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2-1

 今朝、魔本堂に――衛兵がやって来ました。

 日記を付けていれば、今日の分はそんな書き出しだったに違いないと、クエストは絶望的な心地で意味もなく考えていた。

 温厚な美青年だと言える顔立ちをした長身痩躯の衛兵が、いかにも爽やかな笑顔で、買い物客とは違い扉の開いた店の外に留まりながら、店内のクエストを見下ろしている。

 彼が来店した理由は聞かずとも、当然のように心当たりがあった……無論、コンパティ書店侵入の件に他ならない。

 店の内外でクエストと対峙しながら、彼は首の後ろでまとめた長い金髪を揺らしながら、にこやかに宣告する。

「そういうわけですから、店長さんを逮捕しますね♪」

「なあああ! ま、待ってくださいいいいいい!」

 通告を開錠の鍵としたように押し入ってくる衛兵の腰に、クエストは必死にしがみついた。

 左胸の上辺りに衛兵の証である盾の紋章が刻まれている、胴回りの空いた軽鎧のおかげで、組み付くのは容易かった。かといってどうにもならないが。

「いやいや、安心してください。あなたはあとで話を聞かせてもらうくらいで済みますから」

「そうじゃなくてえええええ!」

 あくまでも笑顔で店主を逮捕しようとする衛兵を、なんとか押しとどめようと踏ん張る。

 両者の力は意外にも拮抗して、騒ぎは店の入り口付近から進まずに済んだ。が、それが永遠にそのまま留まり続けるはずもなく――少しすると、事態はすぐに変化してしまった。

「なにを騒いでいるんだ、こんな朝から」

 変化をもたらしたのは他でもない、今まさに衛兵が逮捕の宣告をしたばかりの、魔本堂店主、ネイジだった。今しがた起きたばかりという眠そうな半眼で、黒髪に付いた寝癖を撫で付けながら、もう片方の手で黒のマントを留めようと苦心している。

 彼女はいつものように、入り口側にあるレジの椅子に座りながら、寝癖は諦めてマントを留めると、背もたれに身体を預けながら人目をはばからず大きなあくびに口を開けた。

 訪問者に気付いたのは、滲んだ涙を面倒臭そうに擦り終わった後のことだった。

「なんだ、客か? 今日は休みだぞ。見ての通り扉と書棚の修復は出来たんだが、そろそろ商品の補充しなければいかんからな」

「いえ、店長。そうじゃなくてですね……」

 まだ正体に気付かず、しっしっと追い払おうとする店主に、クエストは恐る恐る口を挟んだ。

 それでようやく、ネイジがはっきりと目を開ける。クエストをくっ付けたままの衛兵を見て――彼女は、開けた目をさらに大きく見開いた。

 そしてそれを、異常に鋭い眼光へと変える。店主は椅子を倒しながら立ち上がると、無謀にも国家権力たる兵士に対してはっきりと敵意を剥き出しにした。そして忌々しげに声を上げる。

「貴様……どうしてここに!」

「もちろん、衛兵としてあなたを捕縛するためですよ」

 金髪の兵士は流石に手馴れているのか、脅すようなネイジの声音にも一片の怯みすら見せず、涼しい顔で微笑みを返した。

 クエストがそんな両者をどういさめていいのかわからず、おろおろと焦っていると、ネイジはさらに苛立ちを増した口調で男を恫喝した。

「顔も隠さず、なにが衛兵だ。貴様のくだらん冗談に付き合う気はないぞ、ルード!」

「ルード? って……店長、知り合いなんですか?」

 思わず、きょとんと数度まばたきする。

 クエストが虚を突かれている間に、衛兵――ルードと呼ばれた男は、するりとしがみつく腕から抜け出した。優雅な足取りで数歩、店主のもとへ歩み寄っていく。

「はは、流石に気付かれるよね。ひょっとしたら忘れているんじゃないか、と思ったんだけど」

 彼は軽く笑いながら降参のように両手を挙げた。その声音も先ほどまでの、若くして兵士の仕事をまっとうする好青年から、冗談めかして相手を挑発する飄々としたものへと変じている。

 事態が飲み込めず、しがみついていた格好のまま呆然とするクエストだったが、ルードはそれを全く無視してネイジにだけ恭しく礼をした。

「だけど、それはそれで光栄だね。僕を覚えていてくれた、ということなんだから」

「そうだな。貴様に関する記憶だけを消し去る忘却の魔道書を、もっと真剣に研究するべきだったと後悔している」

 男の方は爽やかに白い歯を見せるが、ネイジはあくまでも忌々しげに言葉を吐き捨てた。

 それでも堪えた様子もなく「冗談を」と言って軽く笑うだけの男に、怒鳴るように告げる。

「さっきも言った通り店は休みだ。というより貴様は出入禁止だ。二度とうちの店に近付くな。いいな? わかってもわからなくても、それを即座に実行しろ。今すぐに失せろ!」

「僕は君が違法なことをやらかしていると聞いて、逮捕しに来たまでだよ」

 眼前で思い切り振り払われた腕の風圧を感じながら、ルードは命令を守ろうとしないまま挑発的にひらひらと手を振ってみせた。

 ネイジはまさしくそれに引きずられるように激情を露にしながら眉間に深いしわを寄せ、手元に置いてあった一冊の分厚い魔道書を持ち出した。

 普段、冗談めかしながらもクエストに向けている、『人食書』。それを掲げながら叫ぶ。

「やはり貴様も、あの時に食わせておくべきだったようだな!」

「貴様……も?」

 きょとんと呟いたのはクエスト。置いてけぼりにされた中で解答を求めて首を傾げるが――やはり無視されたまま、二人の間だけで会話が続く。

 とはいえ、それももう終結の様相を呈していた。ネイジが魔道書を手にしたことで、ルードは飄々とした笑みを浮かべながらも警戒して軽く飛び退いたらしい。クエストの近くに着地すると、また無抵抗を示すように両手を挙げながら数歩、後ずさる。

「あいにく僕は、誰かと違って本に食われる趣味はないからね。今日のところは大人しく退散しておくよ」

 さほどの焦りも見せないままにそう言うと、彼はさっさと踵を返して、軽く手を振りながら店を出て行った。

 「二度と顔を見せるな!」と叫ぶネイジの声も、聞いていたかどうかわからない。

 なんにせよ、彼が去った後にはしばし沈黙が落ち、怒る店主の荒い息遣いだけが店に響いた。

 やがて……恐る恐る、クエストが声をかける。

「あの、店長、あの人はいったい……衛兵じゃなかったんですか?」

「奴については詳しく話すのも汚らわしい。ただひとつ言えるのは、断じて衛兵などではない」

 そう断言して、店主は不機嫌を露にしたままドカッと椅子に座り直した。

 獣がうなり声を上げるように、低いうめきで独りごちる。

「わざわざ魔法鎧を使って成りすますなど、相変わらず回りくどいまねを……」

「魔法鎧?」

 聞くが、今度は答えてはくれぬまま――彼女は不意にまた立ち上がった。

 機嫌の悪いしかめ面をそのままに、命令のようにクエストへ向かって告げる。

「出かけるぞ。店が休みの日は買出しに行かなければならん」

 彼女は先ほどの男の話題を打ち切るように、一方的にそう言うなりさっさとクエストの横を通り過ぎて店を出ていってしまった。

 クエストは未だなんらの準備もしていなかったが、一切待つ様子のない店主に諦め、慌ててそのあとを追った。

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