15話 おでかけです
パカパカと馬の蹄の音が一定のリズムを刻み、たまに道上の石を弾いたり、でこぼこな面の上に車輪が乗るらしく、その度にガタっという音と共に大きく揺れる。
ふかふかなクッションを敷いているとはいえ、そろそろお尻が痛くなってきた。
まだ着かないのかなぁと思い馬車の窓から外をのぞくと、すぐ側でメフィトーレスさんが馬に乗って並走しているのが見える。
メフィトーレスさんはただでさえ大柄であるのに、その一部でさえ持ち上げられないくらいに重い鎧を全身に着込んで、馬に乗っていた。馬も他の人を乗せているものよりは大柄であったが、それでも重くないのかなぁと思ってしまう。
「…どうした」
私の視線に気付いたのか、メフィトーレスさんは前を見ながら声をかけてきた。
素直にメフィトーレスさんを乗せてる馬が心配だと言う訳にもいかないので、別の事を口にする。
「世界が違っても、自然は変わらないです」
メフィトーレスさんよりも向こう側に見える景色を見てそう言った。
道に沿うように木々は青々と茂り深く踏み込めば迷ってしまいそうな雰囲気である。それよりさらに遠くに見える山は、雲が山頂を隠してしまうくらいに、高い。
いつだったかテレビの特集で見たような、世界の人の手の入っていない広大な、人間はなんて小さいのだろうかと思えた程の数々の風景。その圧倒的な自然の中に一人で放り出されても、私は生きていける自信がない。
メフィトーレスさんは私の言葉に「ほう」と頷いて興味を示した。
「アーリの花やスイナのような人間もそうだが、この景色のような場所もあるのか」
「はい。…と言っても、私も行った事はなくて、てれ…記録されてる絵を見ただけでした、けど」
「実際に見た訳ではないのか」
「はい。そもそも私は自然が少ない街で、住んでいました」
都会とも田舎とも言えないあの町には…街路樹くらいはあったが、他はファミレスやコンビニの駐車場に植わっているものとか、各ご家庭の誰かしらの趣味っぽい植木の数々。それから、学校や公園などの公共機関の片隅に申し訳程度に植えられた草花くらいだった。テレビで見たような、今目の前に広がるような、これぞ自然!と呼べる環境ではなかったのは確かだ。
「……懐かしいなぁ」
「スイナ…」
住んでいた時はそれほど気にしていなかったのだが、こうして異世界へ来てあの町から離れてみると、あんな町でも郷愁を覚えるものなのだなぁとしみじみ思った。
その呟きが聞こえたのか、メフィトーレスさんが私の名前を呼んだ。いつもの穏やかなものではない、いつも以上に低めの声。その続きは小さくて聞き取れなくて聞き返すと――
「はい、なんです……うわっ!?」
浮遊感再び、である。
以前ドレスの採寸から逃げまわっていた時の、メフィトーレスさんの魔術によって捕獲された時のあの風の流れと浮遊感。
二度目とはいえ慣れる事はなく慌てる私。しかし、馬車は気にせず進む。
進みながらも馬車の鍵が、扉が、開く。そこから私が風に運ばれて、メフィトーレスさんの乗っている馬の上というか、腕の中というか、そんな感じの場所に運ばれて納まる。
何事もなかったように進み続ける馬車の扉が閉まり、御者のおじさんや馬に乗っている他の護衛さんたちが苦笑しながらこっちをちらりと見た気がした。
「…泣いてはないな」
「泣きません!」
どうやら最初のデートの時に泣いたことを思い出したメフィトーレスさんは、今も故郷を思い出して遠くを見ていた私がまたホームシックになったのではないかと、心配してくれたらしい。
心配してくれたのは嬉しいが、恥ずかしいものは恥ずかしいのである。
恥ずかしさが勝った私は、私の顔を覗き込んで心配してくれたメフィトーレスさんの言葉に、ついつい怒ったように叫んでしまった。
それでもメフィトーレスさんは「そうか」と頷いて私の頭を撫でるだけ。
その状態のままで私たちは、目的地であるレイリィ大草原まで行くことになったのだ。
☆ ☆ ☆
レイリィ大草原。
帝都ルべリアから馬で3時間ほど西へ行った場所にある大草原である。
見渡せないほどに広いその草原には色々な種類の動物や幻獣――ペガサスやドラゴン等だそうだ――が生息していて、村や町はないが多くの遊牧民族が暮らしている。
大草原へ着いた後、メフィトーレスさんの腕の中から解放された私は、護衛の兵士さんたちが張ってくれた天幕の下で椅子に座っていた。
見える限りどこまでも続く草原をぼんやりと眺めていたら、護衛の一番偉い人――レイリスとメフィトーレスさんが呼んでいた――からお茶の入ったカップを渡された。
レイリスさんは絵に描いたような――美少女と言っても通じるくらいの美少年だった。声はしっかり声変りをしているので男性とわかるが、それでも若干高めの声と言えるだろう。
「大丈夫でしたか?」
「……は、はい、大丈夫でしたです!」
こんな奇跡の人がいるのかと感動して固まっていた私に、レイリスさんが心配そうにそう聞いてきたものだから、慌てた私は少し文法を間違えてしまったが、ご愛嬌で済ませてもらいたい。
そんな私の返事が面白かったのだろう。レイリスさんはクスクスと笑う。
年相応の威厳がないのは自分でも自覚しているが、自覚しているだけにこういう時はいつも切ない。情けない気持ちになってしまう。
「陛下はもう少ししたら来ますから、そしたらまずはご飯を食べましょ」
にこにことレイリスさんは言いながら、天幕の横にある荷馬車から何やらいろいろなものを下ろし、テキパキと組み立てていく。
5分と経たずに組み上がったそれは、大きなテーブルと大きな椅子と小さな椅子。
テーブルの上には白い布を、大きな椅子と小さな椅子の上にはさわり心地のよさそうなクッションを、それぞれ置いていた。ちょっとしたピクニックな感じのセットである。
そして気が付いた。レイリスさんが用意しているこのピクニックセット、2人分である。
「めふぃとーれすさんも、一緒に食べるですか?」
「そですよ。スイナ殿は陛下と一緒は嫌ですかね?」
「それはないです! 少し驚きました」
「驚きましたか、なるほど」
やはりこのセットは私とメフィトーレスさんの為のものらしい。
一緒にご飯をということは、つまりつまり。
「お、噂をすれば。陛下、準備できてますよ」
レイリスさんが振り向き、私の後ろ…私のいる天幕の隣のテントから出てきたらしいメフィトーレスさんへと呼びかけた。
私も釣られてそっちを見る。
「スイナ」
「…めふぃとーれすさん?」
そこには鎧…ではなく、青味の強い濃い緑の髪に深い森のような神秘的な緑の目をした、大柄な男性が立っていた。決して美形という訳ではないが、彼の持つ雰囲気と少し濃いめの顔立ちが相まっていて、かっこいい。どことなくちょい悪親父っぽい渋さが………、少しだけ好みだ。言わないけど。
私の名前を呼ぶ声がしっかりとメフィトーレスさんなその男性は、鎧を一切身に着けていない。
もう一度言おう。鎧や武器の一切を身に着けていない。
「よ、鎧はいいんですか!」
驚きに思わずそう言うと、仕立てのよさそうな布製と思われる服を着たメフィトーレスさんが面白そうに笑い(表情が見える!)、レイリスさんは「そこですか」と呆れたように笑っていた。…笑われてばかりだな、私。
メフィトーレスさんは用意された大きい方の椅子に座った。レイリスさんに促されて、私も小さい方の椅子へと腰かける。
私とメフィトーレスさんが腰掛けるのを確認すると、レイリスさんはテーブルの上にサンドイッチのようなモノや果物の入った籠、温かいお茶の入ったポットとカップをテーブルの上に並べた。
「食事に邪魔だったのもあるが、実験の為だ」
「実験? 魔術の実験でなかったですか?」
「もちろん、魔術の実験だ」
「前に鎧が媒体て」
「…ああ、今日はレイリスたちが居るから安全面は問題ない」
そういう事じゃないんだけれど、たまに頓珍漢な事を言うよね、メフィトーレスさん。
横でレイリスさんが吹き出しそうなのを我慢しているのが見える。メフィトーレスさんもそんなレイリスさんが見えているはずなのに気にした様子はないから、我慢せずに笑っていいと思う。けれどやっぱり、自分の国の王様だからそういう訳にはいかないのかもしれない。
まあ、それはさておき――
「えと、食べてもいいですか?」
「…ええ、もちろん。その為の食事です。陛下もどうぞ」
「めふぃとーれすさん、食べましょう!」
私が聞くと噴出さない事に成功したレイリスさんがすまし顔で答えてくれた。
メフィトーレスさんは、私とレイリスさんの言葉に真面目に頷いて、そして私たちは食事をはじめたのであった。
食べ終わったら、本日の目的。魔術の実験の開始、である。
1月14日 誤字訂正しました
今までスイナとメフィトーレスが一緒に食事をした事がなかった理由は、メフィトーレス自身がスイナを保護するのは自分が力を行使する事が一番効率がいいと思っていたからです。
媒体がなければ魔術を使えないので、鎧を脱がない…という感じで。
今回は実験で鎧を全て脱ぐ必要があった事と、護衛をたくさん連れてきたのもあったので、はじめて一緒にご飯食べてます。
鎧を脱がなくていい実験だったら、護衛を連れずに二人きりで出かけてました。
(その場合は食事抜きorスイナだけ食べる感じでした)