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2-12

 おぞましい妖気を纏う魔本堂に、今日も物好きな客が数人集う。

 数日間、臨時休業をしていたおかげで彼らの偏執的な嗜好を満たせなかったことを詫びるように、店は主である魔法使いの帰還と共に、即日今まで通りの姿を取り戻した。

 空虚なだけの箱に落ちぶれていた巨大な店が、再び暗黒の異次元を漂う広大な魔女の隠れ家のように、禍々しい幻惑的な美観を漂わせている。

 その落ちぶれ、臨時休業の原因を作り出したルードは――正気に返ったネイジがこんてんぱんに叩きのめし、靴跡まみれにしたのち、コンパティ書店侵入の犯人という罪状を乗せた上で衛兵に突き出した。

 おかげで当分は顔を見ることもないだろうが……

「店長の外道は、もう根っからのものなのかなぁ」

 クエストは肩をすくめ、いつも通りレジの奥で本を読み耽る生活に戻った店長を諦観の心地で見つめて嘆息した。

 しかし、棚に並ぶ書物の整理に戻ろうとしたところで、ふと顔を上げた彼女に手招きされる。

 また本を読み終わったので、三階の一般書籍コーナーまで行って別のものを持ってこい、という要求なのかと思ったが、招かれるまま行ってみると、どうやら違うようだった。

 なぜか妙に不満そうで、口を尖らせながらだったが――それは真なるものではなく、不服の感情でなんらかを覆い隠そうとしているような声音で言ってくる。

「まさかバイトに助けられることになるとはな」

「俺も、まさか店長を助けることになるとは思っていませんでしたよ」

 成し遂げた今でさえ、振り返ってみても信じがたいことではあった。

 この悪辣で残虐極まりない罠に陥れることを至福とする魔女が、よもや反対に陥れられ、ましてそれをなんの力もない一介のバイトである自分が救出するとは、予知する方が困難だろう。もっとも、それを可能としたのは彼女が気まぐれに生み出し、放り捨てていた悪魔的な廃棄物のおかげだが。

「けど魔法使いなら簡単に誘拐されないでくださいよ。か弱い悲劇のヒロインじゃあるまいし」

「私がヒロインの器ではないと言うのか!」

「そういうわけじゃ……いや、そういうわけなのかな?」

 確かにそういった考えを過分に含んでいた気がして、思い直し納得する。が、ネイジにはそれが気に食わなかったらしい。彼女が無言で『人食書』と記された魔道書をカウンターの上に置くのを見て、クエストは、慌ててさらに言い直した。

「う、嘘ですって! そういうことじゃないですよ! あ、それよりその――そうだっ、俺を呼んだのはその話だったんですか?」

「む……」

 まくしたてる中、怒りの目つきと魔道書の留め金を外そうとする動作が終わらないことに焦り、苦し紛れに話題を変えると、彼女はなぜか怯んで呻き、開きかけようとしていた魔道書を引っ込めた。

 クエストが安堵と不審にきょとんと瞬きする中、バツが悪そうに、そして再び不服そうに口を尖らせて。

「それは、あれだ……礼を言っていなかった、と思ってだな。つまり――」

 早口気味にそう言うと、ネイジは少し言いよどんでから、ちらりと一瞬だけクエストの方を見やり、また視線を逸らしてから、

「感謝している、助かった」

「…………」

 告げられてしばし、クエストは呆気に取られて固まっていた。

 彼女もなにかしらの反応を待っているのか、あるいは自分の中で気を落ち着けようとしているのか、しばし沈黙の時が流れる。

 やがて先に正気に返ったのはクエストの方だった。

「店長が……人を辱めて見下しては嘲ることを生来の娯楽としている店長が、お礼を!」

「私をなんだと思ってるんだ!?」

 喫驚計り知れずおののくクエストに、店主は再び魔道書を掲げたが。

 また慌ててなだめようとしてくるバイトに対し、今度は鼻息をひとつ鳴らすだけでそれ以上の脅しをしようとはせず引っ込めると――幻惑的な雰囲気を演出する魔本堂の薄明かりの中、わずかに上気して見える頬の赤さを誤魔化すように、「だが、それはそれとして!」と声を張り上げて話題を切り替えた。

「確かに感謝はしているが……臨時休業に関しては許さん!」

「そこなんですか!?」

 店主は、今度は魔道書の代わりに紙の束を持ち上げ、レジカウンターの上にどかっと乗せた。それはどうやら宣伝用のチラシらしい。いつの間に作ったのか、宣伝文句に『店主、コンパティ書店不法侵入犯を逮捕!』という一文が加わり、さらにはその記念として大安売りを始める告知が記されている。

 どうあれ、その一抱え以上ある広告チラシの束は、ゆうに百枚を超えているだろうが……店主はこれを全て配って来い、と言いたいのだろう。

 クエストが必死に「救出の策を練るためにやむを得ずだった」と弁解しようとも、一切聞き入れるつもりがないらしく、それらは全て「言い訳など聞かん!」の一言で一蹴された。

「私の大儲け計画のため、休業など許さん! さあ、早く行って来い! もしくはやはりこの『人食書』で……」

「わかりました、わかりましたよ!」

 卑劣な最終手段をちらつかされれば、もはやヤケクソに頷くしかない。

 店主はやはり非道な悪魔めいた笑みを浮かべて、満足そうに頷いていた。

 しかし――

 クエストがそのチラシの束を抱えて危うい足取りで踵を返そうとした時、ふと表情を消して独りごちる。

「……まあ、私がいない間に客が来ても無意味なのだがな」

「無意味?」

 チラシが零れ落ちないようにと気遣う中で辛うじて聞き取り、聞き返す。

 だが振り向いた時には、店主はやはり先ほどと同じ、部下をこき使うことに至上の幸福を得ているような血も涙もない外道の笑顔で、早く行けと命じる視線を送っていた。ついでに、レジカウンターの陰からはちらちらと『人食書』が顔を出したり引っ込めたりしている。

「こういう人間にはならないようにしよう……」

 当人には聞こえないように囁いて、クエストは今日も魔本堂のため――この禍々しい美観が失われないようにと願い、働いた。

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