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指定された家に本を届けるという仕事は、さほど労を要するものではなかった。
都市の地図は、本屋を探す時に何度も見たので頭に入っている。他に問題になりそうなことといえば、配達先――五軒分、数十冊の本が詰まった荷の重さくらいだが、これも旅と、日頃の魔本堂での仕事で慣れたものだった。おかげで順調に家々を回っていくことが出来る。
しかし――三軒目の配達を終えた頃、ふと違和感を覚えた。
その時にはなんだかわからなかったが、四軒目の頃にはさらに強く、何者かによる尾行の気配を感じ取る。
そして最後の五軒目に届け終えた時には、明確に追跡者の足音や影を見つけることが出来た。ただしさり気なくでもこちらから働きかけようとすると、相手はそれを敏感に察知して即座に身を隠した。
クエストはせめて追跡を振り切ろうと入り組んだ路地へ入り、意味のない細道を通ったりもしたのだが、どうあっても一定の距離を保ったまま、引き離すことは出来なかった。
だが、苦心しながらも打開策を見出せず、なんら事態を好転させることが出来ないまま、魔本堂に戻るべきかどうかを思案していると、クエストは不意に追跡者の気配が消え去っていることに気付いた。
もちろん巧妙な隠伏を疑い、様々な形で相手がせめて再び気配を現すのを誘導しようともしたが、どれほど注意深く探っても息遣いはおろか、先ほどまで感じ取ることが出来ていた足音、影の類も見当たらなかった。気付けば日が暮れようとしており、これ以上は尾行が困難になると判断したのかもしれない。
どうあれ、クエストはこの機を逃さず、念のためにと少しの間また意味のない順路を辿ってから、唐突に駆け出し店へと戻った。
到着する頃には裏路地が夜の如き闇に包まれるほど完全に日が暮れ、魔本堂も就業時間を迎えていた。しかしなにか言われるだろうかと怯えながら店に入ると、店主はその様子もなく、それどころか待ち侘びていたように、読み耽っていた本を閉じてクエストを出迎えた。
「遅かったじゃないか。なにかあったのか?」
「いえ……そういうわけじゃないですけどね」
追跡者について話すべきかどうかは迷ったが……やめておく。出発の際、彼女が見せていた心配をあえて煽ることはないだろうと判断したためだ。ここで尾行を告げれば、彼女は自分を巻き込んでしまったことを悔いてしまうだろう、と。
まして仮にあの追跡者が転移の魔法を仕掛けた犯人であるなら、尾行によって店の場所を知られたかもしれない、などと怯えるのも無意味だ。既に知られていると考える方が自然だろう。
店主は、そうした逡巡を覆い隠すクエストの態度になんらかの違和感を覚えたかもしれない。が、それでも彼があえて口を閉ざすなら追及はしまいと判断したらしい。「そうか」とだけ告げてその話は打ち切った。
代わりに違う話題を投げかけてくる。真剣な眼差しで、それでいて怯えた色を窺わせながら。
「なあ、バイト――今日は私の家で寝ないか?」
「…………」
長い沈黙の後、さらに沈黙を重ねて。クエストが発したのはたった一言だった。
「…………はあ!?」
それはなににと言われれば、悲鳴に近かったかもしれない。
そして石像のように固まる。それ以上なにを言い、どう行動すればいいのかわからなかった。今すぐ逃げ出す、という選択肢が最も正しいのではないかと訴えかけてくる声も脳内に響いたが、恐らく背後からなにかしらの致命的な攻撃を受けることになっていただろう。
そして結果として、そうして困惑に固まるのは正しかったらしい。彼女が咎めるように付け加えてくる。
「……なにか勘違いしているようだが、なにも私と一夜を共にするように頼んでいるわけではないぞ。私の家で寝るのはバイトだけだ」
「俺が? 店長の家で?」
それはますますもって理解出来ない話だったが――詳しく聞けば納得のいくものではあった。
つまり、自分は何者かに狙われていて家にいるのは危険だから、しばらく住み込み場所を入れ替えよう、ということらしい。
確かに店の場所を知り、空間転移まで行って明らかに殺意を含む攻撃を仕掛けてきた何者かに対して、こちらも確実に知られているであろう自宅で眠りに付くというのは困難だろう。
問題は、そうした交換をした場合、ネイジが家にいると思い込んだ犯人によって我が身が危ないのではないか、ということだったが――店主曰く。
「私の姿が確認出来ないのに、無闇に襲うことはしないだろう。下手に騒ぎを起こして仕留め損なえば警戒を強められるだけだ。まして現にこうして、私たちに対抗策を練られている」
二度目の失敗を恐れている、という彼女の説得にも、納得出来る部分はあった。あるいは今回感じ取った尾行もそうした慎重さの表れかもしれない。正確に相手を見定め、店主を狙い打とうとして、しかし今回はその見込みがないと判断して撤退した、と。
そして同時に――そのおかげで、クエストは店主の身に明確な危険が迫っていることを実感した。確かにネイジは何者かに付け狙われており、そんな彼女を危険極まりない場所へ帰らせるというのは気が引ける。彼女がいなくなってしまっては、魔本堂は成り立たないのだから。
「わかりました。店長のためですから」
そう言って了承すると、彼女は深い安堵に吐息した。胸を撫で下ろし、照れ臭そうにだが感謝を述べてくる。
さらに、お守り代わりと言って小さな一冊の本を渡してきた。『幻惑の書』と書かれている。
「これは相手の目を欺く魔道書だ。肌身離さず持っていれば、それだけで効果があるはずだ」
クエストはそれをありがたく受け取り、懐にしまいこんだ。自分ではなんら変化を感じないが、店主は完璧だと満足そうに頷いていた。
ひょっとしたら、それは単に安心させるためだったのかもしれない。しかしクエストは、店主の渡す魔道書を信頼し、なによりもそんな彼女の気遣いに感謝しながら、自らも満足感を得て頷きを返すことで、襲撃に怯える心を追い払った。




