18話 おはようございます
スイナ視点ですが、説明回です。
天に届くのではないかと思えるほど高く、地平線が見えないほどに太く、1本なのにそれだけで広大な森であるように、その樹は存在していた。
その樹のたくさんある枝の中の1本に座っていた。
風は気ままに流れて踊り、枝から飛び立った鳥や葉はその風に乗ってどこまでも飛んでいく。
ただそれをぼんやりと見ていた。
それを見始めてから、どれくらいが経ったのか。
ふと、私は私がここにいる事を自覚した。
同時に私は、風のように舞える訳でもなく、鳥や葉のように風に乗ってどこかへ行ける訳でもない事に気が付いた。
私は飛べず、この枝から動くこともできない。
私は、風でもなく、鳥でもなく、葉でもなく、枝でもない。
私は―――
「『私は何なのかしら』……お?」
自分の声に驚いて目を開けると、天井…ではなくいつもの豪奢な天蓋が見えた。
妙に身体がだるく、私の上にかぶさっている布団が重く感じる。
何かの罰ゲームだろうかとも思ったが、そもそも罰ゲームを受ける心当たりがない。
とりあえず自分が眠っていたのはわかったので、眠る前の事を思い出そうとすると、
「スイナさま!?」
驚きの声と共に、布団の下にあった私の手が引っ張られ、そのまま握りしめられた。
錆びついたロボットのように動きにくい首をぐぎぎと必死に動かして、声のした方へ向く。
黄緑のおさげのかわいい、しかし今はなぜか泣きそうな顔のレイリンさんと目があった。
「…れいりんさん?」
なぜ泣きそうなのかと思って呼びかけたが、思っていたより私の声が小さい気がする。
身体がだるくて布団が重くてレイリンさんが泣きそうで……ここへ連れてこられた時のように、私は風邪でもこじらせて寝込んでいたのだろうか? それなら今の状況にもなっとくがいく。うん。
「…ご心配おかけしました?」
「スイナさま、本当に…本当に良うございました」
私がそう言う(なぜ疑問形!)とレイリンさんの緑の目から涙があふれ、私の手をぎゅっと握ってそう言ってくれた。
レイリンさんの様子に、やっぱり寝込んでたのかと納得する。
「れいりんさん」
「…あ、そうでしたわ! スイナさま、メフィトーレス様をお呼びしてまいりますわね!」
そんなにも心配をかけたのかと申し訳ない気持ちになりレイリンさんをもう一度呼ぶと、彼女はハッと何かに気付いたように頷き、そう言って涙をハンカチでぬぐいながら去っていった。
そういう事じゃないです呼ばなくて大丈夫ですと言いたかったが、声も思うように――ゆっくりとしか喋れない。起き上がろうにも、やっぱり布団が重い。関節を動かすにも力と気合を入れなければ動かない。
自分の身体の衰えっぷりに、どのくらい寝込んでいたんだろうかと思ったが、それにしては不思議と口の中が乾いていたりはしない。
「――スイナっ」
「めふぃとーれすさん」
バンっと荒々しく扉の開く音がしたと思ったら名前を呼ばれた。
耳慣れたその声に返事をすると、大きな二本の腕が伸びてきて、私は抱き上げられていた。
服越しに伝わってくる、鎧のひんやりとした堅い感触が、とても落ち着く。
「スイナ、違和感はないか?」
抱きかかえられたので顔を見上げようとしたが、その前に顔を覗き込まれそう聞かれた。
腕にも胸にも鎧の感触があったからてっきりいつもの全身鎧姿かと思っていたのに、兜だけは被ってなくて、深い緑色の目と視線が合う。そういえばレイリンさんとそっくりな色だなと気が付いた。
「からだが、少しだるい? です」
「他には?」
「くちもうごかしにくいです。はやくは、しゃべれないです」
「そうか」
大丈夫そうだなと彼は安心したように息をつき、私を抱く腕にギュッと力を入れた。
何が大丈夫なのかわからないが、ふと彼のその仕草で寝込む前の事を思い出し、私は慌てた。
「めふぃとーれすさんこそ、だいじょうぶ、ですか?」
彼は私を庇って大怪我を…背中が血まみれになり顔が青ざめ、力強かった声が弱くなるくらいの怪我を負っていたのだ。
私を抱かかえてる場合じゃないだろうと、気合を入れて声を張り上げてそう聞いた。
彼は腕の力をゆるめて、私の顔を覗き込み、視線を合わせて口を開く。
「覚えていないのか? スイナ、おまえが治してくれたんだろう」
「わ、わたし?」
「そうだ。まさか、古代魔術を使えるとは思わなかった」
「こだいまじゅつ?」
「古代…今の魔術よりももっと昔に使われていた、今では幻と言われる魔術のひとつだ」
言われて戸惑い、必死に思い出そう頭を動かした。
魔術魔術、古代魔術? 私がそれを使ってメフィトーレスさんのあの怪我を治した?
とにかく落ち着いて、順番に思い出そう。うん。
メフィトーレスさんの魔術の実験に出かけて、終わったと思ったら大きなたくさんの岩のような塊。メフィトーレスさんが魔術でそれを避けたけど何かで彼は怪我をして、手当てしようと思ったけど何もできなくて……あっ、あれか!
「ひょっとして、“おまじない”の事ですか?」
今考えればなぜ、子供向けの絵本の“おまじない”を試したのかがわからないが、必死に考えてやっと思いつたのがそれだった。
その“おまじない”を唱え終わったら急に力が抜けたんだっけ? と思い出す。
メフィトーレスさんは頷いた。
「そうだ。魔術師やそれを研究する者しか知らない事だが、あの“おまじない”は起動言語で書かれている」
メフィトーレスさんの説明はこうだった。
あの絵本に書かれている“おまじない”は起動言語で書いてあるのは研究者や魔術師の間では有名な話らしい。しかし、魔術の要である術式がわからない事と、死にそうな者を完全に魔術で回復させる事は不可能と言われている為、“おまじない”は絵本の作者の起動言語を使った言葉遊びだろうと言う一派。術式がない以上、魔術ではないだろうが起動言語を使っていることから、その“おまじない”に何か意味があるのでは?と研究し続けている一派。術式はあるはずだがそれは作者が意図的に隠したのだと主張する一派。
たくさんの説があり、今までどれも証明されていないものなのだそうだ。
作者に聞こうにも古くから伝わる御伽噺であるそれの作者は不明であるし、たとえ作者が誰であるかと判明したとしてもすでに生きてはいないだろう。
そんな不思議な諸説いろいろある“おまじない”であったのだが、今回私がそれを使い発動させたことで、メフィトーレスさんが気付いたらしい。
絵本の“おまじない”は魔術ではなく、失われたと言われている古代魔術であると。
なぜ失われてるのにわかるのか? と聞くと、失われたとはいっても古代魔術に関する文献は多いらしく、研究する者は多いそうだ。メフィトーレスさんもそんな研究者の中のひとりであるらしく、古代魔術について詳しいのだそうだ。
魔術とはマナにより術式という道具を組み立て、起動言語によってその道具のスイッチを入れ、そこにマナを通す事で奇跡を起こせるようになるらしい。
マナを捧げれば発動する魔法とは違い、手間のかかるものなのだが、それは魔道具と呼ばれるものに術式は保存する事で短縮できる。魔道具がなくても慣れればそこまで時間をかけずとも使えるようになるらしい。熟練の魔術師になれば、魔法よりも早く発動させる事もできるというのだから、ある種の職人芸と言えよう。
そして古代魔術。諸説いろいろあるのだが大まかに言えば、魔術に必須である術式が存在しない。
いや、存在しない訳ではないか。起動言語と呼ばれる言語そのものが術式であるのではないか? というのがメフィトーレスさんの見解だった。
古い文献によれば古代魔術を扱った人々は、歌うように長い言葉で奇跡を起こしていたのだという。戦争にも使われたらしいその力は強力であったが、呪文を歌っている最中の術者は無防備になり、その間に妨害――殺される事も多かったようなのだ。
そして、その経緯があるからこそ、その長い呪文を短縮させる技術が開発され、威力は古代魔術よりは大きく劣るものではあるのだ。それでも、威力が大きかろうが発動前に殺されてしまえば意味はないのだからと、短い時間で発動できる魔術が主流になり、それによって古代魔術は廃れたのだろうという事だ。
そこでふと疑問に思う事があり、聞いてみた。
「…“おまじない”使えば、めふぃとーれすさんも古代魔術、使えるです?」
「他にも条件はあるようでな。試してみたが使えなかった」
そこは要研究だろうなと、メフィトーレスさんは少し楽しそうに言っていた。
さすが自称古代魔術研究家。すでに試していたとは……そういえばお出かけも実験目的だったし、メフィトーレスさんは根っからの研究者気質なのかもしれない。いろいろとマメだし。うん。
「スイナ」
「はい」
「魔術は教える。だから古代魔術は使うな」
真面目な顔でメフィトーレスさんが私に言う。
理由はおそらく、失われたというくらい今では使う人もいない古代魔術。だからこそ、それを使えるというだけでモルモット扱いにされる…という事だろう。
モルモット扱いは嫌だからと私は彼の言葉に頷きかけて、はたと気付いた。
「めふぃとーれすさん」
「なんだ」
「めふぃとーれすさんは私で実験してますよね?」
「……おまえは私の物だからな。問題はない」
ジッとメフィトーレスさんの目を見て言えば、彼はそう言いながら顔をそらしてしまう。
普段から大人な言動の多い彼の、その少し子供っぽい仕草と言葉に、思わず笑いが出てしまう。
普段と違う彼を見れたことが嬉しく、だから私は頷いた。
「わかりました。古代魔術はなるべく使いません」
「…使うなら魔術を使え。古代魔術は禁止だ」
必要があれば使うといった私に、メフィトーレスさんは少し怒ったようにそう言った。
禁止と言われても絵本の――回復の“おまじない”しか私は知らないのだし、そうそう使うような事にはならないだろう。モルモット扱いされるのも嫌だから、禁止というそれに逆らおうとも思わない。
だが、魔術よりは古代魔術の方が威力はあると言ったのは彼だ。
使う必要が――古代魔術でしか治せない怪我を……私も聖人ではないから、誰彼構わずという事はしないが、知り合いとか大切な人だった場合は、やはり使ってしまうと思う。
だから…と言い返そうとしたが、思いのほか強い彼の視線が少しこわい。
なので、言葉を少し考えてから、口を開いた。
「めふぃとーれすさんたちが怪我しなければ使いませんよ!」
私がそう言うと彼は少し軽く目を瞠り、それから困ったような顔で私の頭をぽんぽんと撫でた。
視線にあった怖く思えた感情が無くなっていて、その事に私は安心する。
「めふぃとーれすさん?」
「…わかった、気を付けよう」
こうして、私とメフィトーレスさんの間に、はじめての約束事ができたのである。
1月16日 文字が抜けていたので追加しました。
話の中で言わせる予定だったのに言えなかったので、今回のサブタイトルになりました。