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長老の場合



「いらっしゃいませ。」

昼下がりに扉をくぐってきたのは、60代を優に過ぎているであろう男性。

日除けも兼ねたハットの帽子と、手に持つ洒落たステッキが印象的な出で立ちをしている。

軽い足取りに腰の曲がりも見られず、実用的でない雰囲気のステッキが男性の小粋さをよく表している。


 「おお、マスター。やってるかい?」

「もちろん営業してますよ。」

 「ちゃんと休みも取りなよ。わしみたいに弱っちまうぞ。」

「どこが弱ってるんですか。まだまだ元気じゃないですか。

 それに、平日の真昼間から休んでたらお客さん逃げちゃいますよ。」

 「それもそうだな。よっと。」

軽い挨拶と共に、カウンターに腰かける老齢の男性。

よく来慣れているのか、マスターとも親しげな様子だ。


 「しかし春先とはいえ、日中は暑いな。

  お天道様も元気に照らしてるから、日に焼けちまいそうだ。」

「春先の紫外線が1番強いそうですからね。

 帽子を被っておられるとはいえ、気を付けてくださいよ。」

 「なあに。いく時はコロッといくし、いかない時はいかないもんだ。

  心配しなくとも大丈夫だよ。」

「それはよかったです。うちの長老がいなくなっては寂しいですからね。」

 「そんなことより、マスターの方が陽に当たった方が良くないか?

  そんななまっちろい肌して、見てるこっちの方が心配になるぞ。」

「基本的に店内にいますからね。仕方ないですよ。

 一応休みの日は外で活動してるんですが。」

 「またそんなこと言って。そのうちお日様に当たって溶けちまうぞ。」

「それは勘弁願います。

 まあ焼けにくい体質なんで。女性の方には羨ましがられるんですよ?」

 「それもそうだろうな。」

「今日は何になさいます?」

 「いつものをくれ。」

「ブレンドのホットですね。」

お決まりのやりとりと言わんばかりに、楽しそうに軽口を言い合いながら注文を交わす2人。

彼のオーダーはブレンドコーヒー。

それぞれのお店が、自分好みの味を表現したレギュラーコーヒー。

使っている豆の比率や種類は様々で、酸味を活かしたものにするか、フルーティーな味わいを全面に押し出すか。

はたまた無難にまとめあげるか等、個々のお店によって変わってくる。

また、それはレギュラーコーヒーに限定される訳ではなく、エスプレッソに於いても同じことが言える。



カウンターの上で静かに佇むコーヒーサイフォンは、使い込まれて尚綺麗な姿を維持し、自分の出番は今か今かと待ち受けている。


マシーンの湯口からマグにお湯を入れてサイフォンのフラスコに注ぐと、外側を拭いて水気をしっかり拭いバーナーに火をかけて温める。

熱されて対流する様を横目に、保管しているフィルターを取り出して水気を切りロート管に装着。

留め具を先端にひっかけて、フィルターが水平になるよう指で押さえて蓋に載せておく。

計量したコーヒー豆をミルへ入れて粉状にし、挽き終わった粉をロートに入れてフラスコの口に挿して様子を見る。

沸騰する直前にしっかり挿しこむと、沸いたお湯が徐々にロートをさかのぼり、粉を持ち上げながら上昇して色を染めていく。

コーヒーへと変貌しつつある液体が全て登りきる前に、竹べらで粉を馴染ませるように円を描き、火力を弱めてコーヒーを抽出する。

サイフォンから立ち上ったコーヒーの香りを楽しみつつ、火を消して抽出を終え、へらで渦をつくるように再度攪拌して落としていく。

フィルターを通って降りてきた無色のお湯は、きらめくコーヒーへと姿を変え、フラスコの中を満たしてゆく。

完全に落ち切ったらロートを取り外し、温かいカップへ注いでできあがり。

スプーンを添えたソーサーに載せて、お待ちの方へとご提供。



「どうぞ。」

 「おお、ありがとう。」

「お砂糖・ミルクは如何なさいます?」

 「今日は無しでいくよ。」

「また欲しくなったら仰ってくださいね。」

 「うむ。」

カップを片手に香りを楽しむと、冷めやらぬうちに軽く口をつける。

猫舌の人なら火傷をしかねない淹れたてのコーヒーも、飲みなれている彼にとっては飲み頃のようだ。


 「うん。美味しいな。」

「それはよかったです。」

 「暖かくはなってきたが、やはりホットに限るな。」

「アイスコーヒーも美味しいですが、やはりホットには負けますね。

 夏場のアイスはまた別物かもしれませんが。」

 「いやいや、わしは夏でもホットだよ。

  何より香りを楽しみたいからな。」

「それは同感ですね。私も余所へ行った時はホットコーヒーしか頼まないです。」

 「やはりマスターもか。

  しかしいつも疑問に思っていたんだが、コーヒーを出し終わったものを入念に観察するのはなんでなんだい?」

彼が指摘したのは、ロートに残った粉である。


「ああ、これですか。これは香りの確認と落ち具合の観察です。

 下手な豆が混ざっていないかということや、粉や泡を見て出来具合を確かめているんですよ。」

 「はあー。そんなことがわかるもんかね?」

「未熟性なものなんかが混じっていると、匂いですぐにわかりますよ。その場合はすぐに淹れ直します。

 焙煎し終わった豆をピック作業で確認してはいるんですが、稀に分かりにくいものが混入することもありますから。」

 「マスターは自分で焙煎してるものな。普段トレーで選り分けてるのがその作業なのかい?」

「そうですね。形が歪なものや、色合いが悪いもの。火の入りが悪い豆なんかを取り除いています。」

 「商売の為とはいえ、いつも大変だね。」

「慣れたらそうでもないですよ。10キロの豆なんかはあっという間です。」

 「マスターはそうかも知れないが、わしなんかには想像もつかないな。」

「好きが生じてやってますから。朝飯まえですよ。」

 「好きが生じてね。そういえばうちの孫が就職時期なんだが、親と揉めてな。」

「何かあったんですか?」

 「音楽で食っていくなんていうもんだから、息子達がカンカンで。」

「あぁー。狭き道ですもんね。」

 「とりあえずは就職しながらバンドを続けろとは言ってるみたいだが、如何せん聞く耳を持たんのでな。」

「当然話が降ってくると?」

 「そういうことだ。わしも応援してやりたい気持ちはあるんだが、あまり口を出してもいかんしな。

  マスターはどう思う?」

「私の経験から言わせてもらいますと、1度社会人を経験してみろってところですかね。」

 「そうなるわな。元会社勤めのマスターが言うと、説得力も強いな。今度連れて来るとしようか。」

「私は構いませんが、あまり巻き込まないでくださいね。」

 「なーに、軽く助言してくれるだけで構わないさ。」

おだやかな時間はゆっくりと流れ、笑顔の絶えない談笑は静かに続いてゆく。



 「おお、もうこんな時間か。そろそろ行くとするよ。」

「どこかお出かけですか?」

 「これから料理教室でな。」

「また面白いものに手を出しましたね。」

 「今まで妻に作って貰ってばかりだったからな。仕事も引退したし、時間もできたことだからやってみようかと思っての。」

「それは有意義ですね。教室へはおひとりで?」

 「なーに。向こうで友達もできたから大丈夫じゃ。半分ぐらいは飲み友達だがな。」

「・・・それがメインになってないですよね?」

 「まさか。そんな訳ないだろう。」

「まあ、ほどほどにしてくださいね。」

 「はっはっは。大丈夫大丈夫。では行ってくるかの。

  いくらだったかな?」

「ブレンドで500円です。」

 「うむ、千円で頼む。」

「はい。では、お釣りが500円ですね。それではお気をつけて。」

 「楽しんでくるよ。ではまた。」

朗らかに笑いつつ挨拶を交わし、まだ陽の照る中を歩いて行く。

素敵な年の取り方を眺めつつ、空になったカップを片付けてゆく。




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