9話 誘拐されました
「……どうしてこうなった」
お約束の言葉をぼそりと小さく口に出す。
言ってどうなるという訳でもないけれど、これは的確に自分の心境を語れる便利な言葉だと思う。
私は今、薄暗い部屋でひとり、膝を抱えて座り込んでいる。
この世界へ召喚された時の部屋にそっくりな、でも、あの部屋とは違って天井に魔法陣が描かれていない、石造りの部屋。
窓はなく、唯一外へつながっていると思われる鉄の扉は鍵でもかかっているのか、押しても引いても動かない。
「――…へっくしょいっ」
寒さから、何度目かわからないくしゃみが出た。
ポケットに入れてあるハンカチを取出して、ずびずびと鼻をふく。
お気に入りのハンカチなのだが仕方ない。ティッシュは持っていないのだ!
拭いた方を内側にしてハンカチをたたんで、それをポケットにもう一度入れる。
寒いので少しでも暖をとるべく、両腕で膝を抱え込んで、膝と腕の間に顔を埋める。
さっきの言葉ではないが、本当にどうしてこうなったのだろう。
心細さで出そうになる涙をこらえ、私はこうなる前の事を思い返してみる事にした。
巫女見習いではなくなった私は、サシャさんたちと相談した結果、市橋嬢と鳴海嬢に誤魔化さずにその事を告げる事になった。
朝のうちからルーイ・ルーに連れられて部屋を出た私が、3人を――サシャさんとレレリール老とルーイ・ルー連れて部屋へ戻ると二人は驚いたが、私が魔法を使えない事を伝えると納得したように頷き、だから巫女になれない事を伝えると心配そうに「影羽お姉さんはどうなるんですか!?」とレレリール老とサシャさん――なぜかルーイ・ルーはハブられていた――に詰め寄り、私が彼らに見放されたり捨てられる事はないとわかると安心したように「よかったですね」と、私の手を取り言ってくれたのだ。
市橋嬢も鳴海嬢も、天使である。間違いない!
その後、これからどこで暮らすのか――巫女見習いではなくなったので教会から出なくてはならない――と言う時になって、ルーイ・ルーが嬉しそうに「しばらくの間は私の実家で暮らしてくださいね」とか言わなければ、天使二人に癒された気分のままに居られたのにと思ったが、仕事が決まるまでの生活を保障してくれるらしいのだから文句は言えない。
それが表情に出ていたのかもしれない。ルーイ・ルーは少し思案する顔になり、それから楽しそうに私の手をとり「幸せにしますから!」と冗談を言ってくるものだから、堪らない。
結婚してみたいとか言ったからからかわれてるのだろう。それがわかっていても動揺してしまうのだ。イケメン補正というものは強力であり、とてもずるいものなのだ。
そんな私たちの様子を見ているレレリール老の視線が、どこか生暖かい気がしたのは、気のせいだと思いたい。
そんなやり取りを終え、市橋嬢と鳴海嬢はサシャさんと共に巫女修行へ行き、レレリール老もどこかへ帰っていった。
この部屋から出なくてはいけないからと、ルーイ・ルーは私に大きめの布の袋を渡して「荷物をまとめてきてください」と言ったのだが、私には荷物がほとんどない。荷物なんて、この世界に来た時の服と、ポケットに入れてあったお財布とハンカチのみ。
その事を言えばルーイ・ルーは気まずそうな表情になったので、一応は召喚しても帰せないという事に罪悪感を持っているのだと、意外に思ったものである。
「スイナさん、馬車を呼びますから少しまっていてくださいね」
少ないながらも荷物をまとめた私に、ルーイ・ルーはそう告げると部屋を出て行った。
一人になった私は、ルーイ・ルーの実家とやらは遠いのかなぁとか、ルーイ・ルーの家族はまともなのかなぁとか、仕事って何があるんだろうかとか、ぼんやりと色々な事を考えていた。不安半分、期待半分。
だからこそ、そんな私の背後に誰かが出現した事には気付かなかったのだ。
いやそもそも、廊下へ続く扉には鍵がかけてあったのだし、窓はあっても開かない部屋にひとりだったのだ。誰かが部屋に入ってくる事があるなんて、思わないではないか。
「――…巫女だな」
突然後ろから男の声がして、驚いて振り向けば顔を正面から掴まれ、その男の顔を見る事はできなかった。
それなら、と。悲鳴を上げるべく口を大きく開いて息を吸ったのだが……、声が出ない。
今思えばそれは魔法とか魔術とか、そういう不思議な力を使っていたのだろうとわかるが、その時の私は冷静ではなかった。どうしようどうしようと何も思いつかず、混乱するのみであったのだ。
そんな私の首元にチクリと小さな痛みが走り――
「――っ!! スイナさん!」
バタンと何かがぶつかるような大きな音の後に、焦ったようなルーイ・ルーの声。
それらを遠くに聞きながら、私の意識はそこで一度、途切れた。
そして、目が覚めたら薄暗く寒い部屋の中に、転がっていたのである。
半日も経っていないのに、色々あったんだなぁと他人事のように思い、どこからか入ってくる隙間風の冷たさに身を縮める。
両方の手のひらをで口の前に持ってきて、はぁと息を吹きかけ、少しでもと暖をとる。
「……やっぱり、誘拐?」
思い返した時は他人事であったが、口に出してみると実感が出る。
日本には言霊という言葉があるが、こういう時にその言霊の意味がわかるんだなぁと、私は頷いた。
それから何分――何時間経ったのだろうか。
カチャリと鍵を開けるような音で私は目が覚めた。
いつの間にか寝ていたようで、ぶるりと背筋に悪寒が走る。ただでさえ寒かったのに、指先は感覚がないほどに冷たくなっていて、しもやけになったら困るなぁと場違いな事を考えながら、音のした方――鉄の扉を見る。
鉄の扉はギィと重そうな音と共に内側へと開き、そこから銀色の全身鎧に分厚い黒いマントを着た人が現れたのだ。
全身鎧のその人は室内を見回し、私を見つけると近付いてきた。
「――巫女よ。名前は何という」
膝を抱えている私の前で床に膝を付き、男――声が男っぽい――がそう尋ねてきた。
なるほど巫女が目的か…と考えて気が付いた。これはとてもまずい流れなのではないだろうか。
私を巫女と呼ぶという事は、私が異世界人である事を知っているという事である。巫女目的の営利誘拐である。
そんな中、巫女ではないと私が言えば、私はどうなるのだろうか。
嫌な予感しかしない。
「巫女よ、言葉がわからないのか?」
答えない私に男は不審そうにそう言った。
何かを言わねばと私は焦るが、何を言えばいいのかわからない。
それでも何か言おうと口を開いたり閉じたりを繰り返していたら、溜息のような音が聞こえた。
直後に急な浮遊感が私を襲った。
「――っ!?!?」
「暴れ……る体力はなさそうだな。すまなかった、女子にこの部屋は寒すぎたな」
声にならない悲鳴を上げる私を抱き上げた男が、そう私に話しかけた。
そう、抱き上げられているのだ、私は。
俗にいう、お姫様抱っこ、というやつである。
普段であれば恥ずかしさに耐えきれなかっただろう。
しかしその時の私の頭は少しぼんやりとしていたのもあり、驚きはしても暴れる体力もなく、ゆらゆらと心地良く感じる揺れに身を任せ、そのまま意識を失った。