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ミストの立案した作戦について、準備が必要だったのは彼女本人だけだったが。
それらが完了し、再びクエストが魔本堂へやって来た頃、空は鮮やかな朱色に覆われていた。
街の人々は、それを美しい光景だと思うかもしれない。しかしクエストだけは燃え上がる炎のように感じていた。これから起ころうとしている、なんらかのただならぬ気配、予感。
恐らくは――再びあの廃屋へ逃げ込んで終結する、などということはないだろう。ミストが浮かべていた禍々しい表情が、それを物語っている。
ひょっとしたら本当に、以前のコンパティが起こした小火騒ぎどころではなく、魔本堂が炎の館へと変貌してしまうかもしれない。もしも、そうなってしまうのなら――
「俺に、止められるのか?」
防ごうとする己の意志に、けれど口から出たのは不安でしかなかった。魔法使い二人が相対する只中に置かれるのだから、それも無理からぬことかもしれないが。
なんにせよ、クエストはそうした不安を煽ってくる空から視線を下ろし、魔本堂を見つめた。その入り口の扉には一枚の紙が貼り付けられている。どこか八つ当たりのように乱雑な筆跡で、『バイト募集中』という短い文章。
「……流石は店長、素早いな」
感心するような寂しくなるような心地で、しかしどうあれ店内に入っていく。表は鍵がかかっていたが、裏口は開いていた。
内部は薄気味悪さを強調する、ぼんやりと灯りに照らされているが、肝心の店主はいつものレジにいなかった。彼女へ向けて呼びかけながら奥へ進んでいき、クエストが普段使っていた事務室兼寝室を覗くが、やはりいない。
裏口を開けたまま帰宅するはずもなく、配達だとも思えない。広大な店内のどこか奥まった場所で、自らが読み耽るための本を調達しているのだろうかとも考えた。だとすれば、彼女が自ずから姿を見せてくれるのでない限り、遭遇するのは難しいだろう。
しかし――そんな時にふと、店内にぽつりと落ちている魔道書を見つけた。
そこは店の中で最も広い空間――それでも人が三人並ぶ程度だが――、入り口から最奥まで一直線に続く吹き抜けの通路の、中央付近だった。
しかしそれは周囲の書棚から偶然に落ちたにしては不自然な位置であり、なにより怪しくも本が開かれている。薄明かりの中、文字が認識出来ても、それをら解読することは出来ない。明らかな魔道書。
だとすればこれを仕掛けたのは店主あり、そこに近付かない限り彼女からなんらかの行動を引き出すのは不可能だということになる。クエストはその罠が致命的なものでないことを祈り、周囲の気配を探りながら歩み寄っていった。
そして、怪しげな古書まであと一歩という位置まで近付くと――突如として、魔道書は爆発するように白煙を吹き上げた。
実際にはさほどの量ではなかっただろうが、視界は塞がれ煙にむせる。腕を振り回して煙を追い払うと……その眼前に、店主が立っていた。
「なんで無駄に派手な登場をするんですか……」
まだ少し涙が滲む目を擦りながら指摘する。が、彼女は答える気もなさそうだった。やはりというか、かなり立腹しているようで、ひたすらに怒りの形相を見せている。
クエストはその険しい眼光におののきながら、作戦通りに、そして生き長らえようとする本能において、彼女に深く頭を下げた。
「すみません、店長。結果として、店長を裏切る形になってしまって」
「…………」
彼女は無言だった。しかしどこか、目付きが険しくなったように思える。クエストは慌てて言葉を続けた。言い訳がましくだが。
「で、でもですよ? 店長だって、あんなことをしているなんて……」
「…………」
こちらを見据える店主の眼光が、ますますもって攻撃的な色を増していく。真一文字に結ばれた口は、裏切り者と話す言葉など持たないという意味か。だとすれば、これ以上に言葉を重ねることは彼女を逆上させるに過ぎないのかもしれない。
しかし不意に。そう感じて、もはや謝るも説得するも出来なくなったクエストの頭上から、別の声が降り注いだ。
「そんな女、説得しようとしたって無駄なこと――やるべきは、こうよ!」
直後。見上げると、そこからは巨大な質量を持つ金属めいた格子が降って来た。クエストが慌てて飛び退くと、その一瞬後に激しい地鳴りを響かせ床に激突する。魔本堂全体が危うげに傾いだのではないかと思える激震が轟き、濛々と埃が巻き上がる。
やがてそれらが収まった頃、姿を現したのは巨大な檻だった。人の背丈よりも遥かに大きく、異様に強固そうな格子を備える牢。先ほどの声は、その天井に乗っているミストからのものだった。彼女はそこから恐々とながらも飛び降りてくると、クエストに向かって得意げな顔で顎を上向かせた。
「これがあたしの作戦、実行犯を囮にして生け捕り作戦よ!」
どうやらこの檻は、以前に彼女がクエストを生け捕りにした罠と同様の、捕獲用に作られた魔道書らしい。クエストは自らも危うく巻き込まれるところだったことへ怒りを覚えるが――そんなことよりも、得意満面で胸を張る小柄な少女の先に見える檻の内部の方が気になった。そこではあまりに、驚愕する出来事が起きていた。
そちらへ向けて指をさし、ミストを振り向かせる。堅牢な格子の中には……けれど誰の姿も見つけることが出来なかった。
そこにあったのは不意打ちを受けて悔しがる店主の姿などではなく、ただ一冊の閉じられた魔道書だけ。
ミストはそれを見つけると、なにかに感付くと共に口惜しげな悲鳴を上げた。




