3-2
「店長ー。この、転移って書かれた魔道書はどこに置けばいいんですか?」
町は昨日起きた放火事件の話で持ちきりのようだったが――
俗世からすっかり切り離され、被害の及ぶはずのない辺境にある魔本堂は今日も平和だった。……以前、この辺境が放火の被害を受けたことはあるが。
さておきクエストは魔道書を持って、店主の定位置たるレジカウンターの前まで行くが――驚くべきことに、そこには誰もいなかった。
「……またか」
普段はものぐさで、営業日にはこのレジ奥から一切動こうとせず、バイトことクエストに世話係まで兼務させている彼女なのだが、最近は奇怪なことにこうして外出中らしいことがある。
なにも告げず不意に姿を消すので、やめてほしいと願っているのだが。
なんにせよ、今は幸運にも客がいないからよいものの、もしも誰かが来店したらどうしたものかと、行き場のなくなった『転移』と書かれた魔道書を揺らしながら腕を組む。
しばし、特に結論の出ない悩みを真剣に考え込んでいると――
「なにをしてるんだ、そんなところで難しい顔をして」
裏口からひょっこりと、店主が姿を現した。黒マントに水色のエプロン、胸の名札にはネイジと書かれている、いつもの格好だ。彼女の中での正装なんだろうか。
「店長! どこにいってたんですか、今日も今日とて」
「このところ、バイトは毎日そんなことを聞いてくるな」
「毎日いなくなるからですよ。連絡もなしに」
辟易した顔の店主に対して、クエストも同様に疲労を隠さず嘆息する。
店主は誤魔化すようにひらひらと手を振りながら、いつもの椅子に腰を下ろした。
「私も大儲けのために努力している、ということだ。お前の知らないところで忙しいんだぞ」
「店に俺一人しかいなくなるってことも考えてくださいよ」
叱責するが、彼女はそれをどう曲解したのか、にやにや笑いながら身を乗り出してくる。
「ふふふ。なんだ、寂しいのか? 私が恋しいのか? 恋してるのか?」
「しまいにゃぶん殴りますよ」
「……お前、最近言動が凶暴になってきてないか?」
冷徹な返答に店主は若干おののきながら、冷や汗を垂らしたようだったが。
「とにかく今後はどこへ行くか言っておくこと。それと、真面目に仕事をすること」
「この上なく働いているんだがなぁ」
店主はあくまでも不服に口を尖らせるが、クエストが強い視線でそれを嗜める。
そのおかげで渋々と、「善処することを検討しよう」という程度の曖昧な返事ではあったが同意して、店主はようやく仕事に戻った。
とはいえ、客が来なければレジの奥で本を読み耽るだけであることに変わりはないのだが。
クエストはもはやそれ以上の仕事をさせることは諦め、再び本の整理に戻る。一応、配置すべき場所が不明な魔道書の置き場は、店主に聞けば教えてくれた。
陳列のためにレジを離れると、店の扉が開く。営業時間中であるため、それは普通のことだが――
「…………店長」
店に入ってきた人物――人物たちを見て、クエストはぞっと彼らを見つめたまま、レジの方へ後ずさって店主に向かって囁きかけた。
一方の彼女は、早くも熱中し始めている本に食い入ったまま、顔を上げもせずに。
「なんだ? もはや客が来たくらいではそれほど歓喜しないぞ。それが有名な金持ちかなにかで、うちの魔道書を買っていくというのなら話は別だが」
「いや……そうじゃなくてですね」
背筋が凍り付いたような声音で、か細く否定して、クエストは店主のマントを引っ張った。嫌そうにする店主が、それでようやく顔を上げる。
その目が見つけたのは、来店した五、六人の男たち。全員が全員、厳格そうな顔つきで険しい視線を向けている。
そしてなにより、彼らは全員――衛兵の証である盾の紋章が刻まれた鎧を着込んでいた。
「……ルードの仲間、ではなさそうだな」
「ですよね……」
本物の衛兵がやって来る理由は……まあ、見つけ出さない方が難しいだろう。
二人して青ざめて囁き合いながら、対処法を巡らせる。殲滅は真っ先に思いつき、真っ先に却下した。彼らがここで連絡を途絶えさせたら、次には本隊が登場するはずだ。
精神支配は効果的だが、問題はこれだけの数を気付かせず魔法にかける方法があるのかということだ。
他にも逃亡、脅迫、ネイジを差し出す、痛めつけて言うことを聞かせる、なんらかの魔道書で吹き飛ばす……など、閃くものはあったが、実行に耐え得るものは見つからなかった。
店主は真っ先に逃げ出そうとしていたが、クエストが必死にマントを掴みそれを食い止める。
そんな攻防のなか――先頭にいた隊長らしき老兵が、一歩進み出て口を開いた。
「失踪事件の被害者が、ここで本を買っていたという情報を掴んだのだが」




