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唐突で異様な圧迫感に、ネイジすらも驚愕に目を見開いて硬直する。それと同時にクエストの持つ古書が、突風に煽られたように自ずから頁を開かせた。
さらに、広大な店内の端々から、魔道書が転がり落ちるような音が聞こえてくる。灯りに乏しい魔本堂においてそれらの姿を目視することは叶わなかったが、クエストの手にしている魔道書と同様、ばさばさと頁をめくれさせる激しい音が、店を取り囲むかのように響いてきた。
なんらかの異常事態が起きていることは明白であり、本来ならば店主共々逃げ出すのが最善なのだろうが、頭を押さえつけられ、身体を縛り付けられたような圧力によって、それを実行することは出来なかった。どころか全力で抵抗していなければ、身体を押し潰されてしまうのではないかという恐怖すら感じる。
その中で、店主はなにかを悟ったのかもしれない。レジカウンターにしがみつくような格好で不可解な圧力に耐えながら、必死になにやら声を発しようとしていた。喉が詰まり、上手くいかなかったようだが。
直後。既に自分の身体を支えるのに精一杯で手放し、床で自由に頁を開かせていた魔道書が、激しい発光を始めた。そしてそれは、店の端々で転がり落ちた魔道書も同様だったのだろう。暗闇の支配するような店の奥から、陽光よりも眩い光が溢れてきた。
それは周囲を照らすというよりも、暗闇とは全く反対の性質で全てを覆い隠しながら、音もなく、瞬く間に膨れ上がると、魔本堂全体を包み込んだ。
白光に支配された店で、目だけは守ろうと固くまぶたを閉じる――
……そうしていたのはどれほどの時間だったか。
ひどく長く感じられたが、実際にはさほどでもないかもしれない。目を開くと、余韻で一瞬視界が白んだが、光自体はすっかり収まり、元通りの陰気な魔本堂に戻っていた。足元に転がる魔道書も、光を発さない上に表紙を閉じている。
そのせいで一瞬前の光景が信じられず、思わず錯覚を疑い店主の方を見やると、彼女も目を開いたところだった。
そして周囲を鋭く見回すと、そこになんらかの目的のものが発見出来なかったのか、舌打ちしながらなぜか焦った様子でレジを飛び越えた。そのまま、慌てて店の外へ飛び出していく。
わけのわからないまま、しかしクエストも急ぎそれを追いかけると――
扉を開けた先に広がっていたのは、やはり陰湿で寂れた雰囲気のある薄暗い風景だった。
ただし石造りの壁や建物など存在しない、代わりに高い草木が視界を塞ぎ、腐葉土の臭いが漂う鬱蒼とした深い森の中だったが。
「馬鹿な……空間転移だと!」
店主が悲鳴のような声を上げる。
「空間転移?」
全く理解不能な言葉というわけでもなかったが、クエストは先ほどから引きずる混乱のままに問いかけた。
ネイジはなにかを警戒するように周囲を忙しなく見回しながらも、その間を埋めるように早口気味に説明を並べ立てる。
「名前の通りだ。特定の空間を、別の場所に移し変える魔法――さっき話そうとしていた、人間失踪に使えそうな魔法のひとつだ」
事実、現在の都市からしてみれば、クエストとネイジの二人は唐突に店ごと失踪したことになるだろう。ここがどこであるか、帰る方法があるのかどうかもわからない。
しかしネイジは納得しかけるクエストに向かって、なにかに対し恐慌した様子を湛えたまま付け加えてきた。曰く――人間程度ならともかく、この巨大な魔本堂を店ごと飛ばすとなれば、よほど大掛かりな、それこそ店にある転移の魔道書を総動員させる必要がある。
無論のこと、この店主がそんなことをするはずがない。……一時的に消失した店がある時復活するという大掛かりな宣伝をすることで金儲けをしようという企みであれば、その限りではないかもしれないが――
その考えに行き着いた直後に、そうした無礼な疑いは晴れることになった。
二人の目の前に謎の熱戦が突き刺さり、地面を爆破させたからだ。
「のおおおお!? な、なんだ、今度は!」
「これは……」
すさまじい爆風によろめき、熱風と土煙にむせながら悲鳴を上げるクエスト。ネイジは膝を付きながら、その恐るべき熱波に対して、先ほどと同じくなにかを察知したようだった。
冗談めかした店主の気紛れな金儲け計画では済まない、明らかな命を危険を感じさせる攻撃を前に混乱を再発させて身動きが取れずにいるクエストの腕を掴み取ると、彼女は即座に踵を返して、開けたままの店へ向かって駆け出した。
クエストが抗議か悲鳴かの声を発するが、そのどちらにせよ聞き取れなかっただろう。彼女がそう行動した直後に再び、そして今度は数度に渡り、未だ収まらない煙の先から赤い熱線が飛来し、つい先ほどまで立っていた地面を抉ったのだから。
ネイジは転がるように、そしてクエストを放り投げるようにして店の中に逃げ込むと、すぐに立ち上がって店の扉を閉め切り厳重に施錠した。そこに、恐らく爆破によって巻き上げられたのだろう石片が一斉にぶつかってくる音が響く。
店に逃げ隠れてからも、熱線が止むことはなかった。土煙で標的が見えないのか、意図的かはわからない。ただ、店に直撃こそしないが、地面を破壊する鳴動は伝わってくる。さらには壁や扉になにかしらの破片がぶつかり、断続的な爆音と共に恐ろしい旋律を奏でていた。
「店長、いったいなにが起きてるんですか? このままだと店が危ないですよ! なにか対策とか、反撃の手段とかないんですか!?」
「ええい、一度に色々言うんじゃない!」
恐怖し、焦るクエストに対して、ネイジは険しい表情こそ見せていたが、それでもクエストよりは多少落ち着いている様子だった。店という盾の中に篭ることで、少しは余裕が生まれたのかもしれない。
しかしそれでも、いつ熱波が直撃して壁や扉を突き破り、あの殺人的な攻撃が店の中に炸裂するかもわからない。クエストはその想像に――なによりもそれによって店の美観が破壊されてしまうことに焦り、店主を急かしていた。
腕やら肩やら掴んで喚くバイトを、店主は放り捨てるように振り払ってから、落ちている魔道書を拾い上げた。そうしてようやく、クエストの望みを叶えるように告げる。
「この状況で反撃は困難だが、対策はある。簡単だ、すぐにここを脱出すればいい」
「脱出って……あの熱線の雨の中を、ですか?」
ぞっとしながら聞くが、ネイジは「馬鹿なことを言うな」と鼻を鳴らすだけで、それよりもさっさとなにかの準備をし始めた。魔道書を開くといくつか頁をめくっていく。
クエストがその行動の意味を理解しかねて首をひねり、訝る視線を向けると、彼女は本の中にあるいくつもの箇所に指をなぞらせ、さらに急いた様子で頁をめくるとまた同じように書をなぞり、その度になにかを囁いているようだった。
それが詠唱のようなものであることを、クエストは察知した。そして次に起こる出来事も、同時に理解する。それゆえ咄嗟に目をつぶった。ネイジが叫ぶ。
「書よ、共鳴せよ! 彼の地へ!」
再び――
暗黒めいた店内の端々から膨大な光が溢れ、店は目視出来ないほどの白光に包まれた。




