キャビンマイルド
わからないね。」
僕はもう何本目かも忘れたタバコに火を点け、最初の煙を飲んで吐き出した息と一緒に出てしまった言葉。
アパートの一室。
灰皿代わりになったビールの空き缶が散らばった小さなテーブルの向こう側に部屋の主である男、リョウは自分のベットの上でケータイを弄りながら言う。
「わからないって何がだ」
二口目の煙を吐き出すと同時に僕は寄りかかったソファから起き上がり灰をまた空き缶に落として酔い切った頭を少し振る。
そうやって少し考えられる頭になってから口を開いた。
「なんでお前はそうやって風俗サイトを眺めてるんだ。」
言った途端リョウが鼻で息を吹き出して短く笑った。
「あのな、今それ聞くことか。サイトを眺めて何時どの娘が入ってるかなーとか確認するなんて男なら誰だって……」
「違うそうじゃない。」
言い訳をするリョウの言葉を僕は火が点いたタバコを持った手と頭を横に振って遮る。
振り落とされた灰も気にせず、僕は身振りも大きくなりながら問い詰めた。
「お前が好きなのは男だろ。ゲイがなんで風俗嬢のサイト見てんだって話をしてるんだ。」
そう言うとリョウはうんざりした様に後頭部をかきながら首を鳴らす。
「あのな、何回言ったか忘れたが俺は確かにゲイだ。でもホモじゃない、バイセクシャルなんだよ。だから女だって抱ける。」
そう言いながらリョウはテーブルの上の布巾で僕がテーブルに落とした灰を拭く。
リョウにそんなことをさせているにも関わらず酔った僕の責めは止まらない。
「でもさ、僕はお前に彼女が居たのを見たことがないぞ」
「そりゃそうさ。俺はお前っと会って以降は女と付き合ったことは一度もない。付き合うんだったら男がいい。」
その答えに俯いて頬杖を突く僕の姿を納得が出来ていない事を察したリョウは続けて言う。
「やっぱり俺は男だから相手も男だと付き合う上で相手の気持ちも分かりやすい。それに俺って変にフェミストだから相手が女だとリードしなきゃって身構えちゃうんだよね。女々しい言い方をするならありのままの自分じゃいれないみたいな。そのくせ女はこっちがヤりたい時に限って三日目だとか言ってさ、ちょっとでも残念そうにすると身体が目的みたいに思われるし。」
リョウにも酒が入ってるからだろうか。
普段から溜まっていた愚痴なのか主張なのかが座った目で見据えた僕に饒舌になった口からあれよあれよと湧いて出てくる。
「昔、バイト先の社員の女とセフレになったけどさ。なんで割り切れないんだろうな。別に付き合ってるわけじゃないのに。まるで自分に身体以外の魅力があってそんな関係になってくれたみたいな勘違いをしだすんだよ。性格とか人間性とか。自分にはそんな価値があるみたいに。自惚れもいいところだよ。」
そんな話を聞いた僕はぼーっとした頭の奥の冷たいところで、リョウに身体を求められた女の人なら充分その点だけ誇ってればいいのにと考えていた。
「だから女を抱くならその繋がりは金だけがいいと思った。それに男は鈍感だからちょっと浮気しても気づかないからな。ただそれだけ。」
言い終わると同時にリョウは自分のビールをぐいっと呷る。
すっかり微温くなった苦いだけの飲み物を不味そうに飲み干した。
一方、僕とはいえばテーブルに落ちたグラスの結露を指でなぞっていた。
その姿はまるで拗ねた子供みたいで
いや、子供そのものだった。
「ほら、難しい話されるとそうやって子供みたいな真似する癖やめろよ。物足りないならタバコ吸っていいから。」
「うん。」
リョウに僕の箱から一本タバコを出してもらって咥えて火を点けてもらう。
子供みたいな真似はやめろ
そう言った本人が今度は僕を子供みたいに甘やかす。
なんだか可笑しかった。
「俺はさ、誰かに解ってほしいなんて一度も思ったことはないんだ。」
僕がまだ拗ねたような顔で黙りこくっているからか
リョウがせっかく一回区切ったはずの話題をまた始めてしまう。
「そりゃあ、男と女が結婚して子供も作って老後は面倒見てもらった方が自然で当たり前だし良いと思うよ。未来に向かってると思う。」
未来に向かってる。
その言葉が僕に刺さる。
そんな僕に構わずリョウはアイスピックみたいな単語をザクザク責め立ててくる。
「でも俺には出来ないんだ。したくない。今が自分の納得できないなら嫌だ。」
「かっこいいね。ロックンローラーみたいだ。」
僕の渾身の皮肉も
だろ?って顔でニヤリと受け流す。
そんな風にされるから僕はますます惨めになる。
なんだか急に居心地が悪くなった。
「もう帰るよ。邪魔したね。」
自分の持ち物。と言ってもタバコとケータイだけ乱暴にポケットに突っ込んで立ち上がる。
「帰んの。もう電車無いから泊まってけば。」
「いや、歩いて帰るよ。どうせ一駅だし。」
いつも僕は勤め先へ行く定期で帰りは自宅の最寄り駅の一つ前で降りてここに来る。
「そう。じゃあきぃつけてなー。」
そう言ってリョウはパタリと自分のベッドに仰向けに倒れて手をひらひらと振った。
「鍵、ちゃんとかけとけよ。」
僕の忠告に返事はなかった。
外に出て僕はレイナさんから来た手紙を思い出す。
年賀状に二人目が出来たお知らせ。
僕はポケットからタバコを取り出して赤いパッケージを見る。
あの人はきっとこのキャビンマイルドともお別れしたんだろうな。
あんなに好きだったのに。
あの人はどんなに好きなものともちゃんとお別れができて未来に進める人だ。
僕がリョウの前でこれみよがしにちらつかせてるこの箱も
リョウはこれっぽっちも覚えていないだろう。
ああなんて女々しいんだろう。
あの人が僕らの前から去ったあと
僕はどこかで安心してしまっていた。
リョウと一緒にいるあの人を見続けなくて済むと。
未来に進もうとしているレイナさん
今を生きるリョウ
それに引き換え僕はこの赤いキャビンマイルドの箱に拘る事が過去にしがみついてるように思えてきた。
そう思いながらその箱を開けると最後の一本が湿って真ん中から折れていた。
テーブルに置いていた時に溜ったコップの結露に濡れてしまったらしい。
僕は過去にも振られてしまった気分で本当に一人で家に帰った。