表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/46

1-12

 それは、さほど古い出来事ではない。

 ほんの昨夜――日が落ち、商店が店を閉め切り、各々の住処へと戻る頃。

 クエストはネイジに連れ出され、とある巨大な店の前に立っていた。

 魔本堂とは違う、しかし同じ種別ではある。コンパティ書店。

 夜の闇に包まれた大通りからその看板を見上げて、魔本堂の店主たるネイジは笑っている。

「ここが見世物小屋だ」

「見世物って……」

 なにをする気なのか、そして出来ればやめた方がと言おうとするも、それを許さなかったのは月明かりに照らし出された銀色の刃だった。

 首筋に突きつけられたわけではない。というより、彼女はそれで脅すことなど考えてもいなかっただろう。ただ彼女の凄絶な瞳は、反対すれば我が身がどうなるかを、なによりも雄弁に告げていた。

 得体の知れない恐怖にクエストが怯え、萎縮していると、怪しげな真っ黒なマントや魔女めいた黒髪が、暗闇の中で不気味に蠢く。彼女はついて来いと示して裏口へ向かうと――

「ここが開いているな」

 そう言って、木製の通用口にナイフを突き立てた。

 明らかに施錠されていた扉だが、幾度となく刃に突き刺されることで、やがて意味を失っていく。扉は鍵だけを残して抉り切られ、なんの支えもなくなってだらしなく口を開けた。

 障害を取り除くと、ネイジは本当に最初から施錠などされていなかったかのように、涼しい顔で扉をくぐっていく。クエストは言葉もなく、ただ後に続くしかない。

 内部は当然ながら暗闇に包まれていた。民家の数軒は収まってしまうほどの広さを持つ店だが、闇に閉ざされた店内はひどく窮屈に思える。

 手探りしながら少し進むと、不意にネイジの背中にぶつかった。危険を感じて謝るも、彼女は意外にもなにも言わず、ただ手持ちランプに火を入れる。

 ぼんやりと、少しだけ店の内装が照らし出された。光は白を基調とした書棚や床にぶつかって、数人が入れるほどの歪な円形を描く。そこに見えるのは真新しい本、それも魔本堂と違い平和的な表題の付けられたものばかりだ。言い方を変えれば、真っ当な本屋というところか。

 ネイジはランプを振って、なにかを探すように軽く周囲を見回した。そして本が平積みにされた棚を見つけると、無言のままそこへ歩み寄った。

 背後からでは表情を窺い知ることは出来ず、彼女を追いかけて横からちらりと覗き見る。ちらちらと揺れるランプの光を浴びながら、しかしネイジはこれといった表情を浮かべているわけではなかった。ただ淡々と、なんらかの準備を進めようとしている。それはなおのこと得体の知れない、なにをしでかすのかわからない恐怖を覚えさせたが――

 彼女は棚の前に立つと、そっとランプを床に置いた。

「ま、まさか、放火をやり返すんじゃ……」

「するはずがないだろう、そんなこと」

 怯えるクエストに、やはり淡々とした声で返してくる。しかしふと、その声音を穏やかな、優しげな感情のあるものに変えた。遠く離れた我が子を思うような調子で、言う。

「私はただ、真の破壊工作というものを教えてやろうと思っただけだ」

「破壊、工作……?」

 クエストが理解しかねて首を傾げる間に、ネイジは懐から一冊の分厚い本を取り出していた。

 ランプが床に置かれ光が遠退いたせいで、表題を読むことは出来ない。ただ、魔本堂に並べられている魔道書を自称する書物と同じ性質であることは見て取れた。

 なぜか妙に強固な留め金が付けられているようだが、ネイジは丁寧にそれを外す。しかし彼女はそれを開くわけではなく、平積みの本の上にそれを乗せただけだった。

 これのいったいどこが破壊工作だというのか。そもそも破壊工作などという行為を止めることも忘れ、クエストはわけもわからずその魔道書を見つめ続けた。暗闇の方が圧倒的に多い店内で、不気味な古書が妙に溶け込みながら異様な存在感を発している。

 しかしなにも起きないまま、ネイジはランプを持ち上げた。

 まさかこのまま帰るのかとも思ったが――

 不意に、彼女は明かりを頭上に掲げると、腕を広げ、マントを大きくはためかせた。揺らめくかすかな光の中で、クエストが見たのは魔女の大笑にほかならない。ネイジは目を見開き、至福の絶頂に頬を吊り上げて叫んでいた。

 高らかに指を鳴らす。

「さあ魔道書よ、己がままに食らうがいい!」

 突如、突風が吹き荒れた。

 それは単なる錯覚だったのかもしれない。しかし得体の知れない恐ろしい威風を湛えた魔道書が、錯覚の風に煽られて忙しなく頁を開かせる。

 不可解な超常現象を前に、クエストは唖然と固まるしかなかった。いったいなにが起きたというのか。なにが、起きているというのか。

 魔道書以外には作用しない、髪の毛一本揺らすことのない突風は、やがて書を半分ほどめくったところで止んだらしい。最後の最後に吹き上げられた一頁が、余韻のようにどっちつかずに揺れて、倒れる。

 そうして、一瞬の間……

 なにかの力で突然に開かれた魔道書は、薄い明かりの中でさらなる不気味さを醸し出し、鋭い牙を湛えるおぞましい怪物の口を思わせた。獲物を前に涎を垂らし、今まさに食い付かんとする化け物。今、それが目の前に出現したのではないか、と。

 そしてまさか――そう錯覚したせいで空想から抜け出して、現実のものとなったわけではないだろうが。

 次の瞬間に、魔道書はひとりでに浮き上がると、上下を反転させて積まれていた本の上に覆いかぶさった。そしてそれらを包み込むようにして、バンッと口を閉じる。

 信じられない光景だった。クエストはそれを理解するのに、しばしの時間を要した。納得するのには、まだ時間が足りない。

 なにしろ、魔道書が本を食ったのだから。

 本の消失した棚に、ぽつんと魔道書だけが残る。まるで最初からそれしか存在してなかったように。だが、どうやらそれだけで満腹になったわけではないらしい。

 古書は一瞬の間を置いてから再び浮き上がると、さらに隣に並んでいる本にも同じように頁を広げた。それはもはや本ではなく、明確に口。異常な出来事の連鎖によって恐怖と空想が混ぜ合わさり、この奇怪な空間に最も相応しい錯覚を見せているのでないとすれば――魔道書は紛れもなく、獣のような鋭い牙を生やし、涎のような粘液を飛び散らせていた。

 そして先ほどと同じように本へと覆いかぶさる――食らいつく。

 それはまさしく、怪物だった。獰猛で餓えた怪物の口だけが浮遊し、近くの餌から残さず食い尽くしていく。一角の本を食い終えると次の場所へ、それが終わればさらに次の書架へと、店内の書物を次々と貪り食う。

 クエストはなおのこと、声も出ない。今度は状況を理解することも困難だった。本が本を食う光景は、異常としか思えない。そも、本を食うとはなんなのか。なにが起きているのか、どうしてこんなことが起きているのか。

 自身の常識の範疇を遥かに超えた事態に、ただ唖然とするしか――いや、もはや唖然と見守っているのかどうかすらわからない。自分が今、自分の思った通りの状態でいるのか、もはや自信は失っていた。

 ただ一人、ネイジだけは正反対の様子だった。

 彼女は自信満々に、得意げに、そしてなにより全てを理解し、納得した上で、哄笑していた。

 ランプの明かりを揺らしながら悪魔じみた凄絶な笑みを刻む化け物の飼い主は、その非現実、おぞましくも信じがたい光景を楽しみ、愉悦の笑い声を上げ続ける。

「全てを食らい、愚物に思い知らせてやるのだ! 私の金儲けを阻害すればどうなるかを!」

 クエストには、どうあがいてもなにもわからないまま――

 しかし怪物の書は主の声に従ったのか、はたまた単なる本能なのか。いずれにせよ夜が明けるのを待つ必要も、クエストが正気を取り戻すまで時間も必要なく、二人の目の前で望み通り、全ての書物を平らげてみせた。

 残ったのは書物でなかった棚や床と――魔道書の形をした怪物の口から垂れて、ランプの光を不気味に反射させる、おぞましい体液だけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ