4-8
正確には飛翔というよりも、射出と言った方が的確だったかもしれない。
クエストの身体は打ち出される矢のように弾け、まさしくネイジへ向かって飛んでいった。
それからなにが起きたのかは、そんな一瞬の飛翔の間には理解出来なかった。ただ轟音が鳴り響き、クエストはなにかに激突したような痛みと衝撃を感じた。
どうやらなんらかの魔道書により吹き飛ばされ、目の前にいたネイジからは狙いが反れたか、彼女が避けたかしたことで書棚に激突し、崩れた棚が大量の魔道書を降り注がせたらしい――というのをクエストが理解したのは、その古書の山から身体を引き抜いた後のことだったが。
「くそ、なんてことしやがる!」
言うなれば、クエストをネイジに向かって射出するという不意打ちか。反省会の中、ミストが言っていた策とは恐らくこのことなのだろう。ネイジが語った通り、彼女もやはり真っ当な人格は持ってはいないらしい。
ネイジへの信頼が揺らいだ時と同じく、もはやミストにも、彼女が口にしていた正義の気配など微塵も感じられなかった。どころかそれ以前のなにか恐るべき悪魔めいた、まさしく伝承の中に存在する悪辣な魔法使いそのものを思わせる。
魔法使いというのは誰しもが筆舌にしがたい凶悪な性質を内包しており、それを魔道書という形で具現化しているのだろうか。だとすれば魔本堂が現実ならざる幻想の美観を湛えながら、不気味で悪意的な気配を発し続けているのは、まさしくそうした魔法使いの内心が投影された結果かもしれない。なればこそ、彼女たちが存在しなければ店は実体のない空虚な箱と変貌してしまうのか。
……などと色々悟ってみたところで、今やそれも遅かったのかもしれない。
なにしろクエストの目の前では、その魔本堂が破壊されていたのだから。
「小娘ごとき、また私の『人食書』で食らい尽くしてくれるわ!」
ネイジはそう叫び、数冊の魔道書を放り投げた。一瞬にしてそれら姿が獰猛な化け物の口へと変貌し、凶悪な牙を剥き出しにしながらミストへと襲いかかる。
「ふんっ! あたしの『書食書』が、ただ本を食らうだけだと思わないことね!」
ミストはそう吼えると、同じく数冊の魔道書を放り投げた。ただしこちらはネイジに向けてではなく、自分の周囲にばら撒く。
そして空中で開かれた魔道書たちは、やはりその姿を一変させて――しかし生物とは全く正反対の性質を持つような、大砲の如き大筒を備える異界的な兵器の形状を取ってみせた。
「食らうだけなんて効率が悪いわ、こうやって焼き尽くしてやればいいのよ! やれー!」
主の声に応え、筒は凄まじい圧力によって大気が歪められるような不快な音を響かせながら、その穴から真紅の熱線を吐き出した。以前、深い森の中で浴びせられたのと同じものだ。
熱線が飛び退くネイジの一瞬後に床を抉り、激しい爆発を巻き起こす。一方で『人食書』も、そうした熱線の雨をかいくぐろうとして、無数の書棚を派手に薙ぎ倒す。
爆音に倒壊音、炎が弾ける音に加え、古木の砕ける音が混じり、荘厳な静寂を湛えるはずの魔本堂は、一転して地獄の騒音に包まれていた。
「あぁっ、俺の――俺のではないけど――俺の本屋が!」
クエストが頭を抱え、悲痛な悲鳴をあげる。それは眼前に突き刺さった熱線の爆音によってかき消され、クエスト自身も衝撃で後方へと吹き飛ばされたが。
それでも彼は起き上がると、なんとか二人を止めようとして進み出た。愛する理想の店が、本当にただの箱となってしまう前にと、破壊的な熱線と飛翔する獰猛な怪物が飛び交う戦場へ飛び出していく。
「二人とも、やめてくれ! 店を壊さないでくれ!」
叫び声が届いたかどうかは、鳴り止まぬ轟音のせいで判別出来なかった。が――それが聞こえたかどうかというのは問題ではなかったらしい。
凶暴で残虐な意志を剥き出しにして戦いを繰り広げ始めたミストとネイジ、師匠の弟子の間に割り込んできた異物を二人は同時に発見し、そして同時に同じことを考えたようだった。
「邪魔をするなら――先にこの裏切り者から始末してやる!」
それは恐らく、二人が同時に発した声だったのだろう。
大筒も、怪物も、そして師匠と弟子も、敵意を持つ全ての存在がクエストへと向き直った。
「…………」
ほんの一瞬、静寂――そして次の瞬間に、全てが一斉に動き出した。
怪物の突進、熱線、悪辣な魔女の咆哮、罵声、魔物じみた不気味な哄笑。そして踵を返して全力で逃げ出す本屋のバイト。
魔本堂はさらなる地獄の幕を開けた。
「待て、元バイト! 大人しく食われろ!」
「食われてたまるかー!」
「逃げるのをやめるなら、痛みもないほど一瞬で消し炭にしてあげるわよ!」
「なおさら止まれるかあああああ!」
背後に炸裂する熱線が悲鳴をかき消し、爆風でクエストを転倒させる。しかし彼はその勢いのまま起き上がると、多少焦げながらも即座に再び駆け出した。
飛翔する化け物が鋭い牙を剥き出しにしながら風を切って迫る音を聞きつけると、手近な書棚の陰へと飛び込んだ。凄まじい勢いで自分の頭が存在していた辺りを通過していく怪物を見送り、それが再び獲物を求めて折り返してくる前にと狭苦しい書棚と書棚の間を駆け抜け、別の狭い通路へと逃げ延びる。直後、その棚は『人食書』ごと、『書食書』の熱線を浴びてあえなく砕け散った。
「小娘、邪魔をするな! 元バイトは私の獲物だ!」
「早い者勝ちよ! あの裏切り者はあたしが仕留めてみせるわ!」
「だあああああああ!」
いがみ合いながらも仲良く追いかけてくる魔女たちに悲鳴を上げながら、クエストはこの状況を打破する手段がないかと必死に思考を巡らせた。
その間も破滅的な攻撃は続いていたが、それらを辛うじてかいくぐっていく――いくら二人がこの店の所有者だとはいえ、日頃から店内を走り回っていたのは自分であるため、地の利は存外こちらにあった。
そのおかげでなんとか食われることも、焼かれることもなく次第に悪魔を引き離していき、やがて店のどれほどかが壊滅状態にさせられた頃、ようやくクエストは二人の視界から自分の姿を失わせることに成功した。
「もっとも、店全土を破壊し始めたらすぐに見つけられるだろうけど……」
どうにかしばし足を止め、まだ健在な書棚に身を隠し、その場に座り込みながら激動する脈と荒い呼吸をどうにか鎮めようと努め、その間に思案する。彼女らを止める方法。
対抗する手段は――ある。それは既に導き出していた。無論のこと、魔道書だ。
この魔本堂には大量の――今はかなり数を減らしてしまったが、それでもまだ多くの魔道書が残されている。
しかし問題は、二人がなぜか協力体制で自分を抹殺しようとしているため、彼女らを同時に相手しなければならないということだった。残忍な二体の悪魔に、人間が立ち向かわなければならない。
さらに魔道書は『書食書』の餌食になり、生身であれば『人食書』に食われてしまう。ある意味では、絶対的な連携とも言える。ましてこちらは魔道書を読み取ることが出来ず、どれほど強大な魔法であっても起動させる方法がわからない。
今まではどうにか、使い方を教わったものや、見よう見真似で誤魔化してきたが――
「どこにいった、元バイト!」
刹那。飛翔する魔道書が、クエストが背を預ける荘厳な雰囲気のある書棚の背後に激突する音が響いた。
「出てきなさい、裏切り者ー!」
さらには優美で古めかしい柱や、不気味な薄明かりを僅かだけ反射させる魔術めいた木目調を見せる床板が爆砕される音。
クエストはそれらの破滅的な音色を、ドミノ倒しになった書棚の下で聞いていた。
辛うじて顔を覗かせて見やる店内の風景は――簡単に言えば地獄絵図か。威圧的な窮屈さを感じさせていた店は、異様なほど開放感を与えるようになり、床という床は抉れ、書棚という書棚は粉砕され、古書の大半は焼け焦げている。
クエストが愛する広大な幻想の雰囲気を湛えていたはずの魔本堂は……今や単なる廃墟かというほど、破壊し尽くされていた。
「……つまりは、だ」
ふと――クエストは、急速に呼吸が穏やかになるのを感じた。




