、彼女は不可解に転んだ。
地面が剥き出しになった床に倒れ込み、巻き上がる砂煙と口腔内に広がる土の味に咳き込む。激しい焦燥と恐怖から来る疲弊の中で自らの足を見やると――そこでは獣を捕らえる罠の形をした魔道書が、ネイジの足首から先に噛み付いていた。
絶望的な心が全身を襲う。それでも彼女は懸命に身体を起こすと、震えて握力も失った手で、食らい付く魔道書をなんとか引き剥がそうと苦心した。
そんなネイジを……影が覆う。
まともな灯りを失い、代わりに各所で燻る炎が怪しげに照らす店内で、そこに落ちる人影は悪魔の翼を擁しているのではないかと、魔法使いは錯覚した。
静かに、蒼白の顔を上げる。そこには彼女を見下ろす、魔物めいたおぞましい眼光を湛える男が立っていた。
彼の持つ剣の切っ先を眼前に突きつけられて――
ネイジは力なく項垂れると、敗北に両手を挙げた。




