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朝から店先が騒がしいというのは、開店以来始めてのことだった。
簡易的な居住空間に改造された事務室から顔を出して、開店準備を始めた時、クエストはその喧騒に気が付いた。
扉は単なる木製であるため、それをじっと見つめても外の様子を窺い知ることは出来ないが、時折は扉を叩かれているようでもある。開店を待ちわびているのか。
確かにこのところ、店主と共に作成した偽の卑猥な表紙で客を誘き寄せるという姑息な商売が功を奏し、なんとも言いがたいながらも客入りは増えてきた。鼻息を荒くした彼ら、彼女らがとうとう列を成すようになったのかもしれない。
だとすればこの功績は認められ、この異界情緒を思わせる幻想的な本屋の経営を大部分任されることにもなるかもしれない。そうなればもはや、実質的に店の権利を握ったも同然――つまりは自分が店主になったも同然と言えるだろう……。
「誰がそんなことをするか! この店の全ての権利は私にある!」
「店長、いつの間に! そして俺の心の声を……まさか魔法で!?」
入り口前で夢想にふけっていると突如としてネイジが眼前に現れ、思わず飛び退く。
魔法使いを自称する彼女が、実はまさか本当の魔女だったのではと警戒して闇雲に周囲を警戒するが、そんなクエストの額を、彼女は手の甲で軽く小突いた。
「馬鹿が。ただお前が妄想を口に出していただけだ」
「あぁ……そうだったんですか。うっかり」
やはり魔法使いではなかったらしい。
彼女は相変わらず風貌と、羽織るマントだけは魔女らしくしながらも、正反対に本屋らしいエプロンの胸元に名札を付け直している。
彼女の家は店のすぐ裏手にあるため、まだ起床してからさほど時間が経っていないのか、肩ほどまでの黒髪が寝癖で乱れていたが、まぶたはしっかりと見開かれていた。その理由が、扉の先にいる客の群れであることは疑いようもない。
卑しい店主は瞳の奥に金儲けの野望をありありと浮かべながら、叱責してくる。
「まったく、バイトはいつから野心家になったのか……そんな空想よりも、客が待っているだろう。早く店を開けるぞ」
「わかってますよ」
もはやいまさら彼女について指摘するのは意味がなく、クエストは呆れながら従った。
もっともクエスト自身も、行列の客を迎え入れるという、一種商売人としての花形に心躍るものを感じていた。
背後では店主が衣服を正し、卑しさを押し隠した接客の笑みを浮かべている。
クエストは緊張しながら厳かに入り口を開く。薄暗い店内に、裏路地も光溢れる場所ではないが、それでも控えめな陽光が差し込んで。
「いらっしゃいませ、ようこそ魔本堂へ――」
店主とバイト、二人がそう言って客を迎え入れた、直後。
真っ先に感じ取ったのは光だった。薄暗い裏路地と、同じく暗闇に沈むような魔本堂の店内を照らす、それらに似つかわしくない煌々とした赤い光。
その正体がなんであるかを知ったのは、クエストの持つ日に焼けた茶色の髪が、入り込んできたその赤によって焦がされた時だった。
赤々と輝く炎。それが店の入り口を覆うように燃え上がり、さらに扉を開けてしまったことで、その熱波の指を店内にまで侵入させてくる。
客は、いた。というより店先は十数の人間によって軽い騒ぎになっていた。人を呼ぶために声を上げる者、協力して近くの貯水槽から水を汲み、消火活動を行う者――そして黒いコートを着込み、悪辣な笑みを浮かべてそそくさと立ち去る者。
さておき。最も多いのは、今度はゴミではなく炎で店を閉ざすとは、と奇妙な感心をする者たちだったが。
しかしクエストはそれらになにか言うどころか、彼らの姿を観察する余裕もなかった。
強烈な熱波を浴びて店内へ転がり戻ると、混乱しながら呂律の回らぬ口で報告する。
「て、店長! 火が、炎が!」
「見ればわかるわ、馬鹿者! それより早く火を消すんだ!」
と言いながら、彼女は店の金を可能な限り懐に詰め込み、必死に裏口から逃げ出そうとしているところだったが。
「なにやってんですか店長ー!」
クエストは叫びながら滑り込むように飛びかかり、ネイジの足にしがみつく。
「ぬうっ、なにをする! 離せ!」
「火を消すんじゃないんですかっ! このままだと店が危ないんですよ!」
「そんなところにいたら私の命が危ないだろうから、私が逃げ延びているうちにお前が火を消すことでだな――!」
「言ってることが滅茶苦茶ですよ!」
そんなことを言い合っているうちに、炎はますます店内を侵食していた。入り口に最も近い書棚の一つが、照明とは違う赤い光を放ち始めている。
「ほら、もうそこまで来てるんですから! このままだと店長の家まで燃え移って大損ですよ!」
「うぐっ、そ、それは……!」
「でも逆に炎を消せば、火事に遭った店として名が売れて観光気分の客で大儲け出来ますよ!」
「ハッ――そ、そうか、大儲けか!」
脳と口とを直結させたようなデタラメの閃きだったが、それでも土壇場の中で卑しい店主の心を打つには充分だったらしい。
彼女は納得すると踵を返し、薄暗い店内を無闇に明るく照らそうとする炎へと立ち向かった。
「バイト、そんなところでなにをしている! 早く火を消すんだ! もたもたするな!」
「なんだか無性に腹が立ちますけど……今は気にしないでおきます」
叱咤する店主に、言い返したいことは山ほどあったが。それでもクエストは本屋を守るため、今は恨みがましい半眼を向けるだけに収めて、頷いた。




