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4-9

 遠くからは標的を見失った魔物たちが未だ、隠れ潜む死角を消そうと闇雲な破壊を繰り返す轟音が聞こえてくる。

 しかし、もはやそれらに恐怖は感じなかった。自分でも不可解なほど平静さを保っている。ゆっくりと、倒壊した書架の隙間から抜け出す。

 立ち上がった彼に、二体の魔物も気付いたらしい。狂喜の声を上げながら、使い魔の如き魔道書を従えて駆け寄ってくる。

 そんな彼女らに向かい、クエストは吼えた。

「つまりは俺が持っている知識の中で、お前らを倒せばいいだけだ!」

 そして同時に走り出す――ただし魔法使いたちとは全く別の方向に。

「威勢よく叫んでおいて逃げ出すとは!」

「往生際も格好も悪いわよ、裏切り実行犯!」

 煽り立ててくる声も、炸裂する熱線や飛び交う怪物の口も無視して、ひたすらに駆ける。

 多くの書架、魔道書が焼き尽くされたが、幸運にも残されているものは存在していた。そこへ到達すると、素早く一冊の本を取り出し、即座に離れる。直後には怪物の突進が棚の中央を貫いていた。

 クエストはあくまで無視しながら走り続けた。先ほどと同じように健在な書架に張り付くと、迷いなく本を手にして、熱線がそれを焼き尽くす前に離脱している。

 そして今度は、一転して魔女たちの方向へ突進する。ついに無謀にも立ち向かってきたかと哄笑しながら迎え撃とうとする彼女らだったが――クエストはその両者の脇を、あっさりとすり抜けていった。

 クエストが爆破されて荒野のような凹凸を見せる床を滑り、目指したのは破壊痕だった。粉砕された書棚――そこからぶちまけられた魔道書の山。それは一部が『書食書』の熱線により焼け焦げてはいたが、逆に言えば全てを消失させるような確実性はなく、膨大に折り重なった古書の最奥は、変わらぬままに残されている。

 クエストにとってはそれが幸運だった。破損した魔道書をかきわけていくと、その中に彼が目的としている本を無傷のまま発見することが出来た。

 しかし――その直後、クエストの足元に熱線が炸裂した。

 赤黒い爆発の炎が吹き荒れ、山となっていた魔道書が宙を舞い、倒壊していた書棚がさらに微細に粉砕される。黒煙が全てを覆い隠す中で、火花が瞬く。

 その炎が弾ける音の中で、嘲笑のように鼻を鳴らしたのはミストだった。

「ふん。大人しくあたしに付き従っていれば、こんなことにはならなかったのよ!」

「私を裏切った者の末路だな。自業自得だ」

 ネイジも同じように愚者を嗤い、堂々たる仁王立ちで、炎が生み出す緩い大気の流れの中に漆黒のマントをなびかせる。

 彼女らは勝利というより単なる雑事の処理を終えた余韻にしばし浸ると、次なる標的、隣に並び立つ相容れぬ師匠と弟子を互いに睨み付けた。そしてそれぞれが、本来果たすべき戦いに戻る。もはや彼女らにとっては店や金儲けなど二の次であり、ただ純粋に嫌悪の極みをぶつけ合っていた。

 手足を振り回せば届くような距離から、互いに視線を交わらせたままゆっくりと距離を取り、最後の決着へ望む――

 しかし、それを阻止したのは全く別の存在だった。

「うおああああああああ!」

 咆哮が煙を切り裂くように、炎爆ぜる黒煙の中から人の影が飛び出してくる。

 それが何者なのかは――ミストもネイジも即座に理解したが、かといって姿形からでは判別出来なかった。

 なにしろ彼――クエストは頭から足先まで、全身を煤けた銀色の甲冑で覆っていたのだから。

「魔法鎧!?」

 ルードが使っていたものと同じ、それ自体が変質し、鎧となって術者を覆う魔道書。そんな思わぬ姿で登場したクエストに、悲鳴を上げておののくミスト。

 一方ネイジは反対に、彼の突進を止めるべく前へ進み出た。

「元バイトが小賢しいマネを!」

 戦いの妨害よりも、生存していたことへの憎しみが篭った咆哮を上げ、『人食書』の群れを放つ。怪物の口は即座にクエストのもとへ殺到し、今度こそ彼を食らい尽くそうと牙を立てた。

 が――獰猛なその刃も、鈍く不快な金属音を響かせただけに終わる。

 クエストはそれら化け物の書を全く意に介さず振り払うと、なおも鈍重そうな甲冑姿で意外なほど機敏に駆け続けた。

「チッ! ああまで魔道書に覆われていては、『人食書』が効かん!」

「所詮は使えない女ね! 見てなさい、あたしがやってやるわ!」

 毒づいて後退するネイジに代わり、過剰な勝気を取り戻したミストが己の魔道書に命ずる。大筒はクエストの周りに散開すると、彼に向かって熱線を吐き出した。

 数条の赤い帯が、大気と床とを焼き尽くす。しかし肝心のクエストは、時折は爆風に煽られ進むべき方向を外されながらも、鬼気迫る身のこなしで直撃だけは避け続けていた。

「裏切り者のくせにちょこまかと……それなら、これよ!」

 ミストは戦果を挙げられぬ魔道書たちに業を煮やし、彼らに新たな命令を下したようだった。大筒は熱線を止めると、その姿を『人食書』と同じ、そして以前コンパティ書店の蔵書を全て食い尽くした時と同じ、おぞましく気色の悪い体液を垂らす、鋭利な牙を無数に生やした魔物へと変貌させる。

「食い尽くせー!」

 おおぉぉォォォォ――!

 怪物の咆哮は錯覚だったかもしれないが、それに相応しい凶暴さでクエストに襲いかかった。『人食書』とは異なり、その牙は明確に魔道書の鎧へと突き刺さった。

 全身を鎧の代わりに『書食書』で覆われ、身動きを止めるクエスト。怪物の口が覆い隠すその中では魔道鎧が引き裂かれ、クエストが唯一身を守る手段が失われる。そうなれば、もはや二体の魔女に抵抗する術もない――が。

 勝利を確信して笑みを浮かべたミストの眼前で、引き裂かれたのは『書食書』の方だった。突き破られた口腔内から、煙を裂いて現れた時と同じように人影が飛び出してくる。

 彼女の魔道書が力を失っていたわけでないことは、すぐに知れた。現れたクエストは確かに鎧を半ば食われ、生身の身体を晒していた。

 しかしその背には人ならざる翼が生えている。優美さは持ち合わせていない、鈍く色あせた紙で粗雑に折り作られたような、古めかしい歪な翼だ。

 ミストはその姿に見覚えがあった――ネイジへの不意打ちとして、クエストを吹き飛ばした時と同じもの。それが今、再び彼を飛翔させている。

「ば、馬鹿! 来るな、来るなー!」

 悲痛な願いの絶叫も空しく、ミストは矢のような凄まじい勢いの体当たりを正面から受けて吹き飛び、クエストと共に未だ辛うじて残されていた書棚に激突した。

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