2-5
「やあ、また来たよ」
「来るな帰れ食わすぞ」
翌朝、開店と同時に繰り広げられた会話はそんなものだった。
店の鍵を外し、扉を開けてみると、そこにはルードが立っていたのだ。
彼は首の辺りでまとめた長い金髪を揺らしながら、今日は客なのだからと平然とした足取りで入り口をくぐり、一直線に店主のもとへ向かった。爽やかな挨拶に呪いの言葉で返事をされたのにも動じず、ただしネイジが攻撃的な意志を行動に現すだろうという距離からはギリギリ外れた位置で立ち止まる。
「今日は本の感想を聞きに来たんだよ。昨日言っただろう? 僕への愛に目覚めてくれるはずだってね」
ネイジはいつも通りレジに座りながら今にも『人食書』に破滅的な命令を下しそうだったが、ルードの言葉を聞いて少しだけ態度を変えた。
本質的には全く変わっていないが――人の絶望をこよなく愛する悪魔的な魔法使い然とした、人間としては最低の笑みの浮かべて頭上を指差す。
広大な敷地に、魔道書以外にも多種多様な本を取り扱う魔本堂――彼女が示したのは、その三階の奥にある恋愛本をまとめた棚だろう。
意味がわからず、どういうことかと問うルードに対して、店主はクエストを呼びつけて案内を命じた。そこへ行けばわかると、嘲笑の眼差しで本の贈り主に告げながら。
クエストは無論のこと、そこになにがあって、どういう意味を持つのかを知っているので、気が進むはずもなかったが……「店長が自分で行って、説明まで自分でやってください」と反発する権力も、またそうしたところで意味もなく、渋々とルードを連れて店内奥にある階段を上がっていった。
魔道書を主力商品とする魔本堂において、一般書籍を主とした三階はあまり立ち寄られることがない。ましてここでは、女性向けのファッション誌であっても、明るく前向きな子供向けの絵本であっても、その独特の色調を含む薄明るさと、頭上に刻まれている魔術的な文様のおかげで、不気味な禍々しさを秘める魔道書めいた書物と見紛ってしまう。おかげでこの店内で見つけられる恋愛物語という恋愛物語は全て、なんらかの血生臭い事件を帯びているのではないかと予感させる。
ルードが書いた、恐らくは気色悪いほど明るい空想と願望に満ちているであろう恋愛小説も、そんな雰囲気を漂わせる書棚の中に収められていた。
クエストの指差す場所に、鮮やかな薄ピンク色をした背表紙の本を見つけると……彼はひどくショックを受けたようだった。
どこまでも飄々として余裕を湛えていた彼からは想像もつかないほど落ち込んだ顔で、自筆の本をそっと手に取ると、そこに失望の視線を落としたまま、とぼとぼとまた一階の店主の前へと戻ってきた。
「どうやら、僕の望みはなにひとつ叶っていないようだね……」
「私がそんな本を手に取り、まして開くなどと思っていたのか? 指一本すら触れていないぞ」
嘲りを隠そうともせず、そしてなぜか自慢げに胸を張る。
クエストは流石に気の毒になって二人の間へ割って入ろうとしたが、それを制したのはルードの方だった。彼は落胆しながらも、物分りよく諦めたらしい。
「君に読んでもらえないなら仕方ない。こんな無意味な本は僕が責任を持って処理しておくよ」
そう言って、本を持ったまま踵を返し、店を出ようとするが――
店主が強い口調でそれを引き止めた。
一抹の希望を持って振り返るルードに向かって、告げる。
「それは既に私の物になり、そして店の売り物へと変わった。持ち帰りたければ金を払え」
「…………」
沈黙はルードのものだったか、そのやり取りを端から見つめるクエストのものだったか。
いずれにせよ、この卑劣な要求に対してしばし沈黙の時間が流れて……そのうちに観念したようで、ルードは肩を落としながら引き返してきた。
「わかったよ。相変わらずだね、君は」
完全に心を折られて諦めきった様子で、彼はその要求に承諾した。
渋々と、通常の買い物と同じく一度本を手渡し、定められた金額を払い、再び本を受け取る。せめてもの情けで買い物袋に入れてやろうかと、からかい半分で言う店主に対して、彼は力なく首を横に振った。
落胆が深くなるばかりだろうルードに対して、ネイジはしてやったりの上機嫌だった。
「ふふふ、毎度有り」
「はぁ……まあいいよ。君がそういう性質であることはわかっていたし――」
彼は項垂れ、前髪で表情を隠しながら呟くと……
ふと、その口元が僅かにだけ吊り上がった。
「そのおかげで、無事に買うことが出来たんだから、ね」
「え?」
店主はふんぞり返りながら、しかし彼のごく小さな変化と不可解な言葉に驚いたようだった。
目を見開き、石のように固まって彼の姿を凝視し続ける。
一方のルードが顔を上げた時には、すっかり失意の表情を消し去り、いつもの余裕ある微笑を湛えていた。そうして踵を返すと、背中越しに軽く手を振って――
「それじゃあ、商品は今夜にでも受け取りに来るよ」
そう言い残して、彼は店を後にした。もちろん、例のおぞましい本はしっかりと持っているが……
「…………」
「店長?」
よほど驚くべきことだったのか、固まったまま店の扉を見つめ続けるネイジ。
クエストが何度か呼びかけて、肩を揺すると、彼女はようやく声が耳に届いたのか、ハッと正気に返ってこちらを向いた。
「どうしたんですか、店長? ぼーっとして」
「いや……」
問いかけには、彼女自身よくわからない様子で首を小さく横に振った。軽く頭を抱えて、「あいつを失望させたやったことで愉悦に浸りすぎたようだ」と冗談めかす。
「そんなことより、仕入れ値無しで金が手に入ったな。やはりこうした儲け方は実に楽しい。商売とはこうでなくてはいかん」
「それは商売とは違うと思いますけど」
彼女は調子を取り戻し、バイトの指摘も軽く笑うだけで一切無視した。
クエストは呆れて肩をすくめ――しかしそれよりも、気がかりがあって振り返る。閉じられた店の入り口。そこにはもう男の姿はないが……
どうしても、彼の言動を怪しまずにはいられなかった。




