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1-10

 内外からの懸命の消火活動のおかげで、店の大きさからしてみれば被害はそれほどでもない程度で収束した。

 外の炎も看板に届くほど大きな柱を作っていたわけではないらしく、外壁の一部と扉が焼け崩れただけ。中に入り込んだ分も、入り口近くの書棚と本の一部を焦がすのみに留まった。

 もっとも、それでも数十冊が書物としての役割を果たさなくなったが。

「いやしかし、まさか私の方が焼き討ちに遭うとはなぁ」

 扉のなくなった入り口越しに店先の裏路地を眺めながら、ネイジはよく出来た笑い話でも聞いたように呟いていた。

 火の手がその店先からあがったことは明白であり、何者かの放火によるものであることは疑いようもない。

 いや――何者か、などと不明瞭にする必要もないだろう。犯人はわかりきっている。コンパティ以外の誰がこんなことをするというのか。

「魔道書なんだから、防火機能とかなかったんですか」

 皮肉と冗談交じりで言うクエストに、しかしネイジは当然だと言わんばかりに軽く肩をすくめてみせた。

「魔道書は不意な火事で消失するものだと、相場が決まっているだろう?」

「それは……そうかもしれませんけど」

 伝説上の魔道書が現代に存在しない理由として最も多く使われるのが、それだった。そもそも存在していない、というのは抜きにして。

 しかしこれは消失が義務付けられた秘術の書ではなく、魔本堂の『商品』だ。それが損なわれるというのは店の存亡に関わる。店自体も修復が必要だろう。

「まあ、焼かれた魔道書として売り出せば多少の金にはなるだろう」

「……って、それも売るんですか!?」

 どうとでもないように付け加える店主に、クエストは思わず声を上げた。

 が、彼女の方はうるさそうにするだけで、やはりどうとでもなく、当たり前に頷く。

「焼け残った魔道書は付加価値を得る。これを使わない手はないだろう?」

「だいぶあくどいような……」

「多少は賢しくなっていたようだが、やはりまだまだだな、バイト。利用出来るものは人であれ物であれ、全て利用して金を儲けてこそ商売人だぞ。もっと私を見習え」

「ヤな手本だなぁ」

 得意げな店主に対して心底からそう呟いて、嘆息する。

 かといって金銭欲にまみれた彼女が考え方を変えるとは思わないし――またクエスト自身も、嫌だと言いながらも納得する部分はあった。

 それは店主とは少し違う、というより違うと信じたい理由、つまりはこのまま廃棄してしまうよりは、誰か望む者の手に渡った方が本を愛好する者としては喜ぶべきことのはずだ、というものだった。

 これが、己に芽生えた金儲けの欲求という理由を覆い隠すための言い訳でしかないと、自分の中の卑屈で偽悪的な心が訴えかけてくるのを、クエストはあくまでも無視した。

 無視して、それを覆い隠すために正義の心をもって拳を握ると、瞳に強い力を込めて叫ぶ。

「それにしても犯人め、本を粗末に扱うなんて言語道断だ! ましてこの店の景観を破壊しようなどとは!」

 対してネイジの方は、感心した様子で気楽に拍手などしていた。

「流石は本屋好き、なかなか熱いことを言うじゃないか」

「って……なんで他人事みたいに言ってるんですか。店長の店なんでしょう?」

 そこをくすぐると彼女は真剣に、未だクエストの謀反を警戒しているのか、それを咎めるように口を尖らせた。

「無論だ。お前に渡す気などないぞ」

「見捨てて逃げようとしてたくせに……」

 クエストの指摘を、しかし彼女は聞いた素振りも見せなかったが。

「まったく……しっかりしてくださいよ」

 そっぽを向いて耳をほじるばかりのネイジに嘆息すると、クエストは嗜めるように言う。

「店のこともそうですけど、店長だって、いてもらわないと困るんですから」

 憂慮する言葉は、ため息のついでに漏れ出たものだった。もっともそれもまた、どうせ無視されるだろうと思っていたのだが――

 どうやら、今度はしっかりを耳に届いたらしい。

 彼女は隙を見つけたとばかりに挑発的な笑みを浮かべて、ずいっと顔を近付かせてきた。

「なんだ、心配しているのか?」

「よし、まずはどうやってコンパティを捕まえるか考えましょう!」

「お前は話を誤魔化すのが下手だな」

 馬鹿にするようにケラケラと笑う。クエストの頭には色々と反論が浮かんだものの――どれも口に出すのははばかられて、顔を背けた。

 代わりに、じとっと不満げな声を上げる。

「なんだか妙に楽しそうですね、店長。こんなことされたのに」

 皮肉混じりのつもりでそう言うと、ネイジは思いのほか意表をつかれた様子だった。

 しばしきょとんとクエストの顔を見つめて、その言葉を反芻する。

「楽しそう? ふふ、そうだな。楽しそうか――ふふふ」

 やがて、なぜか可笑しそうに笑い出した。口を押さえて、明らかに肩を上下に震わせる。

 その様子があまりにも異様に思え、クエストは半ば後ずさりながら、恐る恐る首を傾げた。

「ち、違うんですか……?」

「いいや、楽しいぞ。そうだな、確かにそれに近しい感情だ」

 彼女はあくまでも肯定してきた。表情は確かに、笑顔だったのかもしれない。どうしても堪えきれない笑いに口元を手で覆い、身体を折り曲げてまでそのまましばし笑い続ける。

 クエストはなおのこと混乱するばかりだったが……ネイジは目に涙を溜めるほど笑い転げたあと、それを拭いながら、もう片方の手で心配するなと軽く手を振ってくる。

「いやいや、私は正常だ。バイトの言う通り、愉快な気分になっているだけだ。ただ――」

 彼女はそう言葉を継ぐと、少しだけ顔を上げた。

 目元は前髪で隠れているが、その分だけ深紅の唇がいやに強調される。

 表情は――変わっていないはずだった。彼女はずっと笑っていた。ずっと、笑みのように口元を吊り上げていた。

 ただし今は、それがかつてないほど凶悪に見える。

 絵本や娯楽本、あるいはもっと悪意的な伝承、伝説、そしてそれに類する様々な物語の中で、常に悪人として描かれ続けていた魔女――それらに共通する、凄絶な笑み。

 ネイジが浮かべているのは、そういった種別のものだっただろう。クエストは初めて、彼女が本当に魔法使いなのではないかとさえ思えてしまった。そうして伝説上にある呪術、あるいは暗黒の魔法を用いて犯人になにかしらの壮絶な最期を遂げさせるのではないか、と。

 彼女は言葉の続きを言う前に、前哨のように笑い出した。

 そしてしばし、悪魔的とも言える哄笑を続けた店主は、ついに完全に顔を上げた。確かに笑っている。目を見開き、どこまでも標的を追い詰める瞳で。

 その唇から吐き出される声も、悪魔か魔女か。

「バイトよ――これから、もっと面白いものを見せてやろう」

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