1-13
「……店長、本当に魔法使いだったんですね」
あの夜を思い出し、クエストはぽつりとそう呟いた。
それは単なる愕然とした独り言ではあったが、当のネイジは律儀に言葉を返してくる。
「最初からそう言っていただろう」
「言ってはいましたけど」
暗闇のコンパティ書店で起きたおぞましい出来事――その全ての疑問を解決するのは、実に簡単なことではあった。
そして、実に手近な場所にあったのだ。最初から差し出されていたもの。
つまりは魔本堂を取り仕切る店主が、彼女の言った通りの魔法使いであり、これがその魔法だということか――
魔法使いなどというものが実在し、ましてそれが魔道書を販売する書店を開いているなど、到底信じられる話ではないが……さりとて、そう信じなければ納得出来るものではなかった。
事実、振り返ればコンパティ書店の店主が、未だに魂までも食い尽くされた屍のような姿で立ち尽くしている。
混乱と絶望を食い物にする悪魔――
復讐を遂げていつにない上機嫌で目の前を歩くネイジの背中は、まさしくそんな、書物の中で描かれる怪物めいた魔法使いそのものだった。自慢げに抱えているあの信じがたい生物の挙動を見せた魔道書が、なおのことその印象を際立たせるのかもしれない。
そんな彼女の後ろについて歩くのは、はっきりと恐怖だった。
ここにいていいものか、真に魔法使い、尋常ならざる精神をもって魔の力を行使する彼女と一緒にいて、果たして自分は無事でいられるのか。その力が自分に向かってきたら、なんらかの事件によって自分がそれらに巻き込まれたら。幻想的な本屋の美観を楽しむどころの問題ではなくなってしまう。
「店長が魔法使い……」
けれどクエストは、同時に高揚も感じていた。
恐怖する理由が、そっくりそのまま心躍らせる要因に変貌する。
探し求め、見つけ出した、魔女の館を思わせる異界めいた幻想の巨大本屋。そこに住まうのが商売のために魔女を自称する変人ではなく、真に魔法使いであり、模造品としての価値しか――それでも十二分に価値あるものだが――見出していなかった数々の古書が、全て真実の魔道書だったのだ。
ただでさえ偏愛を刺激してやまなかった魔道書店が、その欲求を上回る天恵を与えてくれる。
「本物の魔道書が並ぶ巨大本屋に、本物の魔法使い……」
そう思うたび、クエストは自然と笑みがこぼれるのを自覚した。低く、陰湿な笑い声が口の端から漏れ出る。考えれば考えるほど、恐怖は薄れていった。
「どうした、バイト。急に笑い出して……怖いぞ」
「……店長に言われたくありませんよ」
引き気味で嫌そうな目を向けてくる店主に、じとっとした半眼を返す。
とはいえ、それで彼は少し冷静を取り戻した。かといって偏執が薄れたわけではなく、ただもう一度コンパティの方を振り返ってから、ぽつりと。
「それにしても――ちょっとやりすぎじゃないですか? せっかくの本が……」
食われて消失した本のことを思い、心を痛める。店や店主はともかくとして、クエストとしては書物が失われるのは心苦しいことだった。
しかしネイジは、気楽な笑顔を作って「安心しろ」とクエストをなだめた。
「私もそこまで鬼ではない。というより、そこまで本を無駄にすることなどしない。食われたものは、本の中に閉じ込められているだけで、折を見て解放するつもりだ」
その言葉に、クエストも胸をなでおろす。
「よかった、やっぱり店長も本屋をやってるだけあって、本を粗末にはしないんですね」
「当然だ。――ただし解放先は私の店だがな」
「強奪じゃないですか!?」
非難がましく声を上げる。しかし店主の方は宣伝のために歩む足を止める気配もなく、ただ平然と、やはり当然だというような顔のまま反論してきた。
「商売とは、時に非情にならねばならん」
「外道では……」
不安そうなクエストの囁きにも動じた様子はなく、「それも商売には必要だ」とだけ告げて。
それでもう話は終わったといわんばかりに、彼女はさっさと話題を変えた。清々しい顔で、朝陽をいっぱいに浴びるように大きな伸びをしながら。
「さあ、そんなことより宣伝だ。今日は特に、本を買えず困窮する客が溢れているのだからな」
その原因が紛れもなくコンパティ書店を示しているというのは、聞く必要もなく知れる。ついでに言えばそのさらに根源はネイジが用いた悪辣な魔法なのだが。
しかしふと――
彼女の後ろに続きながら、クエストの頭に全く別種の疑問が生まれた。
ネイジが本当に、伝説上でしか存在しないはずの魔法使いだとすれば――彼女はいったい、何者なのか。
なぜこんなところで本屋を開いているのか。
考えてみれば、ネイジの素性については一切聞かされていない。それどころか、今回の魔法騒動によってその謎がさらに深まったとさえ言える。
「世界の秘儀に近付くあまり、大火の災いを受けながら、今なお現存する世界唯一の魔道書店ー。今なら炎によって一部が失われた伝説の魔道書を格安で販売中ー」
もはやインチキとは呼べなくなった宣伝文句を聞きながら、クエストは彼女が現在に至るまでの経緯を夢想して――
そこにも世界からかけ離れた、ひょっとすれば魔術的な理由があるのではないかと、ひとり気持ちを高揚させていた。




