23話 腹が減っては何とやら…です
自覚してしまうと耐えられないものなのかもしれない。
先程までは難なく動けていたというのに、空腹を感じてからは身体がもう動きたくないとでも言うように足腰から力が抜けてその場に座り込み、そこから立てなくなってしまう。
日本で暮らしていた時は多少お腹が減ったとしても、お腹などについていた余りある脂肪のおかげで動けていたはずなのだが、この間まで飲まず食わずで寝込んでいた今の私にはその蓄えがなくなってしまったからか、動けない。
よく細い友人や筋肉愛好家な細マッチョの知り合いが、空腹になるともうそこで食べないと動けなくなるんだよねと言っていたのをいつも大げさだなぁと思って聞いていたのだが、あれは事実だったのかと今更のように実感した。これは、なってみないとわからない感覚だろう。うん。
とにかく、今の私は動けない。
そして、海の向こうに沈んでいく太陽は止められない。夜になってしまう。
ピンチである。
何か無いかと周りを見ても、手の届く範囲にあるものは草花と木の枝。それと土と粘土と杖もどきの失敗作の山である。
この中で食べれそうなのは、草花と木の枝くらいであろうか。どこかの動物はミネラルを補給する為に土を食べると言うが、さすがに土を口にする度胸も勇気も私にはない。
しかし、下手に草花を食べても可憐な花には棘――ならぬ毒がある事も多いというのを知っているだけに、食べてもいいものなのかと迷ってしまう。
八方手詰まりとはこの事か。
いや、一か八かで毒がない可能性にかけて食べてみればなんとかなるかもしれない。
背に腹は代えられないと言うではないか。このまま動けない状態で、それこそ野生の獣に襲われでもしたら、逃げれずにそのまま頭からバリバリと食べられてしまうだろう。
同じ死ぬなら生きたまま食べられるよりは一か八かで…いやまあ、死にたくはないが、どっちにしろ食べねば動けないのである。決めた、食べよう。
手の届く範囲の花を摘み、おそるおそる口へ入れようとした時。
「…それは毒だぞ」
「はい?」
透き通るようなテノールの声に振り向けば、猛禽類のような下半身にで上半身が人間の――セイレーンの男が不審そうに私を見下ろしていたのだ。
☆ ☆ ☆
セイレーン。
鳥のような下半身に人間の上半身を持つ、その美しい歌声で人を惑わし連れ帰ったり殺したり船を沈めたり……と元の世界では言われていたのだが、この世界ではどうなのだろうか。
見れば、下半身は猛禽類のような鋭い爪を持った…羽はとてもふかふかしてさわり心地がよさそうではあるが、上半身には服を着込み腕を組んでいる。不機嫌さを隠す様子もなく眉の間に皺をよせて、私を睨む少しつり上がったオレンジ色の目がこわい。
「えと、どちらさまですか?」
「それはこっちのセリフだ人間。おまえこそここで何をしている」
不機嫌な表情をしている人といつまでも見つめ合うのも怖かったので聞いてみた(大陸共通語が通じてよかった!)のだが、不機嫌さを隠さない声でそう問い返された。不機嫌そうなのに耳心地の良い声とか、なんという罠だらけな男なのだろうか。この声を聴けるなら怒られてもいいとか思ってしまう者も少なくないのではないだろうか?
…まあ、それはそれとして、聞かれてもなかなか答えないでいる私にイライラしているのがわかるくらい、彼の顔がこわくなっていく。
良い声だが争う気も罵られたい訳でもないので、正直に答える事にした。
「た、食べるものがなくて…」
そう言うと同意するように私のお腹がぐーっと鳴いた。
恥ずかしかったがナイスタイミングである。これで疑われまいと心の中でガッツポーズを作り、自分のお腹へ向けて盛大な拍手を贈った。
「…その花は食べられないぞ。毒がある」
「そうなのですか。教えてくださって、ありがとうございます」
男は呆れたような顔と声でもう一度教えてくれたので、今度はちゃんとお礼を言う。
しかし困った。空腹過ぎて動けないので、食べれないとなるとあとは土とか木の枝くらいしか食べられそうなものがない。
そんな私の考えに気付いた訳でもないだろうが、目の前にどんぐりのような木の実がパラパラと転がってきた。見れば、男は私ではなく空の方に視線を向けて、口を開いた。
「やる。食え」
「え?」
「サリアの実。渋いが栄養はあるし食える。食え」
聞き返せば怒ったように男が言う。少し照れたような表情になっている気がするのだが、これが噂のツンデレというものだろうか。表情がツンツンしているのに言ってる内容は優しい…デレ?
それはともかく、せっかく食べれるというのだし、食え食え言ってくれているのだから、お言葉に甘えよう。実はこれこそ毒だった!…とかいう事も可能性としてはあり得るが、信じる以外の選択肢がない。
「ありがとうございます、いただきます」
「……皮は捨てろよ」
「はい」
手元に転がったどんぐり――サリアの実というらしい――を手にとってスカートのすそで土を落とす。それを歯を使って割り、皮をむいて中の実を口に入れた。
渋い。たしかに渋い。噛めば噛むほど広がる渋さに涙が出てくる。
が、せっかくのいただきものであるし、空腹で動けない今の私にとっては大事な栄養素でもある。
杖もどきを手にとり、片方の手を器のようにしてから、術式を作って唱えた。
『水よ』
それを口に含み、渋いその実と一緒に飲み下す。
まだ渋いが、その元となった実はすでに胃の中である。
しかし敵はまだ数個ある。
杖もどきを焼く時に、一緒にコップのようなものも作るべきだったと思いながら、皮をむいては口に入れて水で流し込み、流し込んではまたサリアの実の皮をむき…と繰り返す。
「おまえ、魔術師か」
全ての実を胃の中に入れ終わると同時――待っててくれたのだろうか――に、男がそう言った。
男の視線の先には私の手に握られた杖もどきがある。
「はい。まだ見習いですけど、魔術師です」
「魔術師がここに何の用だ」
私が肯定すると男の――太陽はすっかり沈んでしまい表情は見えなかったが、声は怖いくらいに硬いものになった。
その事で、ここには何かあるのだろうかと頭をひねるが、ひねった所で答えなんて私の中にはない。
「…誘拐された先が襲われて、よくわからないうちにここに?」
自分で発言しておいて何だが、これで伝わったらすごい。我ながら、説明が下手すぎるのではないだろうか。しかしこれ以外にどんな言葉を付け足せばいいのかわからない。
腕を組んでどういい直そうかと考える。
この男の人は悪い人ではなさそうだが、巫女という事は言えないし、誘拐は嘘ではないし、たぶんカチュさんの魔法か何かで飛ばされたのだろうが、食べるものも先立つものもないままに身一つでここにいる。
…どんなに考えても、何を付け足せばいいのかわからない。困った。
「……てではないのか?」
「ん? 何ですか?」
「いや、要するにただの迷子か」
小さく男が何かを言ったので聞き返すが、男は首を振ってそう言った。
心なしか声にこもっていた棘が消えたような気がする。
「おい、人間」
「はい」
「おまえはどこから来たんだ」
「リリスレイアのルべリアという街です」
私の答えに男の驚く気配がした。
そういえば教会情報では諸悪の根源の魔術師排出国だったなと思い出す。メフィトーレスさんもレイリンさんもレイリスさんも他の人たちも、みんな良い人だったし、悪人には思えなかったから、すっかり忘れていたが。
もしかして言わない方が…誤魔化した方がよかったのかなと思ったが、その事で男が不機嫌になる様子はない。
「…誘拐されたのか」
「はい。メ……師匠が探してくれているとは思うのですが、ここがどこかわかりませんし、お金も食べ物もなくてこれからどうしようかと途方にくれていたのです」
私がそう言うと男は少し考える素振りを見せ、それから私に問いかけてきた。
「リリスレイアはここからは遠い。行くにしても人間のおまえでは船や馬車に乗っても一年はかかるだろう。それには金もかかるが…金もないんだよな?」
「はい」
お金がないどころか、お金の価値すらわかってないとかは言わない方がいいだろうと思い、頷くだけにしておいた。
すると男は私の腕を掴み、引っ張り上げた。
「俺の街に来るといい。旅費が貯まるまでの生活と仕事を紹介しよう」
思っても居なかった言葉に、私は目を丸くした。
人間の魔術師に良い印象を持っていないようであったのに、どういう事なのだろうかと不思議に思う。
「それはとてもありがたいのですけれど、魔術師に良い印象を持っていないのでは?」
「たしかにその通りなんだが、リリスレイアの魔術師ならば話は別だ。問題ないだろう」
たしかにリリスレイアの魔術師は――私の知ってる範囲ではあるが、みんな優しい良い人であった。
悪く言われないのは嬉しいが、という事は他の――リリスレイア以外の魔術師が問題行動を起こしているのだろうか。それで教会はまとめてリリスレイアごと諸悪の根源認定をしているとか? あり得ないと言い切れないだけに、その可能性は高そうだ。
まあ、悪く思われていないのなら、よかった。
「…心配しなくても女には困っていないからな。何もしないぞ」
私が何も言わずに黙っていたからか、男がふいにそう言った。
一瞬何の事だと考え、そしてすぐに思い至り、笑いをこらえきれずにもらしてしまう。
ここに飛ばされた時にまず心配していたのは、私が女であることであったのに、私自身がそれを彼に言われるまで忘れていたのだ。女としての自覚がないとは思っていなかったが、これではそうとも言い切れない。もしかして、だから女として見られる事がほぼなかったのだろうかと今までの――異世界へ来る前の生活や自分の行動を振り返り、そうでもないかと思い直して切なくなる。容姿ってある程度は大事だもんね。うん。
「何かした方がいいのか?」
そんな事をぐだぐだと考えてると、男が少し不機嫌そうな声でそう言った。
自分が笑われたのだと思って気を悪くしたのかもしれない。
そんなつもりはなかったし、もちろん何かされるなんてまっぴらごめんなので、慌てて彼に向かって言葉を選ぶ。
「いえ、あなたの事を笑ったのではないですし、もちろん何もされない方が良いに決まってます! …ちょっと自分の今までを行動を振り返っていたというかなんというか…」
うまい言葉が見つからなくてもごもごと言うとため息が聞こえた。
男が私に背を向ける。
「…わかった。とりあえず乗れ。運ぶ」
何がわかったのかはわからないが、突っ込むのは得策とは言えないだろう。
私は素直に彼の首に腕を回し――腰から生えている翼の関係でどこに足を持っていけばと思ったら男の腕が私の足を翼の上へと引き上げて、背中から落ちないようにと私を支えた。
「行くぞ。口は閉じてろ」
そう言うと彼は強く翼を羽ばたかせ、私ごと空へと駆け上がったのだ。
1月22日 誤字修正しました
話を章ごとに分けてみましたが、2章のタイトルが決まりませんでした。