2-3
買い物――なんの変哲もない白紙の本を買い集め終わり、魔本堂に戻ってくる。
その間に、クエストはネイジの言った師匠について、多少の続きを聞くことに成功していた。
店主はどうやら幼少から金儲けに執着していたらしく、そのための、悪事をいとわぬ策を練っている時、魔法使いを名乗る女性と出会ったのだ。
そうして彼女に弟子入りして魔法の指導を受け――紆余曲折の末、この都市リブラで店を持つことになったらしい。
間の部分は何度も探りを入れたのだが、なんらかの忌まわしい、はばかられるような記憶が存在するかのように、どうあっても口を割ろうとしなかった。
クエストもやがて根負けし、そのことについて聞くことはなくなった。代わりにどうということもない、素朴な疑問を口にする。
「よく、魔法使いを自称する怪しい人についていこうなんて思いましたね。普通なら怪しくて近付けませんよ」
「……お前は自分の過去を顧みた方がいい」
その言葉は一瞬、理解しかけたが――わからなかったことにして聞き流す。
ネイジはレジの椅子に座りながら、目を逸らすカウンター越しのバイトに向けて呆れた様子で肩をすくめると、話を続けた。
「まあ、私も元々は大して信じてなどいなかったのだが――彼女には、既に弟子がいたんだ」
「それで信じたんですか」
それはそれで単純なのではないかと思うが、彼女は平然とした様子で首を横に振った。
「いいや。上手く利用して金儲けが出来るのではないかと思っただけだ。特に弟子の一人は、師匠に随分と入れ込んでいるようだったからな」
当たり前だという表情を浮かべる卑しい店主に、クエストは半眼で沈黙するほかなかった。
しかし過去を思い出すように虚空を見上げたネイジの顔が、心底忌々しげなものに変わる。今朝と同じように――吐き捨てるような口調で言う。
「今にして思えば、やめておくべきだったな。なにしろその弟子というのが……あの、ルードだったのだから」
その名前は忘れていない。今朝、衛兵を偽って来訪した、いかにも店主となにかしらの因縁がありそうな金髪の男だ。どうやらそこで感じた因縁というのは、このことらしい。
ネイジは不機嫌に頬杖をつくと、もう片方の手で苛立たしげに指で天板を叩きながら、明らかにわざと口をすぼめて聞き取りにくい声で――
「ましてあいつは……師匠だけでなく、私まで標的に加えるようになったんだ」
「……店長を、ですか?」
信じがたく、顔を引きつらせながら思わず聞き返してしまう。
さらに頭の中に、様々な信じがたく思う理由が思い浮かんだものの――店主に思い切り睨み上げられたので、口を噤んだ。
彼女はそれでも恨みの視線を向けていたが、ふんっと鼻を鳴らして目を逸らすと、自分がいかに危険な状況であったかを強調して同情を引こうとするように話を続けた。
「言っておくが、あいつの付きまといは常人の範疇ではないぞ。なにしろ私や師匠を我が物にしようと、隙さえあれば精神支配の魔法をかけようとしていたくらいだからな」
「せ、精神支配!? そんなことまでするなんて……」
およそ正常な人間とは思えない行為ではあった。それこそ、彼自身がなんらかの精神的な支配を受けてそれを強要されているのではないか、とさえ思えてくる。
そんなルードの奇行に対しネイジがかなりの苦痛を感じていたことは、思い出話をするだけでも辟易とした顔を見せる彼女の様子を見るだけでも明白だった。
「あいつはかなりの馬鹿だが、それらに傾ける偏執と才覚に目を見張るものがあったことは間違いない――私も一度、それを真似て精神支配の魔道書を作ったことがあるが、あいつのように自我を消す構成を編み出すことは出来なかった」
それは師匠も同様だったらしく、だからこそ師匠はそんな危険な男をそれでも手放さず近くに置いていたのだろう、とネイジが語る。しかし結局は師匠もその技術を得ることは出来ず、それよりも危険性を重く見て破門にしたらしいが。
「でもまあ、よかったですよ。そんな恐ろしい魔道書が店長に量産されてしたらと思うと、ぞっとしますから――」
と、そこまで言ったところでふと気付く。店主の言葉をもう一度、ゆっくりと思い出し……ぞっとしながら尋ねる。
「あれ、店長……自我を消さない精神支配っていうのは作れたんですか?」
「それならいくつも作ったぞ。しかし操っているのに口うるさく反抗されるなど面倒だからな。丸めてその辺に放っておいたはずだ」
「丸めて放らないでくださいっ、そんな危険な魔道書を!」
ルードの異常性に麻痺しているのか、この店主も違った意味で正常な精神を持ち合わせていないらしい。あるいは彼女元来の性質として、常に己が他者よりも上の存在であり、支配する立場にあると確信し切っているためか。どちらにせよ異常だが。
「まあ、なんにせよあの男はそれを利用して、しつこく私を支配しようとしてきたわけだ。あからさま過ぎて、不意をつかれることすらなかったがな」
己の異常さには全く気付かない様子で、得意げに武勇伝を語るネイジ。
クエストはそんな彼女に対して恐怖とも諦めともつかぬ感情を得て、もはや会話をやめ、店の掃除なり整理なりへ向かった方がよいのではないかと数歩後ずさった。未だルードのしつこさと、それをいかに華麗にあしらい続けてきたかを自慢し続けるネイジの隙を見て逃げ出すような心地で、くるりと身体の向きを変える。
しかし、その時だった――周囲の壁に残る焦げ痕とは不釣合いの真新しい木製扉が、かけていたはずの鍵を魔法かなにかで外されてしまったかのように、なんの抵抗もなく開かれた。
そして、見覚えのある男が店内に押し入ってくる。
「しつこくなるのも当然さ。それだけ君が魅力的だってことだよ」




