サラリーマンの場合
「いらっしゃい。」
「あー。こんばんは。」
夜のとばりが落ちた後、扉をくぐってきたのはスーツ姿の男性。
仕事終わりにでも寄ったのか、少々お疲れ気味な顔をしている。
「カウンターでよろしいですか?」
「おう。今日は空いてるみたいだね。常連のみんなは?」
「先ほどまで居てましたが、お腹が空いたということでご飯を食べに行きましたよ。すぐに片付けますね。」
言葉の通り、カウンターの上には飲み終わったカップと灰皿が見受けられる。
中からトレンチを片手に持った青年が出てき、片付けを始めるようだ。
「いらっしゃいませ。今日もお仕事終わりですか?」
「おー、祐君。相変わらずの仕事終わりだよ。
こっちの席に座るから、ゆっくり片付けたらいい。」
彼の名前は祐。
このお店の従業員で、主に配膳と調理を担当している。
男性はそう一言声をかけると、入り口側の席へと腰を下ろした。
「よっと。」
「今日はどうします?」
「とりあえずはビールをもらおうかな。」
「生ビールで?」
「うん生で。」
お水とおしぼりを渡し、灰皿を傍に置きながらマスターが問うと、男性はビールを注文する。
懐からとりだした煙草に火をつけると、ゆっくりと吸いこみ煙を吐いた。
心なしか表情が和らいだのは気のせいではないだろう。
生ビール。
国内外を問わず、多くの方が愛飲しているアルコール飲料。
それぞれのメーカー毎に味わいが違い、好きな銘柄もしばしば別れる。
地ビールといった大手でない地方のメーカーも販売を行っており、瓶詰だけでなく生樽を打っているところもちらほらと存在する。
また、国外産ビールの輸入も盛んで、自分好みの味を探すのも楽しみのひとつだろうか。
冷蔵庫から取り出されたグラスは、傍目にも冷えていることがよく分かる。
水滴ひとつ付いていない器に、生樽サーバーからビールを注いでいく。
始めはサーバーに対して傾けた状態で液体が器を満たしていくと、今度は垂直な状態へ。
グラスの縁へと迫ってくると、レバーを奥に押し込み泡を注いでいく。
次々と流れ込むビールに押された泡は、縁を乗り越えて零れ落ちてゆく。
新しい泡がグラスを縁取ると外側を軽く拭い、コースターと共にご提供。
およそ7:3に分かれた液体と泡は、黄金色と白色のコントラストを示しながらグラスを彩った。
「どうぞ。」
「ありがとう。」
煙草を吸い終わった男性は、グラスを受け取ると喉へ流していく。
口当たり滑らかな泡が唇を濡らし、泡に守られた液体が喉をなだれ落ちてゆく。
炭酸が体内で遊びまわり、心地よい刺激と共にお腹を満たした。
「っはー。旨いな。」
「仕事終わりの1杯は特別ですよね。」
「それは思うなー。疲れた体に心地いいですよね。」
「そうか、2人とも酒のみだったものな。」
「それほどではないですけど。」
「いやいや。マスターは呑兵衛でしょ。」
「休みの度に飲み歩いている、祐くんに言われたくはないかな。」
「あまり変わらないと思いますがね。」
「俺は飲む時と飲まない時が分かれるからさ。」
「休みの日も一緒に過ごしたりするのかい?」
「たまに、ですかね。」
「マスターは僕をほっぽって、奥さんとお出かけされますから。」
「それは仕方ないな。俺だって彼女がいたら彼女と遊ぶさ。」
そう話しながら、彼は2本目の煙草に火をつける。
ビールは残り、三分の一といったところだろうか。
「彼女はつくらないんですか?」
「仕事が忙しくてそれどころじゃないからな。しばらくは独り身でいるさ。」
「大変ですね。」
「まあ気になる子が現れたら、こっちから誘いをかけるからいいんだよ。
そう言う祐君は彼女はいないんだっけ?」
「それがいないんですよね。出会いの場がないというか、僕がへたれなのか。」
「好きな女の子がいたら、自分からしっかりアプローチしないとダメだぞ?」
「簡単に言いますけど、そんな風に自信もてませんよ?」
「自信なんかいらねえよ。恥ずかしいって縮こまっちまう方が、よっぽど恥ずかしいんだから。」
「そんなもんですか。」
「そんなもんだ。手当たり次第とは言わねえが、気になる子がいるなら積極的にいかないとな。
普段の休みはどうしてるんだ?」
「普段は、街に買い物に行ったり、図書館に籠ったり、友達と遊んだりですね。夜はBARに顔を出したりもします。」
「なんだ、充分出会いの場があるじゃねえか。合コンとかは行かないのか?」
「合コンですか。1度だけ行ったこともありますけど、どうもあの雰囲気に馴染めなくて。」
「そんなんだからできないんだな。待ってて声をかけられるなんてそうそうないぞ。
ましてや告白なんてもってのほかだ。」
「分かってはいますが、いつか真っ当な出会いが・・・」
「そんなこと言ってたら、あっという間に老いちまうぞ。若いんだから何にでも挑戦しないと。せっかくいい顔してるんだから。」
「僕はシャイなんですよ。」
「これは、しばらくできそうにないですね。」
「ああ、ほんとだ。マスターおかわり。」
「はいよ。」
「2人してひどいです。」
アルコールが入った彼はいつもより少し饒舌になり、夜更けと共に下世話な話もまじってくる。
少し赤らんだ顔はほろ酔いを示しているが、カウンターに座る姿は乱れておらず、お店の雰囲気が乱れることはなかった。
BARの明るさがそうさせるのか、はたまたマスターの気立てがそうさせるのか。
お店と人が織り成す雰囲気は、柔らかくも芯の通った空気を醸し出していた。
会話内容に関しては、お愛嬌というものだろう。